第123話 去りゆく人々
「あら先生」
日が暮れてから訪れる者がいたので扉を開くと、そこにマリア・バタイユが一人でひっそり立っていたのでその家の若い主婦ジェーンは驚きました。
「こんな時間にどうなさいまして? まあ、雨が降ってますね」
ジェーンはマリア越しにおもてを見ました。
その小さな家は王都の商店街の一角にありますが、今は弱い雨が降り、通りを歩く人は一人もいません。
マリアは自分と年齢が近いジェーンに頭をさげました。
「ごめんなさい。今日はお願いがあってまいりました。こちらでこの子を預かっていただけないかと思って……」
「まあ、ワンちゃん」
ジェーンはしゃがむとマリアが綱につないで連れてきたボーダーコリーの頭をゴシゴシ撫でました。
ブラックアンドホワイトのボーダーコリーの顔が、みるみるほころびます。
「うちにいただけるならうれしいですけど、突然どうしたんです?」
「実は道場を引っ越すことにしたんです」
「まあ、どちらに?」
「ゼップランドを出て遠いところへ行きます」
マリアは目的地を明言しませんでしたが、ジェーンは気にしませんでした。
「そうですか。それはさびしくなりますわ……あ、ミック。先生が犬を連れてきてくださったわよ。あなた欲しがってたでしょ? 先生にお礼いいなさい」
「わあ、マリア先生ありがとう!」
ミック少年はボーダーコリーに飛びつきました。
犬も負けじとちぎれんばかりに尻尾を振ります。
「ママ、この子ぼくの部屋に連れて行っていい?」
「いいわよ。あ、遊ぶ前にワンちゃんの足をきれいに拭きなさい。わかった?」
「わかった! あ、マリア先生!」
ミック少年とボーダーコリーは同時に振り返りました。
「この子の名前はなんていうの?」
問われたマリアは胸にさしたガラスのブローチをそっと撫でました。
中に四つ葉のクローバーの押し花が入っています。
「……アレクセイです」
「行こうアレクセイ!」
「マリア先生、お待ちください」
ジェーンはすぐ去ろうとするマリアを呼び止めました。
「雨が降ってますわ。傘を……先生?」
ジェーンは家を出ておもてを見渡しました。
通りに人影はなく、マリア・バタイユの姿は跡形もありません。
ただ夜の弱い雨が、静かに石畳を洗っていました。
「……帰ってきたぞ」
暗闇の底で一人うごめいているのはクルシミの古参信者リュウです。
ここはクルシミの総本山となる宿場町【崇拝】です。
今朝生贄の儀式が行われた火の山ふもとのピラミッドから、リュウは命からがら逃げ出しました。
ほかにも大勢信者がいたのですが各国騎士団に追われ、町に帰ってきたのはリュウ一人だけです。
「ほかの連中はみんな捕まったか殺されたな」
リュウはお腹を押さえて町の中央広場に足を運びました。
昨日前夜祭を開いた広場に、まだかすかに祭の名残りのお菓子やワインの甘い匂いが立ち込めています。
「……」
リュウは広場の石畳にうつ伏せに倒れました。
逃げるとき騎士に剣でお腹を刺されたのです。
「リュウ」
そのときヒタヒタと、複数の軽い足音が聞こえました。
「……エイジ?」
リュウは今にも閉じそうな目を見開きました。
まだ十歳ぐらいに見える、あどけない少年の顔をしたエイジがリュウを見つめています。
「刺されたの?」
「なに、たいしたことない。おお、みんなも一緒か」
エイジのそばにナミ、マックス、ノーラ、ダミアン、アニーもいました。
みんな子どもに戻っています。
「リュウ痛くない?」
リュウを慕っているアニーが心配そうに声をかけます。
「平気平気! それよりみんな無事だったんだな。よかった、本当によかった」
リュウは痛みを忘れて笑いました。
「リュウさん、ぼくお腹空いた」
「ちょっとなにいってるの」
アニーがダミアンを小突きます。
「ハハハ! よし、傷が癒えたらダミアンが好きなイノシシ肉のシチューを作ろう」
「やったあ!」
「じゃあおれとエイジでイノシシ取ってくるよ」
マックスが腕まくりします。
「わたしとナミは山菜摘んでくるわ」
