エピソード7:聖人君主に光あれ!!①
遡ること数分前、唐突に尋ねてきた安常夏明は、うろたえるユカを横目にスタスタと中へ入ってきて、赤いコートを優雅に翻し、二人がけのソファの中央に腰を下ろした。
ワンテンポ遅れて衝立から顔を出した政宗は、ドヤ顔でこちらを見ている知らない人物に眉をひそめるしかない。
「あの、大変失礼ですが、どちら様でしょうか……?」
「ん?」
夏明はチラリと政宗を見上げた後、口元に意味ありげな笑みを浮かべて自己紹介をする。
「どうもそうも、巷で噂のまー君のカノジョで~す」
「まー、君……? え? 誰? 彼女?」
某野球選手を思い浮かべた政宗は、焦っているユカの側へ近づき……彼女から夏明の名前を聞いた瞬間、目を見開いたのだった。
数分ですっかりくつろいでいる夏明は、茶菓子として出された『かもめの玉子』を飲み込んだ後、お茶で口内を整える。そして、視線を泳がせる政宗を笑顔で見つめながら、にべもなく言い放った。
「そういえば私は、佐藤さんから挨拶もおもてなしも一切合切受けていないことに思い至ってしまってね。だから来ちゃったんだ」
「そう、ですね……すいません、こちらからセッティングすべきことを……」
「その通りなんだよね。まぁ、かくいう私も今日まできちんと時間が取れなかったから別にいいよ」
夏明は再度お茶をすすった後、改めて政宗を見やり。
「改めて、安常夏明です。漢字で書くと、安全運転の『安』に諸行無常の『常』、夏季休暇の『夏』に明朗会計の『明』、名刺はないので覚えてね」
「ご丁寧にありがとうございます、佐藤政宗です。これからお世話になります……」
とりあえず政宗も名乗った後、名刺を取り出して夏明へ差し出した。夏明はそれを片手で受け取った後、ワイシャツの胸ポケットに片付ける。そして。
「山本さんに関する提案は、既にご存知な感じ系?」
急に大切な話を始めるものだから、政宗は一瞬面食らったが……すぐに居住まいを正し、首を縦に動かした。
「そうですね。一応、聞いています。ケッカ……彼女を正常な状態に戻すために、安常先生が力を貸してくださると」
「イエス、大体そんな感じ。で、それについて佐藤さんはどう思ってる系?」
「どう、って……可能性があるなら、賭けてみたいと思いますし――」
「――質問をもっと具体的にしようか。結果として彼女が死んだり、直接的に手を下すのが佐藤さんになる可能性が高いことについては、どう思ってる系?」
「それ、は……」
あまりにも直球で尋ねられ、政宗は思わずたじろいだ。夏明はそんな彼の迷いを察しながら気遣う素振りも見せず、あえて、最も厳しい『未来』を問う。
「勿論、私も佐藤さんも最善を尽くすに決まっているよ? ただ、『一生懸命頑張りました』だけではどうしようもならないことがあることは分かっていると思う。最善と思った手段の先が最悪の事態になった場合……現実を受け入れられるかどうか、教えて欲しい系」
表情を変えずに言葉を紡ぐ夏明は、ここで一度、言葉を切った後。
「要するに……後追いをしないと、ここで誓える?」
真っ直ぐな問いかけに、政宗は思わず言葉に詰まった。
結果を受け入れる。
ユカの後を追うようなことも、しない。
二人の前ではっきりとそう答えて、自分の覚悟を示しておきたい。
示せるはずだと、数秒前まで思っていた。
迷ったところで、目の前の人物に頼るしか……道はないのだから。
心の中に渦巻く迷いを悟られたくなくて、反射的に膝の上で両手を握りしめる。
「俺は勿論、成功させます、けど、それで……」
刹那、足を組み替えた夏明が、「申し訳ないけれど」と彼の言葉を遮った。
「君の願望を聞いているわけではないんだ。私が聞きたいのは覚悟、それだけなんだけど、な」
「覚悟、ですね……」
答えは決まっているはずなのに。
躊躇っている。
自信がない。
もしも、彼女を失ってしまったら。
自分自身が、手を下すことになってしまったら。
――想像しただけで、息が詰まる。
「俺は……」
