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『砂漠と水都の世界⑳』




 もうすぐで辿り着く。


 ここまで期待と不安を交互に反復横跳びしてきたが、あとはなるようになるだけ。


 そう覚悟を決めると、私は無意識のうちに期待方向ばかりへ横跳びを繰り返していた。


 期待。期待。期待。ンフフ。


 デスアースを飛び越える快感とは如何ほどのものか。


 こうして考えていると思わず想像したくなってしまう。

 だけど我慢、我慢だよ、マノ。


 これから実現することを想像で消化するなど無粋にも程がある。


 きっと今までの人生で、味わったことのない気持ちを味わえるはず。

 その時、存分に堪能すればいいのだ。


「うへへへ」

「……嬢ちゃん。デスワームよりおっかない顔になってるぜ」


 おっと、いけないいけない。


 オヤジの失礼極まりない指摘に、ぶるぶると首を振ってとろけた顔を元に戻していると、お待ちかねのデスアースが目前へと迫っていた。


 ……いや、大きい、あまりにも大きい。


 あの化け物のサイズ感にも驚かされたものだが、デスアースも大概である。

 それに内側だけでなく、外側もぐるりと断崖絶壁だ。


 これを登る?

 どうやって?


 分からないことは分かっている人に聞けばいいという理念に基づき、オヤジへと尋ねてみる。

 

「麓から側面を伝う坂道があるんだ。そこを中腹まで登り切れば、あとは頂上まで一直線の道に出る。ただ――」

「ただ?」


「道と言っても補装されてるわけじゃない、荒くて細い坂道だ。通常のアクアヴィーならわけないが、リミッターを解除した状態で登るのはスリル満点ってもんだぜ」


 へぇ。なるほど。

 それは。実に。


「楽しそうだね」


 思ったことをそのまま伝えると、一拍の間を置いて、オヤジはいつもより豪快さ増し増しの笑い声をあげた。


 オヤジとしては懸念点を挙げたつもりだったのだろう。だけど、私にしてみれば心配する要素なんて欠片もなかった。


 何故なら、伝説の男はやってくれるだろう、という確かな信頼があるからだ。

 

「その通りだぜ、嬢ちゃん。このヒリつきが楽しくて俺はアクアヴィーに人生を捧げたんだ」


「いいね、それ。私にも体験させてよ」

「おうッ!! 忘れられない体験にしてやるぜ」


 そんな会話をしていると、そのヒリつく坂道の姿が進行先に見えてきた。


 確かにオヤジの言う通り、人の足で登るには十分な幅の坂道だが、アクアヴィー……それもリミッターを解除したアクアヴィーで登るには絶妙にスリリングな狭さだ。


 それを見て、私の背筋が静かに震えた。

 この感覚は果たして、ゾクゾクか、ワクワクか。


 その答えを導き出そうと一瞬だけ迷ったが、私はすぐに考えるのをやめる。


 どっちでも同じことだった。

 今の私の脳内にはあらゆる感情を楽しいに変換する公式が出来上がっているのだ。


 だから楽しめばいい。

 楽しんだ上で作戦を成功させることが、この体験で得られる満足度の理論値となる。


 辿り着いた結論に口元を歪ませていると、不意にオヤジがデスワームの様子を問い掛けてきた。


 その要求に応え、すぐに振り向いて状況を確認する。


「うん、姿は見えないね、恐らく地中。でも、ミミコのお陰で距離は開いてるはずだよ!」


「そうか。なら、あとは登るだけだな。このままの速度で一気に突っ切るぜ!」


「うんッ!!」


 私の返事を合図に、オヤジはアクアヴィーを操作し、大きく弧を描かせながら坂道への入射角を調整する。


 良い角度。真っ直ぐ進めば問題なさそうだ……が、それは真っ直ぐ進めればの話。

 

