エピソード6.5:誰そ彼サンタクロース
12月24日、祝日明け、おまけにクリスマスイブの午前中。
『透名内科・小児科クリニック』には、体調を崩した大人や子どもが、朝からひっきりなしに来院していた。ロビーに3列並んでいるソファは常に満席、櫻子たち内勤のスタッフがパイプ椅子を出したりして対応している。
そんな院内の処置室、周囲の消毒を終えた聖人は透明なゴム手袋を両手から外すと、蓋付きのゴミ箱へ棄てた。朝一番で空っぽにしたはずなのに、中はもう半分ほど詰まっている。それだけ、自分たちを頼る人が多いということだ。
口元を不織布のマスクで覆い、激務と戦っている白衣にはすこしくたびれた気配。朝晩は冷えるので厚手の靴下といつもの健康サンダルのおかげで、彼は風邪を引くこともなく仕事に邁進できていた。
冷え込みが厳しくなり、空気が乾燥しているこの時期は、インフルエンザ等も流行しやすい。聖人もつい先ほどまで、高熱で朦朧としていた子どもの処置を行っていた。検査結果が出るまでにあと15分ほどかかるが、恐らく陽性だと思う。患者の年齢と体重、既往歴から、最適な薬を思い浮かべていると……引き戸を開けて入ってきた彩衣が、こちらへ近づいてくる。
彼女も聖人と同じマスクで口元と鼻をガードしており、髪の毛はバレッタで一つにまとめ、ズボンタイプのナースウェアを着用している。
そして、やっと少し減ってきたカルテの下に、彼女が持ってきた10人分を追加した。
「彩衣さん……スパルタが過ぎない?」
聖人がどこかおどけたような口調と共に彼女を見ると、彩衣は表情を変えることなく言い返す。
「……申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「ハーイ」
彩衣に愚痴をこぼしたところで、病人が回復するわけではない。聖人はマスクを外してペットボトルの蓋をあけると、水を飲んで喉を潤した。乾燥は大敵だ。
「彩衣さんもちゃんと水分を補給してね」
「……分かりました。ひとまず、次の方をお呼びします」
「ハーイ」
聖人が了承を示したことを確認した彩衣は、踵を返し、処置室から出ていった。
その背中を見送りつつ、マスクをつけ直し、一番上にあるカルテを取る。
そこにはこれまでの既往歴と、今日、どんな症状で来院したのか、彩衣が待合室で聞き取った内容が記載されていた。
「次の子は……熱と吐き気、関節の痛み……」
頭の中である程度の道筋を組み立てつつ……聖人は不意に、先日のことを思い出す。
夏明と共に彩衣の待ち伏せをした、あの日のことを。
業務を終えた病院の駐車場で彩衣を待ち伏せしていた2人は、何も知らない彼女を連れ出した。
富谷市の隣、仙台市泉区。宅地と商業施設がある『泉パークタウン』と呼ばれるエリア内のホテルにあるレストランへ。イルミネーションを見ながらクリスマス限定のメニューを楽しめることで人気の店だ。
時刻は間もなく19時。事前に予約をしておいたので、すんなりと、3席用意された丸いテーブルへ案内された。とりあえず着席し、各々が飲み物を――全員がノンアルコールを――注文したところで、夏明が仰々しく「ふぅ」と息を吐く。
「思いの外、道が混んでいたね……みんな、さっさと家に帰ればいいのに」
それを聞いていた聖人が、手拭きを手にとって口を開いた。
「みんなが家に帰っている時間帯だから、混んでいたんじゃないかな」
「そんな面白みのない正論、お呼びでないのだよ」
聖人のツッコミをぶった切った夏明は、どこか困惑している彩衣を見やり。
「心配しなくていいよ、ヤエちゃん。ここは、私達がゴチをするからね」
「それは……申し訳ないです。私も払いますので……」
「ノープロブレム。今日のヤエちゃんは、私たちの世迷い言を聞いて、それに乗っかるかどうかを考える素振りを見せてくれればオールオッケー」
「世迷い言……?」
