エピソード6:水面下の表裏一体②
急に増えた、強烈な禍々しさを感じる『遺痕』に、さすがのユカも顔をひきつらせていると……その女性は植え込みを超えてこちらへ近づき、周囲をキョロキョロと見渡した。
外見年齢は30代前半から中盤。長い髪の毛をバレッタで1つにまとめ、首からは先程の女性と同じ名札をぶら下げている。黒いパンツスーツを着こなしている立ち姿から、生前はバリバリ働いていたような印象を受けた。もっとも、目鼻立ちが整った顔は血まみれで、左肩から腕にかけて、ありえない方向に折れ曲がっている。
残る『関係縁』は、左手の中指から1本と、右手の小指から1本。右手の方は薄い赤だけだが、左手の方の『関係縁』は、先程の彼女と同じく、赤の中で紫がまだら模様になっていた。こうなる相手との関係性はあまり健全でなかったことが想像出来る。
さて……離れた『関係縁』を2本同時に切るためには、どうすればいいだろうか。
すると、彼女は自分を凝視しているユカに気付き、笑顔で問いかけた。
「ごめんなさい、ここに、女性が逃げてこなかったですか?」
その声は、先程、『関係縁』を掴んだ時に聞いた声と、よく似ていて。
思ったより穏やかな態度で接してくれたことに安堵しつつ、ここで気を抜くわけにはいかない。ユカは平静を装いつつ、持っている情報を渡してみることにした。
「女性、ですか? もしかして、スーツでハーフアップの……?」
ユカが先程の女性の特徴を告げると、彼女は「多分そうです!!」と嬉しそうに手を合わせた。
「やっぱりこのあたりにいたのね……それで、どこに行きましたか?」
「えっと……スイマセン、すれ違っただけなので、詳しくは見ていなくて……」
「それでもいいです。どっちに行きましたか? それだけでも教えて下さい。私がこの手で殺さないと、気がすまないんです」
彼女は執拗に、物騒な言葉まで用いて、相手の行き先を尋ねてくる。もう少し情報を引き出したいと思ったユカは、落ち着いて会話を組み立てると、少し大げさに話しかけた。
「そ、そんなことより、お姉さんも怪我してますよね!? 何があったんですか? 大丈夫ですか?」
とりあえず表面的に気遣ってみると、彼女は赤黒くうっ血した頬をさすりつつ、笑顔でこう言った。
「あぁ、コレですか? あの女にマンションの屋上から突き落とされたんです」
「マンションの、屋上から……」
「そうなんです。だからちょっと見た目がグロテスクでごめなさい。それで、その女はどこに逃げましたか? どっちですか? どうせ逃げられやしないのにね……」
彼女はそう言って、嘲笑を浮かべる。薄暗い中でもはっきりと見えたその表情、その中にある理由が、何も分からない。
疑問は自然と、ユカの口をついて出た。
「あの、どうしてそんなことに――」
「――っ……!?」
刹那、女性は一気に眦を釣り上げると、血走った目でユカを睨みつけた。
「――さっきからゴチャゴチャと何なのよ!! いいからさっさと教えなさいよクソガキ!!」
こっちも仕事なんだよと内心で毒づいた次の瞬間――彼女の眼差しが、より一層細くなって。
何かを、捉える。
「――見つけた!!」
「へっ!? あ……えぇっ!?」
ユカが声を出すのと同時に、獲物を見つけた彼女が地面を蹴った。そんなはずはない、対象となる――と思っていた人物は、つい先程、ユカがこの手で『切って』いるのだから。
茂みを抜けた先には、小道を歩く女性が1人。髪型は確かにハーフアップで髪の長さも同じくらいで、何かのスタッフらしく、首から名札をぶら下げているが……共通点はそれくらいしかない。
「ちょっ……スーツ着てないから違いますよその人!!」
「あの女が悪いのよ!! あの女が私を裏切ったから――!!」
彼女は既にユカを見ておらず、無関係の女性をロックオンしていた。このまま暴走を許してしまったら、関係のない人を巻き込むことになってしまうかもしれない。
里穂や空、仁義の気配はない。ここは自力で乗り越えるしかないのだ。
先程の『縁切り』で生じた疲れが、少しだけ、体を重くしている。でも、ここで届かなければ意味がない。
ユカは唇を噛み締めると、白い息と共に事実を告げた。
「あなたが探している女性は、あたしが消しました!! だからもう、この世にはいないんです!!」
刹那、女性が動きを止めた。そして、ゆっくりと振り向いて……血の涙を撒き散らしながら激高する。
「消した!? 今、消したって言ったわよね!!」
ツカツカとこちらへ戻ってくる姿に後ずさりしたくなったが、ユカはしっかりと足を踏みしめ、言い切った。
「そうです」
「消した……なんて、こと……何してくれんのよクソガキがぁぁっ!!」
我を失った彼女がユカ目掛けて突進してきた。髪の毛を振り乱し、目を見開いて迫ってくる姿は恐怖しかないが……しかし、これは好機だ。
ユカは彼女の左手に残る『関係縁』を握り、右手にハサミを構える。ユカの干渉に気付いた彼女が、一瞬、動きを止めた。
今しかない。
――先輩、ごめんなさい……でも、彼は悪くないんです、悪いのは私なんですっ……!!