口の中が乾いている。声をうまく発することができない。
夏明の射抜くような眼差しが、怖い。
答えを決めたはずだったのに。
口に出して、誓いにしてしまうのが、怖い。
政宗が唇を噛み締めた、次の瞬間――
「――それは、実際そうなった時、政宗の好きにさせてあげてもらえませんか?」
これまで黙っていたユカが、はっきりとこう言った。
反射的に、隣に座っている彼女を見る。
その横顔に、眼差しに、迷いは一切ない。
夏明は口元にうっすらと笑みを浮かべると、「なるほど」と相槌を打って。
「好きにさせてあげてほしい……要するに、山本さんは彼が自分を追っても構わないと?」
「はい」
「ケッカ!?」
躊躇せず言い放ったユカに、政宗が面食らってしまった。
ユカはあえて、政宗の方を見ることはせず、正面に座っている夏明を見据え、淡々と言葉を紡ぐ。
「政宗の人生なので、彼がどう生きるのかは彼が決めるべきだと思います。ただ……すいません、これはあたしの願望なんですけど、今の政宗は、そんな無責任なことはしない人だと思っています」
淀みなく言葉を紡ぐ彼女は、ニヤニヤしている夏明へジト目を向けた。
「というか、そもそもですけど……安常先生は失敗する未来なんて、想定していらっしゃらないですよね?」
ユカが試すようにこう尋ねると、夏明は肩をすくめて「そりゃあ勿論」と息を吐く。
「最初から失敗するつもりで、他人の命を預かったことなんかないよ。ただ……今回はあまりにも、常識が通用しない系だからね。佐藤さんの気持ちが固まっていないならば、私はさっさと手を引いてもいいとさえ思ってる系」
夏明はこう言って、改めて政宗を見据えた。
次の瞬間、隣のユカが右手を握り、彼の膝を軽く小突く。
「げなよ、政宗。どげんすると?」
覗き込むように見つめるその瞳には、10年前から変わらない信頼があった。
政宗は一度、大きく呼吸を整える。そして、膝に残っていた彼女の手に、握った自分の左手を軽く突き合わせてから……背筋を正し、頭を下げた。
そして、顔を上げてから、夏明を見据える。
「ケッカのこと、よろしくお願いします。俺にできることは、全力で最善を尽くします。その上で……結果を、受け入れます」
この決意を真正面から受け止めた夏明は、口元に満足そうな笑みを浮かべた。そして、椅子の上で居住まいを正すと、2人へ向けて頭を下げる。
「分かりました。勿論……私も、最善を尽くします」
こう言って顔を上げた夏明は、強い眼差しで成功を誓った。
「とりあえず、細かいことは年明け以降になるとして、っと……」
夏明は改めて2人へ簡単な流れとスケジュールを説明した後、書類へ視線を落としている政宗を見やり。
「要するに佐藤さん、山本さんと結婚のご予定は?」
「はっ!? はははははいっ!?」
ど直球にも程がある問いかけに、政宗は思わず書類を取り落とした。ユカは冷静に彼の足元へ落ちた書類を拾い上げてそれを渡すと、夏明へジト目を向けて言葉を返す。
「それ、今、関係ありますか?」
「モチのロン。オオアリクイだよ山本さん」
「関係なさそうですけど……」
「いやいや、本当に関係あるんだって。山本さんへの治療は命に関わる可能性がひっじょーに高いから、家族が色んな同意書にサインをする必要があるんだ。けど、山本さんのご家族はいないんだったよね。そこで最も便利なのが、配偶者の存在ってわけ」
「配偶者……」
夏明が茶化すだけではないことを悟ったユカが、キーワードを繰り返す。
年齢も20歳を超えたことで、諸々の手続きは問題なくできると思っていたけれど……どうやら、そう簡単にはいかないらしい。
ユカが食いついたことに気を良くした夏明は、制度の利点を雄弁に語った。
「赤の他人同士が紙切れ一枚に署名して役所に出すだけで、相手に対して法的にとても強い権利と責任を背負うことができる、私たち側としても便利な存在だよ。2人みたいに頼れる身内がいないなら尚の事。だから、もしもそーゆー予定があるなら、事前に把握しておこうと思った系。マジで用意する書類の種類とか数とか、変わってくるからねー」