話の全体像を掴めずに彩衣が首をかしげていると、飲み物と前菜が運ばれてきた。夏明はノンアルコールビールの入ったグラスを掲げ、口元に笑みを浮かべる。
「まぁまぁとりあえず、我々の再会に――乾杯」
「かんぱーい」
同じものを頼んだ聖人も便乗したので、彩衣もとりあえず、ノンアルコールのカクテルが入ったグラスを掲げる。ガラス同士が軽くぶつかって、高い音が響いた。
「それにしても……ヤエちゃんも立派になったね。私がこっちにいた頃は、まだ、非正規だった気がするんだけど。今は正規のナースでしょ?」
「そう……ですね。お陰様で……」
彩衣が当たり障りなく頷くと、夏明は「けっこうなことだよ」と頷きながら、聖人を横目で見やる。
「まー君がちゃらんぽらん過ぎるから、余計に立派だって思っちゃうよねー」
「なっちゃん、いちいち自分を引き合いに出して傷物にするの、お家芸みたいにしないで欲しいな」
「安心したまえ、君は心臓がダイヤモンドだから砕けないよ」
そう言って夏明はグラスの中身を一口飲むと、それをテーブルに置いて……居住まいを正した。
そして、どことなく緊張した面持ちの彩衣を見据え、彼女をここへ呼び出した本来の用件を語りだす。
「さて、ヤエちゃんにそろそろ、私の世迷い言を聞いてもらおうかな。とりあえず……これから話をすることは、現時点であくまでも(仮)の状態なんだ。その前提条件は頭に入れといてね」
「はい……」
彩衣が頷いたことを確認した夏明は、彼女に、自身がこれから行おうとしている計画、その一端を告げた。
ユカを本来の姿へ戻すため、医療的な観点から治療とサポートを実施したいと考えていること。
そのためには、本人は勿論、周囲との連携が必要になること。
そして。
「山本さんの回復をサポートするために、ヤエちゃんには訪問看護師として従事して欲しいと思っているんだ。なんか、似たようなことやってたんだってね」
メインの肉料理を食べながら、彩衣へ核心を告げる夏明。それを聞いた彩衣は、ナイフを動かす手を止めて……夏明を見やる。
「……山本さんは、賛同していらっしゃるのですか?」
「ううん。話をしただけ。けど……彼女はこれに掛けるしかないと思うよ。あんな子が……これ以上、こんな『不安定な』状態で生きることを望むとは思えない」
ユカのことをよく知っているような口ぶりで語る夏明に、彩衣は少し訝しげな表情で問いかける。
「どうして……そのようにお考えですか?」
「実際に話をした時の個人的な手応えと直感、かな」
夏明はこう言って、どこか楽しそうに笑った。
そして、食事用のナイフを持っている右手を見やり、少しだけ目を細める。
「私としても、合法的に限界まで麻酔を使えるなんて機会、滅多にないからね。是非とも挑戦させていただきたい所存」
そう語る夏明の目が、いたく輝いていたから。
夏明の目的は間違いなくそれだけだな……と、彩衣は内心で確信しつつ、聖人を見た。そして、彼が特に口を挟まないことを確認した後、この計画をより具体的に探る。
「その……その治療は、登米の病院で行うんですか?」
「いんや、仙台の医療センターをロックオンしてる。佐藤さん……だっけ。万が一の事態になった場合、彼がすぐに駆けつけられる距離じゃないと、色々と申し訳ないからね。本人から了承の返事をもらったら、各方面から懇切丁寧に圧力をかけていただく手はずになっているよ」
「そうですか……」
彩衣はどこか現実味のない声で相槌をうつと、再度、聖人の方へ視線を向けた。
切り分けた肉をフォークで口元へ運んでいた聖人は、彩衣からの視線に気付くと……それを口に入れて、笑みを浮かべるだけ。
返事は彩衣自身が考えて出すべきだ、表情にそのメッセージを貼り付けて。
とはいえ……降って湧いたのは、突拍子もない未来計画。彩衣が返答に困っていると、夏明が「即答はしないでね。そんなの無理だから」と、軽く笑い飛ばしてみせた。