――本当に……お人好しですね、先輩。
流れ込んできた強烈な嫌悪感を断ち切りたくて、ユカは息を止めてハサミを入れた。
これで一本。しかし、反対側にもう一本残っているため、目の前の彼女は消えていない。
目眩が、する。足元が地震で揺れているような、そんな錯覚。
すぐに目の奥に痛みを感じた。これ以上無理をするなと本能が警鐘を慣らしているが、ここで立ち止まったら間違いなく良い結果には繋がらない。
転ばぬようにたたらを踏んだユカへ、彼女は歪な右手を振り上げた。残った『関係縁』に手が届かなくなり、思わず歯を食いしばる。
「お前も私の邪魔をするのか!! あの女の肩を持つの――!!」
彼女が右手を振り下ろそうとした、次の瞬間……彼女の声が、姿が、跡形もなく消える。
「――ケッカさん!! 大丈夫っすか!?」
「良かった、間に合ったー!!」
いつの間にか近づいていた里穂と空の姿を、声を確認したことで……緊張の糸が切れたユカは、その場に座り込んでしまった。
「……あんなところで、どうしたんだろ」
ハーフアップの女性は、里穂が道を外れて茂みの中に入っていく背中を見ながら、首を傾げる。
先程、広場でも諍いが発生していたようだ。色々な人が集まっているからしょうがないよね、と、思いつつ、彼女は自分の持ち場へ戻るために歩みを進める。
その途中……前方から走ってきた男性に、見覚えがあった。
「あれ、柳井先輩……」
学校で見覚えがある彼はとても急いでいる様子で、彼女が見ていることに気付かない。
やはり何かトラブルだろうか、戻ったほうがいいだろうか、と、自問自答をしてみたが……特に騒がしくもないし、必要ならば彼が大人を呼ぶだろうという結論に至り、とりあえず自分の持ち場へ戻ることにした。
数分後、仁義の助けも借りて茂みの奥から小道へと戻ってきた3人は、丸机を4つの椅子が囲むイートスペースを見つけ、まず、ユカと里穂が腰を下ろした。里穂はユカの隣に陣取っており、肘をついてため息をついた彼女の背中に、そっと手を添える。
「ケッカさん、大丈夫っすか? 何か食べるっすか?」
「とりあえず……暖かいお茶飲みたいかも」
「分かったっす。ジン、頼んでいいっすか? 私もケッカさんと同じもので」
里穂が顔をあげると、仁義が「分かった」と頷いて、自動販売機がある方へと消えていった。
冬の冷たい空気が勢いよく幅を利かせ、気温が急激に下る時間帯だ。近くに縦置きのストーブが設置されているが、風の冷たさが身にしみる。全身のだるさに勝てないユカがテーブルへ突っ伏すと、冷え切ったプラスチックが容赦なく頬を冷やしていく。
「ちべたー……」
「ケッカさんが2本、私が1本……やっぱり今年、ペースがおかしいっすよ。あ、スマホで2人目の人の背中から撮影したっすけど……暗かったので、よく見えないっす」
里穂が申し訳無さそうに、ユカへスマートフォンの画面を見せた。画像は確かに不鮮明だけど、あるとないでは大違いだ。ユカは里穂に「本当にありがとう」と謝辞を述べた後、改めて息を吐く。
「やっぱ、名杙にも正式に報告したほうが良さそうやね。それにしても、恐ろしい二人組やったなぁ……」
「私は空さんに呼ばれて行っただけっすけど、何があったっすか?」
里穂に自身が見聞きしたことを簡単に告げながら、ユカ自身も情報を整理することにした。
先程の若い女性と、恐らく彼女の先輩にあたる女性。2人は顔見知りだ。職場の同僚、と考えるのが自然だろう。
そして、先輩女性は若い女性から落とされた、そう言っていた。だとすれば殺人事件、事件性がなくてもニュースになっているはずだ、『縁切り』をした人間が誰なのか、あまり時間をかけずに調べられそうな気がする。
そして、若い女性が先輩女性に向けて言った一言、ここに、大きなヒント――答えがあるように思えてならない。
――先輩、ごめんなさい……でも、彼は悪くないんです、悪いのは私なんですっ……!!
