第124話 最終回 アガルタのイオリ
「お~い……」
「なんニャ?」
外輪蒸気船アルゴ号の客室でクロは目覚めました。
窓から差す朝日が室内を明るく照らします。
「今の音はなんニャ? 波の音じゃないし……うわ!」
眠い目をこすってデッキに出たクロは仰天しました。
「王子さま~」
夜明けの海は王都のバザールのように、大勢の人でにぎわっていました。
ブルック一行の帰港を待ちきれない人々が自前の船で沖に乗り出し、蒸気船をぐるっと囲んでいるのです。
王都の港は英雄の帰還を歓迎する人々であふれ返っていました。
「王子さま!」
「お帰りなさい!」
「ありがとう、どうもありがとう」
押し寄せる人々をなんとかかきわけ、一行は馬車に乗り込みました。
ブルック、クロ、イオリは馬車の窓から沿道の人々に手を振りました。
「王子さま、なんてお美しい!」
「クロちゃんかわいい!」
「ルークもかわいい!」
「イオリさま抱いて!」
「イオリ~おれも抱いてくれ~」
熱狂する人々の列は、港から城までまったく途切れません。
おそるべきカミを打倒したことを祝う記念行事は、一行が帰京したその日の夜から始まりました。
名誉勲章授与式や、王都の住人全員が参列したといわれる盛大なパレードや、城での大宴会が一か月間ぶっ通しで続き、ブルックもクロもイオリも旅のときよりへとへとに疲れました。
旅の途中で死んだジェット・クーガー、カイ・セディク、アンナ・レンブラントにも名誉勲章が授けられました。
三人は城にほど近い英雄墓地に埋葬されました。
これは宴会続きのある夜のできごとです。
「ルークがいない」
大宴会場でブルックがイオリに見打ちしました。
クロは有名な舞台俳優とデュエットを踊っています。
履いてきる木靴がポクポクかわいらしい音を立て、それを聞いた人々は喜んで手を叩きました。
「真夜中なのにどこへ行ったんだろう?」
「たぶんあそこだ。ちょっと行ってくる」
イオリはこっそり城を抜け出し、英雄墓地に向かいました。
すると果たしてジェットのお墓の前に、ルークがいました。
「ああ見えてジェットは寂しがり屋なんだ。ぼくが相手しないとだめなんだ」
「そうかい」
イオリはルークを抱きしめ頬にキスしました。
ネコのようにゴロゴロ喉を鳴らし、ルークが喜びます。
「よかったねジェット。イオリがきてくれたよ」
イオリはルークを膝に乗せ、墓前に座りました。
それから二人はジェットを喜ばせようと、夜が明けるまで旅の思い出を語り合いました。
一か月に及ぶ乱痴気騒ぎが終わると、イオリは城の中にあるゲストハウスに案内されました。
「ここがイオリの家ニャ」
案内したクロが説明します。
「ずっとここにいていいとブルックがいってるニャ」
ゲストハウスは二階建ての瀟洒な屋敷です。
居間で寛ぐ二人にメイドがお茶を淹れます。
「ありがとう。クロはどこに住んでるの?」
「わたしも別のゲストハウスに住んでるニャ。これを」
クロはポケットから黒い石を取り出しました。
イオリのアイデンティティ・ロックです。
「イオリが使ってるタナカ商会の口座に成功報酬の二十億ベルは振り込んであるニャ」
石を返しながらクロが説明します。
「まさか地上最強の剣士から石を奪おうとするマヌケはいないはずニャ。それに石を盗んだところで本人の確認が取れなかったら金は引き出せない。アイデンティティ・ロックと石を持参した人物を上級魔法使いが照会するから身元確認は万全ニャ。それより心配なことがある」
「なんだい?」
「これからイオリのもとに寄附を求める人々が殺到するニャ。慈善活動家や学者を自称する連中や詐欺師がうまいこといってイオリの金をむしり取ろうとする。
そんなやつらに金をやる必要はないニャ。
二十億ベルはイオリが血と汗と涙を流して得たお金ニャ。だからイオリの生活と贅沢のためだけに使ってほしい。
わたしだけでなくブルックもそういってるニャ」
「わかったそうする。ところでクロはもう報酬もらったの?」
「もちろんニャ。イオリと同額の報酬ニャ」
「その金なにに使うの?」
「エヘヘ」
クロはただニヤニヤ笑って、お金の使い道を話しませんでした。
ゲストハウスで暮らし始めて、イオリは本格的に左目の治療を開始しました。
左目の瞳は青いままで視力も戻りません。
白い髭を生やした恰幅のいい宮廷医師は、苦渋の表情でイオリに診断の結果を告げました。
「残念ながら、左目の回復は難しいですな」
「やはりそうですか」
イオリは片目の剣士として生きる覚悟を決めました。
ブルックは毎日忙しそうに働いています。
