エピソード6:水面下の表裏一体①
「なーんもない時は、なーんもないっすねぇ……」
12月23日、祝日の夜。時刻は18時20分を過ぎた頃。
里穂は眩しく輝くイルミネーションを見上げて、白い息を虚空へ吐いた。
場所は定禅寺通り、道路の中央に整備された歩道を、イルミネーションを目当てに訪れた多くの人が行き交っている。
17時から勾当台公園を中心に警戒を続けているが……今のところ、特に目立つ気配もトラブルもない。
里穂は視線を下に向けた後、周囲を警戒しているユカを見やり、口元に意味ありげな笑みを浮かべる。
「ケッカさんが戻ってきてから、なーんか急に向こうの動きが鈍くなった気がするっすよ」
「えー……?」
そう言われても、ユカ自身には何の心当たりもないのだが……書面で確認した週末のドタバタより、圧倒的に平和であることも、また事実。
「……まぁ、平和なのはいいことなんやけどね」
「その通りなんっすけど……差がありすぎるというか、私達があれだけバッタバタした週末は何だったのかというか」
何かを思い出したのか、里穂が口元をへの字に曲げた。ユカはそんな彼女を見上げ、苦笑いで謝罪するしかない。
「週末、助けられんでごめんね。今週はあたしと政宗が頑張るけんが!!」
「あ、いえいえ、ケッカさん達は悪くないっすよ。私は美味しいロイズチョコレートが食べられたので満足っす」
こう言って笑顔を見せる里穂は、その口元に先ほどとは意味が異なる笑みを浮かべて。
「それでケッカさん、一切仕事じゃない、政さんとの純粋な鳴子温泉旅行は楽しかったっすか?」
「うぇっ!?」
事情を説明していない里穂から的確に指摘され、喉の奥から変な声が出た。
誤魔化そうかと思って里穂を見るが、ユカを見つめるその眼差しには、とても強い確信がある。
「り、里穂ちゃん、なしてそれを……!?」
「鳴子温泉地域の仕事は、基本的に名倉家が請け負ってるっすよ」
だから、ユカが嘘をついたことにも気付いているっす……と、表情で語る里穂に、ユカは観念して両手を上げるしかない。
そして、思い知るのだ。
「……やっぱり、嘘はいかんね」
「そういうことっす。それで、楽しかったっすか?」
素直に尋ねる彼女に、ユカは改めて、2人で過ごした時間を思い返し……ついでにカニの風味も思い出し、口元に笑みを浮かべる。
「……うん、すごく楽しかった。また行きたいなって思うくらいに」
「それ!! それは、政さんには伝えたっすか!?」
「え? あ、うん。楽しかったから、また一緒にカニ食べよう、って……」
「そうっすかそうっすか!! それが聞けただけで満足っすけどカニが羨ましいっす!!」
里穂が寒空の下で嘆く様子を見つめつつ……ユカはコートのポケットからスマートフォンを取り出して、時間を確認した。
「まだ、約束より早い時間やけど……柳井君、来てくれると?」
「そう言ってたっす。なんか、高校の友達が勾当台公園でボランティアをしてるから、顔を出したいって」
「へぇ……寒いのにボランティアげな、偉かね」
ユカはこう言って、スマートフォンの電源ボタンを押し、画面を消す。
メッセージは特に、届いていなかったから。
程なくして仁義と合流した2人は、警戒も兼ねて、勾当台公園の市役所側、市民広場へ向かった。
既に多くの人でごった返しており、気を抜くと3人もバラバラになってしまいそう。身長が低いユカは2人とはぐれないように気をつけながら、改めて周囲を見渡した。
「初日より人が多かね……!!」
「クリスマスってことで、イベントも増えてるみたいっすよ。ジン、お友達はどこで何をしてるっすか?」
「確か、公園の出入り口のところで……あ、いた」
仁義が指を指した先には『無料フォトスポット』と書かれた看板と、畳一畳分くらいの踏み台、呼び込みをしている数名のスタッフがいた。
「――柳井!! こっちこっち!!」
仁義の姿に気付いた少年が、嬉しそうな表情で近づいてきた。ユカと里穂もそれぞれに会釈をしつつ、仁義へ説明を求める。
「ジン、こちらはどなたっすか?」