ノーラの提案にナミもうなずきます。
「ええ、行きましょう」
「みんな今はリュウをゆっくり休ませよう」
「いいんだエイジ。このケガはすぐ治る。そうかそうか、なあエイジ」
「なんだい?」
「もう外の世界に出て行くのはやめよう。修行なんてしなくていいから、みんな一緒にここで静かに暮らそう。料理はおれが作る。なあエイジよ」
「わかった。そうしよう」
「そうか。わかってくれるか。よかった。本当によかった……」
そのとき一粒の水滴がリュウの頬を打ちました。
雨が降ってきたのです。
「雨か。濡れたら風邪を引く。みんな先に宿舎に帰っておいで。おれはあとからゆっくり行くから」
「……」
枝に止まったフクロウは、一人でなにごとかブツブツつぶやく中年男性を見つめていました。
しばらくすると男性の声が聞こえなくなり、雨が激しさを増しました。
フクロウは枝から飛び立ち、森に帰りました。
リュウの体から流れ出した血を雨が洗います。
一世を風靡したカルト教団クルシミは、こうして終焉を迎えました。
王都ローズシティに向かう外輪蒸気船アルゴ号の船室にブルックとイオリはいました。
火の山でカミを倒してから一週間後の夜です。
船室は広く、固定式の椅子に座ったブルックは窓から夜の海を見つめ、イオリはベッドで横になっています。
ブルックは白いTシャツに短パン、イオリはおへそが見える短いタンクトップに紐みたいに細いショートパンツという、ともにラフな格好です。
今夜のブルックは左耳のリングピアスを、イオリは雫型の赤いピアスを外しています。
イオリはオッドアイの瞳を夜の海に向けました。
火の山での戦いを終えた翌日に右目の瞳は黒に戻り、視力も回復しました。
しかし左目の瞳は青いままで、視力も戻りません。
「片目の剣士は珍しくない。気にするな」
「そうかい……じゃあ、いいかい?」
「うん」
イオリはベッドの上で照れ臭そうにうつむきました。
「いいよ」
「えと、じゃあ、やろう」
ブルックはベッドにあがるとイオリに這い寄りました。
イオリは恥ずかしそうに胸を押さえて待っています。
「し、失礼しま~す」
ブルックは蛸のように唇を突き出し、イオリの唇に接近しました。
「……待って」
「うぐ」
ブルックがへんな声を出したのは突然イオリが手を突き出し、ブルックの顔面を押さえたからです。
「あ、ごめん、痛かった?」
「いや平気。きみのほうこそ大丈夫? まだ左目が痛むかい?」
「痛くない。聞いてくれ。おれの旅は、まだ終わってない」
「どういうこと?」
イオリはここで初めて語りました。
カルマがもともと人間であること。
クルシミの信者の多くがカルマになったこと。
自分の幼なじみを殺したのは自分の父母とその友人だったこと。
そして第七官界でイオリはカルマと化した父母を殺し、幼なじみの仇を討ったこと。
「そんな恐ろしいことがあったのか」
「父が最期にいったんだ。すべてのカルマに死を与えてくれと。カルマはまだ大陸にたくさんいる。百体か、あるいはそれ以上か。彼らを全部死なせるまで、おれの旅は終わらない。だから……」
「わかった。じゃあきみと結ばれるのはしばらくおあずけだ」
「すまん」
「でも、キスぐらいいいだろう?」
「……どうぞ」
イオリは目を閉じ、薄く開いた唇を差し出しました。
ブルックはその唇にキスしました。
「……オホン、クロ、ルーク入ってきなさい」
部屋の外でこっそり聞き耳を立てていた二人はブルックに声をかけられ、バツが悪そうな表情で部屋に入ってきました。
「予定変更だ。パーティーを始めよう。ケーキとジュースで乾杯だ!」
「キャハハハ!」
クロとルークはベッドに飛び込み、ブルックとイオリに抱きつきました。
すぐにギターの音と歌声が聞こえてきます。
「よし、次はア・ハードデイズ・ナイトだ! ……」
四人が陽気にはしゃぐ声は、夜が更けてもずっと続きました。
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次回最終回です。