 オヤジは最初よりも遥かにじゃじゃ馬を乗りこなしているけど、その軌道が真っ直ぐかと言われると、そういうわけでもない。


 少しでも大きくブレたら、高確率で大惨事となるだろう。そうなれば、もちろん計画は破綻となる。


 オヤジもそれを分かっているのか、自分自身に喝を入れるように叫び声を上げた。


「行くぞッ!! 気合入れろ!!」


 坂が近づく。来る。

 オヤジの肩を掴んでいる手に力を込める。


 坂道へと勢いよく突入すると同時、がくんと車体が跳ね、アクアヴィーは凄まじい速度で傾斜を駆け登り始めた。


 左に流されれば落下。右に流されれば壁と衝突。

 揺れ幅を最小限に抑えなければ、登り切ることは難しい。


 前に進むだけでも表彰ものの偉業だというのに、あまりにも酷な要求である。


 だけど。


 オヤジはその無理難題を見事に実現させていた。


 もはや、感心を通り越して感動すら覚える。


 今すぐそのあっぱれな姿を全力で褒め称えたいところ。しかし、この運転の邪魔をするわけにはいかない。


 そう思い、なんとか衝動を抑え込んで自重するはずだったけどやっぱり無理、我慢できない、言いたい、言う。


「凄い凄い、伝説だよ、店主!! このまま行っちゃえー!!」


 いつもなら豪快な笑い声が飛んできそうなところだったが、オヤジからの返答はなかった。

 それがどれだけ集中しているかを物語っている。


 無理もない。

 本当の、本当に綱渡りをしているのだろう。


 背中に私というハンデを背負っていても、オヤジの運転は神がかり的なバランスを維持し続けていた。


 ガリガリと壁に車体を削られることはあれど、大崩れすることはなく、確実に進んでいる。


 神の成せる業、と言わざるを得ない。


 そして遂に落ちることなく、中腹まで登り切ったアクアヴィーが勢いのままに傾斜を跳んで、宙に浮かぶ。


「しゃあッ!! なんてことねぇッ!!」


 オヤジは真っ白な歯を輝かせ、登り切った達成感にぐんっと右手を振り上げる。


 余程、嬉しかったに違いない。


 それからハンドルを持ち直して水の噴射を巧みに利用すると、宙に浮いたアクアヴィーを反転させながら地面へと着地させた。


 アクアヴィーはそのまま二度三度とお尻を振り、すぐにまた直進を始める。


「見ろッ、嬢ちゃん!!」


 言われて前方に目を向けると、視界に映し出されたのは、空に向かって一直線に伸びる大きな坂道だった。


 幾度も、幾度も、幾度も、命知らずなアクアヴィー愛好家達が挑戦し続けた夢のジャンプ台。


 ――デスアース。


「わっはぁッ!!」


 きっと今の私の瞳は、如何なる宝石をも凌駕する輝きを放っていることだろう。


 ごめん、ミミコ。

 ごめん、ジョッシュ君。


 ちょっとだけ、作戦忘れるね。


 うるさいほどに脈を打つ心臓の高鳴りに息苦しさを感じる。でも、全く嫌な苦しさじゃない。


「行ってッ!! 見せてッ!! 店主ッ!!」


 もう、それ以外の言葉をひねり出すことはできなかった。


 懇願するような私の言葉を受け止めて、オヤジは高らかに笑う。


「だっはっはッ!! 任せろ、最高の景色を見せてやる。目を閉じるんじゃねぇぞ!!」


 言われるまでもない。

 瞬き一つもしてやるものか。


 傷だらけになった金色のアクアヴィーが太陽の光に当てられて輝きを取り戻し、ぐんぐんと空に向かって突き進む。


「速度は申し分ねぇッ。耐えてくれ、アクアヴィー」


 相棒へと語り掛けるようにオヤジが声を上げた。

 

 ――その時だった。


 間もなく飛び立とうというところで、激しく大地が揺れ動く。


「何!? 揺れてる?」


 デスワームの仕業であることは想像に難くないが、何が起きているかまでは理解に及ばない。


「構うもんかッ! 行くしかねぇッ!!」


 大きな地鳴りをものともせずに、オヤジはアクアヴィーを走らせる。


 そして――。


 ここまで長い長い助走をつけた金色のアクアヴィーは、満を持してデスアースを飛び立った。


 その瞬間、私の体感時間は急激に遅延する。

 

 広大な砂漠と、広大な水都。


 決して相容れることのない対照的な二つの世界を、地平線の彼方まで伸びる渓谷が一刀両断にしている光景。


 それは、橋から見る景色とは比べものにならない。


 この美しさを形容する言葉なんて見つかるはずもなく、私はただただ笑うしかなかった。


「あははッ!! あはははッ!!」


 あっちにも、こっちにも、砂漠にも、水都にも、気になる地形や建物がたくさんある。


 自分はまだこの世界の一端しか知らないのだと思い知らされる。


 あぁ、果たして異世界転移までの残された時間で全部を周りきれるだろうか。


 この世界を味わい切れずに旅立つなんて、そんな勿体ないことはしたくない。


 作戦を終えたら、ジョッシュ君も、ミミコも、オヤジも、すぐに皆を引き連れて各地を巡ろう。


 きっと楽しいに違いない。


 想像以上の絶景を目の当たりにし、私の心が世界に掴まれる。


 ダメだ。震えが止まらない。

 まだ作戦が残っているというのに。

 私はキュースィーちゃんをうまく投げれるだろうか。


 

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