「なるほど……便利そうですね」
夏明の言葉に、ユカはポツリと呟いて思案した後……政宗を見上げた。
「……」
「な、何だよ……」
嫌な予感しかしない。真顔で自分を見つめるユカに引きつった声を返した政宗は、次に彼女が紡ぐであろう言葉を予測して、自分の考えを組み立てる。
どーせ彼女は「結婚って実は使えるね」程度の認識しかないのだろう。大多数の女性が憧れるであろうウエディングドレスなんてアウトオブ眼中。専用の用紙を出すことで自分がどれだけ不便なく立ち回れるようになるのか、あの横顔はそんな損得勘定で未来を考えている顔だ。間違いない。
これを好機ととらえるか、それとも――政宗が大急ぎで煩悩を精査していると、ユカが真顔で口を開いた。
「ねぇ、政宗」
「何ですか……?」
「結婚って……思ったより使えそうやね。政宗が良ければ、籍だけでも先に入れとく?」
「……で。結局、どうなったんすか、佐藤支局長」
その日の夕方、定禅寺通を歩きながら、ダッフルコートを着た環が肩越しに政宗を見やる。形式的な相槌、という表現がしっくりくるような無表情に、隣を歩く仁義も思わず苦笑いを浮かべてしまった。
日が落ちるのもすっかり早くなったため、時刻は夕方だが、周囲はすっかり暗くなっている。頭上のイルミネーションは今日も変わらない明るさで世界を照らし、多くの人を呼び寄せていた。
しかも今日はクリスマスイブということもあり、どこへ行っても普段以上の人混みでごった返していた。ファミレスやファーストフード店の入り口付近には空席を待つ人の列が途絶えず、自動ドアは常に開いたまま。コンビニの店頭ではクリスマスケーキを販売する特設ブースが設けられており、立ち止まる人も多い。
政宗はそんな人々にぶつからないよう注意しながら、前方を見据えて顔をしかめる。
「便利だけで自分の一生を決めるもんじゃないって言っといたよ」
「マジすか。千載一遇の超ラッキーチャンスを自分から棒に振ったんすね」
「……」
確かに環の言う通りでもあるため、政宗は二の句が継げなくなる。見かねた仁義が「まぁまぁ森くん」と2人の間に割って入った。
「これはお二人の問題だから、僕たちは経過を見守るだけにしておこうよ」
「見守ってるっすよ、個人の感想を言っただけで」
環の言い訳に、仁義は「そうだね……」と言葉を濁しつつ、話の軌道修正を試みる。
このままだと、政宗の傷をえぐって、塩を塗りたくるだけになってしまいそうだから。
「森くん、冬休みはどこか出かけたりするの?」
ありきたりな話題を振ってみると、環はふるふると首を横に動かした。
「いや……特に。親は正月とか関係ないんで」
「そっか……大病院の看護師さんは大変だよね。家に1人だと寂しくない?」
引き続きありきたりな話題を振ってみると、環はふるふると首を横に動かした。
「長時間ゲームができるんで、問題ないっすわ」
「そっか……パソコンのゲーム?」
「そっすね。最近は『アルティメット』ってオンラインゲームにハマってて」
「あ、それ、僕もインターネットの広告で見たことあるよ。究極の自分で挑むとかってやつだよね?」
仁義の言葉に首を縦に動かす環。そんな2人の様子を、政宗は半歩後ろから見守っていた。
2人は同郷――正確には異なるが、石巻に縁がある学生同士、ということで、以前よりも親交が深まったように感じる。
特に環は、仁義の行動によって、昔なじみの女性と疎遠にならずにすんでいるのだ。諦めて手放そうとした『関係縁』、それを強い意志で結び直した姿を目の当たりにしているため、仁義に一目置いている様子がある。
同年代だが生まれながらの才能がある心愛とは違い、同じ中途覚醒という共通点もある。ユカが意図的に仁義と環をペアで行動させた結果、2人の連携は以前よりも更に自然なものになっているように感じていた。
だからこそ。
今回は彼に任せよう、そう思える。
政宗は感じた違和感の先を見据え、一度、白い息を吐く。