「同じクラスの矢野颯斗くん。出席番号が近くて、編入したときからずっとお世話になってるんだ」
「そうだったっすね。初めまして、名倉里穂です。ジンがお世話になってます」
「名倉、里穂……もしかして柳井の彼女!?」
里穂の名前を繰り返した彼――颯斗が、驚きで目を見開いた。状況に気圧された里穂がコクコクと頷くと、彼は笑顔でこんなことを言ってのける。
「マジかよやっと会えた!! 実在したんだなー!!」
「じ、実在? 実在っすか……?」
颯斗は終始テンション高く、里穂をまじまじと見つめている。一方の里穂は話についていけず、再び説明を仁義に求めた。
「ジン、私のことは実在しない彼女として話してるっすか?」
「そ、そういうわけじゃないよ!?」
「本当っすかねぇ……」
里穂がジト目で仁義を見やり、彼が珍しく、眼鏡の奥の瞳を泳がせているではないか。思わずユカも「珍しい」と思って凝視してしまうほどに。
釈然としない里穂と仁義の間に割って入る颯斗は、2人を「まぁまぁ」と踏み台の上に押し上げる。
「写真撮るだろ? って……この女の子は、どっちかの妹?」
ユカに気付いた颯斗が首を傾げた。こうなることを予測して打ち合わせをしなかったことを反省しつつ、ユカは両手と首を横に振った。
「あ、あたしは里穂お姉ちゃんのイトコです。写真は2人でどうぞどうぞ」
刹那、里穂が一段高い場所から、非難じみた声をあげる。
「えー!? ケッカさ……ゆ、ユカちゃんも一緒に撮るっすよー!!」
非常にぎこちない呼び方だが、こればっかりはしょうがない。颯斗は仁義から預かったスマートフォンでピントを合わせつつ、屈託のない様子でユカへ視線を送り、こんな提案をする。
「じゃあ、最初は柳井と彼女さんで。2枚目に君も入ればいいと思うよ」
「えーっと……じゃあ、そうします……」
この2人の間に割って入るなんて罰ゲームだよと思いつつ、ここでゴネる理由もないので素直に従っておく。
「じゃあ最初は2人で、はい、チーズ」
少し下から、頭上に輝くイルミネーションまで画角に収まるように撮影した颯斗は、隣で待っていたユカに「さ、どうぞどうぞ」と登壇を促す。
里穂と仁義もまた、ユカのために真ん中を開けると、カメラに向けてピースサインを作った。
ここで仏頂面になれるような図太い神経は持ち合わせていない。ユカもまた、少しぎこちなくピースサインを作ると、カメラのレンズの方を見て――
「――おるね、1人」
口元を笑みを頑張ってキープしつつ呟いた言葉に、右隣の里穂が静かに頷いた。
降って湧いたように感じた、うっすらと禍々しい気配。降壇した3人は、颯斗への挨拶もそこそこに、人がどんどん多くなってきた勾当台公園の中心部へ足を進める。
「遠ざかった……?」
ユカが足を止めて顔をしかめると、隣に立つ里穂が別の方向を指さした。
「ケッカさん、道を挟んだ向こう側にも、屋台はたくさん出てるっす。あっちに行った感じがするっす」
「そういえば、あっちには野外ステージがあったね。行くのは久しぶりやけど……とりあえず今回は、あたしが『切る』けんが、何かあったらフォロー宜しく。柳井君も協力してくれる?」
「分かりました。渡るならこっちです」
仁義の先導で人波をかき分け、横断歩道の信号が変わるのを待つ。ユカがコートに入れているハサミの位置を確認していると、里穂がその様子を見下ろして、首を傾げた。
「前から思ってたっすけど……ケッカさんも政さんも、ハサミのケースって使わないっすか?」
「ケース? そういえば……」
里穂に言われるまで気にしなかったけれど……確かに、これだけ人が多い中で急にむき身のハサミを取り出したら、若干怪しい人になってしまうかもしれない。ユカはまだ外見年齢が幼いので誤魔化せるかもしれないが、政宗に至っては……どうだろうか。
「このハサミ買った時、ケース……あったような気もするけど、確かキャップみたいにカッチリはまるようなタイプやったけんが、すぐに使えるように外しとるっちゃんね」
「気持ちは分かるっすけど、怪我をしないか心配っすよ」
