『砂漠と水都の世界㉑』
ずっと見ていたくなる景色ではあるが、悠長に見ている暇など毛程もなかった。
愉悦に浸る私の意識を現実に呼び戻すように、背後で岩石を打ち砕くような音が響き渡ったのだ。
軽く首を傾け、横目で後方を確認すると、黒々とした巨大な何かがデスアースの先端を抉るように打ち砕いていた。
あれは……デスワームの大顎か。間一髪だね。
飛び立つ時の地響きにオヤジが少しでも躊躇いを見せていたなら、絶景を堪能するまでもなく、私達は叩き落とされていただろう。
結果論ではあるが、オヤジのファインプレイと言える。
しかし、それはさておき、ここにヤツの大顎があるということは――。
私は即座に下へと視線を飛ばす。
本来なら、そこには切り立った崖があるはずだった。
だけど、実際に私達の直下に広がるのは、今しがた私を感動させた絶景とは打って変わる、戦慄を引き起こすような禍々しい光景だった。
サンドワーム同様に無数の鋭利な歯が脈動する肉壁にびっしりと立ち並び、二層、三層と、口の中にある口が脈を打って開閉する。
この食いしん坊は……よっぽど私が魅力的なエサに見えているようだ。
正直、最高のあとに最悪を見せつけるのは勘弁してほしいものだが、自分が世界に心を掴まれたように、デスワームも私という馬鹿げた魔力の塊に心を掴まれているのかもしれないと思うと、共感できる部分がなくはないのかもしれない。
はは。出会い方と生まれ方が違えば、友達になれたのだろうか。
とは言え、私も食べられるわけにはいかないのだ。
代わりに大量の水をあげるから、それで胃袋を満たしておくれ。
私は力強くキュースィーちゃんを握る手を振り上げた。
サンドワームとは比にならない口の大きさ。
投擲技術など関係なく、適当に投げても容易に飲み込まれていくだろう。
「ほら、しっかりと食べ――えっ、あれっ、わっ」
――しまった。
投げようと右手をオヤジの肩から離したことが災いした。
突如として、下から吹き荒れるデスワームの強烈なな息吹に、私の身体がふわりと浮かぶ。
やばい、やばい!!
足が、腰が、アクアヴィーから離れ、オヤジの肩を掴んだ左手だけが命綱に。
……いや、それもダメだ。
左手も離れ、る。
「ほぁッ!!」
「おがっ!!」
肩から左手が離れた瞬間、悪あがきをするように即座にオヤジの頭を手で掴むと、オヤジが素っ頓狂な声を上げる。
申し訳ない。
だが、掴んでおいてなんだが、オヤジの頭では悪あがきにも程がある。
案の定、二秒と持たずに、取っ掛かりのない頭から手を滑らせた私は、オヤジのバンダナを握りしめて空を舞った。
「なぁあッ!!てて店主!! 店主ッ!!」
万事休すかと思われた……が、慌てる声に反応して咄嗟に手を伸ばしたオヤジが、奇跡的に私の握っているバンダナを掴み取った。
アクアヴィーによる風圧やらデスワームの息吹で、私の身体がぶらぶらと波を打つ。
「うぉおおッ!! 嬢ちゃん、絶対離すな!!」
「ふぉおおッ!! そっちも、絶対離さないで!!」
危なかった。本当に危なかった。
最後くらいあっさりと決めさせてほしいものだ。
私はもう一度、キュースィーちゃんを強く握りしめ、急いでそのスイッチを入れた。
どうなろうと、これだけは投げ込まなくてはなるまい。
「んらッ!!」
右手を遊ばせている余裕もなく、デスワームの大口にすぐ様キュースィーちゃんを投げ入れる。
それを目で追うと、空色の球体が真っ直ぐにデスワームの体内へと飲み込まれていった。
「やった、やったッ! 食べたよ!」
それから瞬時に右手もバンダナへと絡みつけ、なんとか吹き飛ばされることを回避するが、息をつく間もなくピンチは続き、オヤジの大声が耳を貫く。
「喜んでる暇はねぇッ!! 引き上げるから掴まれッ!!」
言うが早いか、バンダナごとぐわんと引き寄せられた私は急いでシートに跨り、がっしりとオヤジの腰にしがみ付いて衝撃に備えた。
ところが、後は着地するだけかと思われたところで、オヤジが焦ったような様子を見せる
「だぁッ!! あんの野郎、向こう側も削りやがったなッ!」
向こう側……そうか。
ヤツの大顎は左右に二つある。
背後だけじゃなく、デスアースの両側を打ち砕いていったのか。
「着地までの距離が遠退いた!! 届くかわからねぇッ!!」
切羽詰まった状況に、オヤジの声が不安を纏う。
しかしながら、それを聞いて、無意識に私の口がついた言葉は実に私らしくない言葉だった。
「大丈夫、絶対に届くよッ!!」
根拠なんて微塵もなかった。
全く論理の欠片もない。
でも、不思議とそんな気がしたのだ。
「ぬぁあああッ!!」
デスアースから世界中に響き渡らせるかのようなオヤジの咆哮が放たれる。
そして――。
「らぁあッ!!」
オヤジは強引に車体を傾けて横にし、噴射口から勢いよく吹き出る水をクッションにして見事に着地を成功させると、しばらく地面を滑らせてからアクアヴィーを停車させた。
…………大、成功である。
一時の沈黙が場を支配するも、すぐに私の心は喜びの感情で溢れ返った。
「……届いた。あははッ……届いたよッ!!」
偉業を成し遂げる伝説の姿を間近で見届けた感激に、私は盛大な歓声を上げる。
でも、オヤジの反応は返っては来なかった。
どうしたのかとアクアヴィーを飛び降りて、オヤジの顔を覗き込むと、オヤジは汗を垂れ流し、息を切らして放心しているようだった。
それも当然だ。デスワームとの追いかけっこに始まり、リミッターを解除したアクアヴィーの操縦、それから驚異的な集中力を持って狭い坂を登り切って、最後にこのデスアースを飛び越えたのだ。
精神も肉体も、限界まで疲弊しているに違いない。
だけど、やっぱりさ、成功したのだから。
「店主ッ!!」
声に反応し、ゆっくりとこちらに顔を向けるオヤジ。私はそんなオヤジのお株を奪うように、ニカッと歯を見せる笑顔を浮かべ、手のひらをぐいっと突き出す。
――ね、笑おうよ。
目で訴えかけると、意図を察したオヤジも大きく深呼吸をしたのち、いつもの調子で豪快に笑った。
「だっはっはっはっはッ!!」
ンフフ。
やはり、オヤジはこうでなくては。
いつも通りの高笑いを存分に見せつけると、オヤジは満面の笑みを崩さぬまま手を振り上げ。
「しゃぁあッ!! 成功だぁッ!!」
私達は熱烈なハイタッチを交わしたのだった。