ほぼ同じタイミングでそれを感じ取った仁義が、一瞬、政宗の方へ軽く振り向いて……政宗が頷いたことを確認した後、環へ向けて、雑踏に紛れるように声をかけた。
「それで森くん、何か違和感がある方向や地点はある?」
「あー、そうっすねぇ……」
ちょうど、信号待ちで立ち止まったところで、環は視線を上へ向けた。既に日は落ちており、暗闇が世界を急激に覆い隠している。動いていないと風の冷たさが身にしみるため、無意識のうちに身震いをしていた。
周囲が浮足立って移動している最中、環は黒目だけを動かして周囲の検索を始め……ある方向で動きを止めた。
「あっちの……地下鉄の駅の方に、何かあるんじゃないかと」
そう言った彼が見つめるのは、地下鉄の勾当台公園駅がある方向。仁義は内心、「またか」と思いつつ――先日からトラブルが頻発している場所だから――最終確認のため、改めて政宗を見やる。
政宗も表情を引き締めた後、一度だけ頷いた。
「じゃあ、行くか」
同時刻、場所はJR仙台駅の東口。
塾の冬期講習を終えた島田勝利は、仙石線を使って帰宅するため、地下にある改札へ向かうエスカレーター前にいた。
黒いコートを羽織り、同系色のリュックを背負っている。その中には参考書と問題集がギッチリと詰め込まれているので、持って帰るだけで一仕事だ。
けれど今は、講習が終わった開放感の方が強い。真冬の夜空へ白い息を吐きながら、勝利は数時間ぶりに地声で思いを吐き出した。
「いやー、今日もみっちり勉強したって感じだね!! 僕、お腹すいちゃったよ」
「……そうだね。でも、島田くん、最後の古文は寝てたんじゃない?」
塾で同じクラスの少年が、からかうように勝利を見やる。指摘された勝利は気恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた後、「あーあ」と呟き、空を見上げて息を吐く。
白い息は霧散して、すぐに消えてしまった。
「世間はクリスマスだって浮かれてるのに、受験生には関係ないよねー。まぁ、遊んでる暇なんてないんだけどさ」
「……そうだね。年明けにすぐ、入試だから。本当……あっという間だね」
友人の言葉に勝利は「そうなんだよねー」と頷いた後、顔と口角を上げた。
今日も、分からない問題があった。
模擬試験の判定は、『A』にまだ届かない。
けれど……背筋を伸ばして、前を向いて。
今、自分に出来ることを全力で。
それがきっと、勝利が憧れる『あの人』へと近づく方法だ。
「合格したら相楽くんとも同じ高校だし、最後まで頑張ろう!!」
勝利の力強い言葉に、彼もまた「うん」と柔らかい笑顔で頷いて。
「お互い頑張らないとね。じゃあ、僕はバスだから……また」
友人と別れた勝利は、帰宅するためにエスカレーターで地下へ下る。
荷物を持ち直して、改札をくぐって……すれ違う、繁華街へ遊びに行く人々が、羨ましくないと言ったら嘘になってしまうけれど。
「僕は……今、頑張らないと……!!」
未来の自分のために、勝利はそう言い聞かせながら、電車の到着を待った。
政宗たち3人が勾当台公園駅の近くへ移動すると、そこは更に多くの人でごった返していた。
人々の目当ては、イルミネーションと、公園内で行われているクリスマスのイベント。公園の外周をぐるりと飲食ブースが取り囲んでいる一方、公園の中央には巨大なクリスマスツリーが文字通り輝きを放っていた。冷たい夜空の下にある、華やかな世界。この前で写真を撮影するために、多くの人が立ち止まり、ポーズを決めている。
そんな、中で。
「……あれ、何してるんすかね……?」
環が指さした先、多くの人が入れ代わり立ち代わり動き続けている、巨大ツリーの根本。
そこで仰向けに寝転がっている、1人の青年がいた。
主人公にとって『結婚』は『手段』なんだなぁ、と、改めて感じました。
政宗もそれをうまく利用して、さっさと既成事実(入籍)を作ればいいのに、と、私は思います。そんな展開にはしませんけど。