ローズ家のしきたりで相変わらず女の子のドレスを着ていますが、立て直しが急務な黄金騎士団の新メンバーとひんぱんに面談したり、部下になにごとか指示を出したり、クロやルークを連れて視察に出かけたり、王の代理で各国王族と面会したりと休む暇などありません。
ブルックの凛々しい姿を遠目に見るイオリの顔に笑みが浮かびます。
(ブルックのやつ、かっこいいな)
どんなに忙しくてもブルックは夕食を必ずイオリのゲストハウスで取りました。
クロとルークも一緒です。
夕食の話題はたいてい旅の思い出です。
「ショーティがウクレレの主題を変えて新しいメロディを弾いたらブルックまで踊り出したから驚いたニャ」
「ぼくのダンスかっこよかっただろう?」
「ペアダンスの振り付けを一人で踊ってたからへんだったニャ」
「キャハハ! それ見たかった」
にぎやかな夕食を楽しみながら、イオリはそっと胸を押さえました。
間近にブルックを見て胸がドキドキするのです。
(おれ、女になってる)
女性が自分の女性性を自覚するのは悪いことではありません。
自然ですばらしいことです。
しかし笑顔で食事をとりながら、イオリは自分にいい聞かせました。
(旅立つときがきた)
秋が深まったある日の夕刻、イオリは一人でゲストハウスの庭に立ちました。
腰に不知火丸をさしています。
周囲で枯葉が待っています。
イオリは不知火丸を抜きました。
瞬きする間に舞っていたすべての枯葉は二つに斬られ、あっという間に風にさらわれました。
「よし」
不知火丸を鞘に戻し、イオリは満足そうにうなずきました。
「目が合った」
その日イオリはまだ暗いうちに起きました。
書き置きは残さず、黒革の背嚢一つ背負い、腰に愛刀不知火丸をさし、いつも通り竜皮のツナギを着て屋敷を出ました。
城門前のお堀に架かった跳ね橋を一人で渡りきると、背後から声をかけられました。
「もう行くのかい?」
橋の手前にブルックとクロがいました。
二人の背後にローズ王と十二人の子どもがいます。
子どもたちはアンナが結成した盗賊グループ怪物団のメンバーで、今は黄金騎士団で下働きしています。
ある程度の年齢になったら、全員騎士に昇格する予定です。
「カルマ退治に行くんだろう? ぼくらも行くよ」
旅のときと同じセーラー服を着たブルックがのんきに跳ね橋を渡り、クロも当然の顔で木靴をポクポク鳴らしてついてきます。
「お、おい、なにを……」
「国民の安全を守るのは王族の義務だ。だからぼくも行く。さて、今後の予定は?」
イオリは軽くため息をついて計画を話しました。
「最近ゼップランド国内でカルマ出現の報告はない。今カルマ出現の報告はゼップランドの友好国シップランドに集中している。シップランドに行く」
「よし! また船旅だね。というわけで父上、行ってまいります」
「うむ、国のことは心配するな」
火の山での儀式以来、すっかり往年の覇気を取り戻した王が重々しくうなずきます。
「イオリ、クロ、倅を頼む」
「わかりましたニャ!」
「おまかせください」
クロとイオリは片膝ついて頭をさげ、その横にいるブルックはルークに声をかけました。
「ルーク、父上を頼んだよ」
「まかせて」
虚空に浮かんでいたルークは王の肩に舞い降り、そこに座って羽根を畳みました。
不敬もいいところですが王はニコニコ笑っています。
「女神さま」
そのときクロがわたしの存在に気づきました。
「また旅に出ますニャ」
「行ってらっしゃい。かわいいかわいいわたしの娘」
わたしが頭を撫でるとクロはネコのようにゴロゴロ喉を鳴らしました。
「女神さま、質問があるニャ」
「なんです?」
「火の山に出現した女神、あれはブルックが魔法で召喚した幻とみんな思ってるけど、あれは本物の女神さまでしょう?」
「シ―ッ」
わたしは唇に指を当てました。
「それは秘密です」
「では行ってきます!」
ブルックが手を振り、王と子どもたちも一斉に手を振り返しました。
王の肩から飛び立ったルークが大声で呼びかけます。
「王子さま元気でね!
クロ、魔力の使い過ぎに気をつけて!
イオリ、二人を頼んだよドラゴン殺し!」
「いや、その二つ名はもうやめた」
振り返ったイオリは笑顔で告げました。
「今日からおれは
『アガルタのイオリ』だ」【完】
~・~・~・
『アガルタのイオリ』を最後まで読んでくださりありがとうございます。
みなさんとお会いできてイオリもクロもブルックも心から喜んでいます。
本当にありがとうございました。
あしたから現代日本を舞台にした怪奇アクション
『少年呪術師』
を連載します。
毎朝5時投稿します。
どうぞお楽しみに!