「でも、仙台は統治や心愛ちゃんもそのまんま使っとるよね?」
「あの2人は特殊な例っす。それに、確か……仕事以外の時は専用のケースに入れて、銀色が曇らないようにしてるはずっすよ」
「へー。知らんかった。ケースねぇ……」
ユカは頭の片隅にその情報を保存しつつ、瞬きをして視える世界を切り替えた。意識を仕事モードへ切り替え、感覚を研ぎ澄ませる。
横断歩道を渡った先、県庁側にある公園内も、多くの露天と、用意されたテーブルや花壇の脇等に座って食事を楽しむ人、野外音楽堂で歌っている女性の歌声を楽しむ人、それぞれの時間を楽しんでいた。
ただ、近づく度にはっきりと感じ取れる『異質』、多くの人が前を、頭上を見上げている中で感じる違和感を探し出すためには、どうすればいいのか。
ユカが改めて集中していると、少し離れた場所から、男性の怒号が聞こえてきた。
「――だから、謝っただろ!? 別に怪我とかしてねぇからもういいじゃん!!」
「違うって!? お前の歩きタバコを注意しただけなのに、なんで切れてんだよ!!」
3人が広場の方へ行ってみると、平和祈念像と呼ばれている銅像の近くで、20代くらいの若い男性が2人、言い争いをしていた。会話の内容から察するに、恐らく知人ではない。
周囲の人は遠巻きに彼らの様子を見つめたり、足早に遠ざかったりしている。近くには交番もあるし、巡回も強化されているため、これ以上ヒートアップするようであれば仲裁が入るだろうが……3人が見ているのは、2人の先にある、銅像の隣で佇む、1人の女性。
年齢は20代前半くらいだろうか、肩につくくらいの髪の毛をハーフアップにして、タイトスカートの黒いスーツ姿がどこか初々しい印象を抱かせる。ただ、彼女の眼差しは虚ろで、名札をぶら下げた首にはどす黒い痕がくっきりと残っていた。ストッキングも膝下からボロボロに伝線しており、足元に靴がないので、死ぬ時は靴を履いていなかったのだろう。
残っている『関係縁』は、親指からの1本。どす黒く変色した赤の中に、紫色がまだら模様で残っているようにも見える。
首にに残る痕跡と靴がないことから、自身で首をくくった可能性があると判断したユカは、意識して心のシャッターを下ろした。
情報は引き出したいけれど、干渉しすぎないようにしないと……こちらまで流され、溺れてしまうから。
「柳井君、写真頼める?」
「分かりました」
仁義がスマートフォンを用意してくれる様子を横目で確認しつつ、ユカは小声で味方の名を呼ぶ。
「――川瀬さん、確認して欲しい人がいるんです」
刹那、彼女はユカの隣に陣取って、前方を凝視した。
「あの女の人? んー……あぁっ!!」
空は思わずユカが顔をしかめるような大声を共に、前方にいる女性をビシッと指さした。
そして。
「あれ絶対そう、ココアちゃんがうっかり逃げられちゃった人だよ!!」
空の言葉を聞いた里穂が、目を見開いた。
「確かにそうっす!! 逃げ足が早い女の人っすよ!!」
2人の話を聞いたユカは、「あの人が……」と対象を見つめながら、頭の中で作戦を組み立てる。
相手は逃げ足が速いらしい、そして今、全員が集まっているのは、人の多い公園内……と、いうことは、どう動くのが最善なのか。
「心愛ちゃんの敵討ちやね。里穂ちゃん、あの人はこの間、どっち方面に逃げたか覚えとる?」
「んーっと……この間は、県庁の方へ走っていったっす」
里穂はそう言って、視線の先にあるビルを指さした。ユカは「なるほど」と思案した後、空を含む3人へ作戦を告げる。
「確実に仕留めるために、分散した方がよさそうやね。川瀬さんは、あたしと一緒に来てください。里穂ちゃんは県庁方面の出入り口へ、仁義君は地下鉄の駅の方の出入り口で待機しとって。あたしが話しかけて、出来るようなら切るけど……逃げられたら川瀬さんが率先して追いかけて、里穂ちゃんか仁義君、近い方に知らせてください」
「りょ」
首を縦に動かした空が、ユカの斜め後ろについた。同時に里穂と仁義も別行動を開始し、ここにはユカが1人残される。
「さて、と……」