要するに痴情のもつれか、と、ユカがあたりをつけていると、仁義がペットボトルを3本持って戻ってきた。その中の一本のキャップを緩め、ユカの前に置く。
「この味で大丈夫でしたか?」
「うん、ありがとう。いただきます」
ユカは仁義に謝辞を述べて、中身を口に入れる。体の中からじんわりと温まる感覚に、ようやく、肩の力を抜くことが出来た。
「ごめんね、お金、後から返すけんが……」
「これくらい大丈夫です。そうだ、あの計画は進んでるんですか?」
仁義の言葉に、里穂も「そうだ!!」と何かを思い出したように身を乗り出す。
「私はココちゃんに渡したっすけど、今、どこにあるっすかねぇ……」
「明日一緒やけん、聞いてみる。ありがとね」
ユカが一息ついた瞬間、里穂のポケットの中でスマートフォンが振動した。それを取り出した彼女はメッセージを確認して……同時に、時間も確認する。
「ケッカさん、もうすぐ19時になるっす。私達、どうすればいいっすか?」
「里穂ちゃん、まだいける?」
「全然問題ないっす!!」
こう言ってピースサインを向ける里穂に頼もしさを感じたユカもまた、自身のスマートフォンで時間を確認した。里穂の言う通り、あと10分ほどで夜の19時になる。ここからの見回りは、里穂と仁義の担当だ。
本当はユカも残りたいけれど、足手まといになってしまうかもしれない。そう思ったら、大人しく事務所に戻って連絡係にでもなったほうがいいだろう。
特に連絡は入っていないので、政宗の動き方も分からない。忘れないうちに報告書も作りたいし……繁忙期に離脱するわけにもいかない。
ユカはスマートフォンをポケットにねじ込むと、ペットボトルのキャップをしめた。
「ごめん、あたしは先に『仙台支局』に戻るけんが、2人は引き続き警戒に――」
「――ちょ、ちょーっと、もうちょーっとここで休憩した方がいいっすよ。ケッカさんが途中で倒れたら、大変っす!!」
「え? あ、そう? まぁ……いいけど……」
里穂がちょっと強引に引き止めて、仁義も笑顔で頷いているので、ユカも反射的に首肯した。客観的に見ると、顔色が悪いのかもしれない。ニット帽を耳が隠れるくらい深くかぶり、もう一度、息を吐く。
こんな時、政宗がいたら……どんな言葉をかけてくれるだろうか。
自分の左隣、1つ空いた椅子を横目で見やり……ユカは静かに頭を振った。
その後、更に5分ほど休憩したところで、3人は勾当台公園の市民広場の方へ移動した。
「私とジンは、西公園の方に行ってみるっす。ケッカさんも気をつけて」
「分かった。何かあったら連絡してね」
ユカの言葉に頷いた2人は、イルミネーションが輝くケヤキ並木の方へ歩き始めた。その背中はすぐに見えなくなり、入れ替わるように多くの人がやってくる。
「人、多いな……」
地下鉄に乗って仙台駅方面へ戻るつもりだったが、入り口の人の流れは非常に鈍く、いつも以上に混雑していた。のんびり歩いて戻ろうかと思案しつつ……ふと、視線を上げて、イルミネーションを見上げる。
今月に入ってから、仕事で何度となく目にしてきたオレンジの光。この優しい光を求めて、多くの人が集まってくる。
「あ、そっか、もうすぐ19時やけんが……」
急に立ち止まる人が増えたのは、スターライトウィンク――灯りが一斉に消灯し、一斉点灯するイベント――を待っているからであることに気付いたユカも、無理な移動は避けて、少しこの場に留まることにした。
近くには親子連れや友人同士、カップルなど、多くの人がその瞬間を待っている。1人なのは自分だけではないのかと錯覚するくらいに。
ポケットからスマートフォンを取り出した。時刻は18時57分。あと3分だ。特にメッセージや着信はない。
政宗からの連絡は……特に、ない。
「……バカ政宗」
呟いた文句は、周囲の喧騒にかき消される。
届かない。届くはずがない。
だって、彼は、今、ユカの隣には――
「――ケッカ!! 大丈夫だったか!?」
いない。
そう思っていたのだから。
不意に隣が暖かくなり、聞き慣れた声が降ってきたものだから……ユカは驚いて顔を上げ、声の主を探す。
オレンジの光に照らされた彼は、息を切らせながらユカと目を合わせ、安心したように目尻を下げた。