「ヤエちゃんが協力してくれると超絶ハッピーだなぁとは思っているけれど、君のキャリアを一時的に止めることにもなっちゃうからね。報酬や雇用条件はできるだけ希望に沿いたいと考えているし……山本さんも佐藤さんも、ヤエちゃんなら信用しているってまー君から聞いているよ。前向きに考えてくれると嬉しいな」
「……分かりました」
彩衣がぎこちなく頷いたことを確認した夏明は、「それでオッケー」と満足そうな表情で頷いて。
「では、ここからは美味しい食事と楽しい思い出話で、私を楽しませてもらおうかな。頼んだよ、まー君」
「なっちゃんとの思い出話……研修時代のことが多いから、食事時に話すのは不適切なんだよねぇ……」
「そこをどうにかこうにか脚色して、最終的にハートフルなエピソードにするのが、君の腕の見せどころというものだよ」
「捏造している時点で、思い出じゃないんだよねぇ……」
聖人は「ヤレヤレ」と肩をすくめつつ、とりあえず、目の前の料理を食べきることに集中した。
あれから数日、夏明はあれから彩衣の前に姿を見せていないし、彩衣自身もその話を聖人の前で口に出してはいない。
ただ……彩衣がどんな結論を出したとしても、聖人に出来ることは、それを尊重することだけ。
そうしようと、心に決めている。
聖人は、夏明のように立ち回ることが、できないから。
聖人が夏明にユカのことを相談したのは、半年ほど前……ユカが一時的に成長した後、今の状態に戻った直後のことだった。
夏明は大学時代から頼れる……色々と扱いづらいこともあるけれど頼りがいのある人物で、仕事人としては超一流だ。ともすれば保守的になってしまう聖人とは異なる視点で意見をくれるのではないかと思った。
あの時のように。
――特定の人物へ執着する理由? そうだねぇ……ド変態なんだろうから、特殊な生理活性物質でもドバドバ分泌されているんじゃない?
彩衣の兄・航が、妹に度を超えた執着をする理由。
――私は眼科医じゃないから、適当なことしか言えないけれど……まずは網膜の異常を疑っちゃうよね。
『縁故』と呼ばれる能力者にのみ、『縁』が視える理由。
その時々で、誰も答えを知らない疑問に対し、無意識か意図的かは分からないけれど、夏明の言葉にあった単語からヒントを得て、仮説を立てるまでに至ることができた。
だから、もしかしたら。
――いや、必ず。
世間話のついでにユカのことを話題に出してみたところ……夏明は驚くほど前のめりに食いついてきて。
調整に少し時間がかかったけれど、待遇の良い海外の病院を辞めてまで、日本に戻ってきたのだ。
こうなることは予測できたし、こうなって欲しかった。
聖人には、出来ないことだから。
夏明は変わらない。きっとこれからも、自分の信念に従って、己の道を突き進んでいくのだろう。赤いロングコートを翻して、相手が望むものを自分から与えに行く夏明は、さながら、サンタクロースのようだ。
一方、聖人は不確定な変化を望んでいない。これからも、自分が負けると分かっている勝負はしたくない。
熟考に熟考を重ね、ある程度の勝算がないことに手を出したくはない。
与えたプレゼントが相手に喜ばれなかったら……そう思う自分は、サンタクロースには向いていないのだ。
だから、今回の夏明の計画には……参加しないつもりでいる。
現に、夏明からも特段声はかけられていない。食事の際に彩衣が何度となく彼の方を見ていたけれど、聖人が一切横槍を入れないことで、深く関わる気がないことは察してくれたはずだ。
今はまだ、聖人がユカと夏明を繋ぐ役割を担っているけれど、夏明が『仙台支局』とつながりを作った後は、自分の出番はないだろう。
それで、いい。
周囲とはその程度の関係が、きっと――
「……次の方、入ります」
「はいはーい。どうぞー」
扉を少し開けて声を掛ける彩衣に、聖人は満面の営業スマイルで応える。
きっとこれが、聖人の最適解。
伊達先生、面倒くさいですね。