男性同士の言い争いは続いていたが、やはり、すぐに駆けつけた2名の警察官によって諌められていた。人々が安堵して移動を続ける波にのり、ユカは静かに、銅像の方へ近づく。
そして……彼女と数メートルの位置で立ち止まると、周囲を伺い、小声で話しかけた。
「あの、すいませ――」
「――っ!!」
次の瞬間、ユカの声に気付いた彼女が弾かれたように駆け出した。
彼女は人の多さなど関係なく逃げることが出来るので、あっという間に背中が見えなくなる。
しかし、こんなことは想定済みだ。
「川瀬さん!!」
「オッケー!! って、2人がいない方に逃げてるんですけど!?」
女性の背中を追う空の悲痛な声に、ユカは移動しながら指示を出した。
「『遺痕』は基本的に、生前の自分と縁があった場所の周辺を徘徊します。先程の女性、服装と首から下げた名札から、県庁か、この周辺の官公庁で働いていた可能性が高いので、向かうとすればそっち方面かと」
「ケンチョーって、あのでっかいビルだよね。だったら……」
空は周囲を見渡した後、ユカに、木々が多い小道を指さした。露店からも外れており、ベンチなどもない。また、ページェントや地下鉄の駅からも逆方向になる抜け道のため、ほとんど人が見当たらなかった。
「こっちから行くと、人が少ない系!! 多分回り込める!!」
「分かりました。川瀬さんは里穂ちゃんに応援を頼んでください」
「オッケー!!」
空が別方向へ飛び立つ様子を背に、ユカは闇が深い空間へと足を踏み入れた。
祭りのざわめきが遠くなり、すれ違う人も足早に、明るい方を目指している。他に何かが出てくるような、言いようのない不気味さを感じながら足を進めると……道から一歩入った植え込みの先、とある木の根元に、先程の女性がうずくまっていた。まるで、何かから隠れているように。
声をかけて、また逃げられるのは困る。ユカは植え込みの隙間を見つけると、体を横にして、なるだけ音を立てないように足を動かした。顔を上げていない今が近づくチャンス、息を潜めて、『関係縁』に手が届くその距離まで、あと数歩――
ユカが踏み込んだ先には、乾燥した枝があったようで、それが乾いた音と共に2つに折れる。
そして、その音は――当然、彼女にも届いてしまい。
「――ぁっ!!」
ユカに気付いた女性は弾かれたように立ち上がった。首にぶら下げた名札が大きく弧を描く。咄嗟にそれを掴もうとして――掴めないのに無駄に手を伸ばした瞬間、彼女の目が極限まで見開かれた。
「――やめてぇぇぇっ!!」
絶叫と共に、彼女の体が硬直する。
ユカも一瞬たじろいだが、ここで自分も動けなくなるわけにはいかなかった。気持ちを鼓舞して更に一歩前に踏み込み、彼女に残る『関係縁』を強く握る。
次の、瞬間。
流れ込んできたのは、彼女が生前、この『関係縁』が繋がった人物と紡いできた、記憶。
――裏切り者!!
――絶対に許さない!!
心を呑み込まれそうな恨みが、自分の内部に入ってこようとする。
そして、追体験をさせようとしてくる。
だからこそ――侵食される前に、『切る』。
それが、自分の仕事だ。
ユカは左手で掴んだ『関係縁』にハサミを入れ、躊躇いなく切り落とした。
その瞬間――目の前にいた彼女は跡形もなく消える。
残されたのは……暗闇と、遠くに聞こえる人の声。
ユカはハサミを持つ手を見つめ、一度、息を吐いた。
「裏切り者、か……」
先程の絶叫とは、違う高さの声だった。よって、彼女がそう『言われた』側ということになる。
死後もこの世にとどまり、周囲に悪影響をばらまいているような状況だ。よほどの恨みを買ったのか、それとも……今はこれ以上分からないけれど。
「名札の名前……見とけばよかったな」
暗さもあって、近づいても名前までは見ることが出来なかった。ただ、ストラップの色が緑だということは分かったので、何かのヒントになればいいと思いつつ、とりあえず戻ろうと踵を返した、
次の 、 瞬間 、
「――えっ……!?」
女性の『遺痕』がもう一人……笑みを浮かべた血だらけの顔で、ユカの行く手を遮るように佇んでいた。




