エピソード5.5:サンタクロースは来なかったけれど
時は戻り、12月23日。時刻は間もなく、朝の7時30分。
政宗は財布や貴重品を入れたワンショルダーのバックをたすき掛けに掛け、筆記具や書類を入れたトートバックを持ち、仙台駅3階にある新幹線の改札前にいた。
学校の冬休み直前の祝日にあたる今日は、旅立つ人も、出迎える人も多くない。閑散とした構内で周囲を見渡していると、エスカレーターを登ってきた男性が、政宗を見つけて軽く会釈をした。
政宗もまた、頭を下げた後、彼に向けて近づいていく。
「長谷川先生、おはようございます。休日なのにすいません」
政宗から『長谷川先生』と呼ばれた彼は、黒いカバンを持ち直して「いえいえ」と笑顔を見せる。
「こういうことは、タイミングも大切ですから。それに今更、『先生』なんて呼ばなくても……」
そういう彼に、政宗は「いいえ」と首を横に振る。
「少なくとも……この件が終わるまでは、そう、呼ばせてください」
前を見据える政宗の揺るぎない決意を受け止め、彼は「分かりました」と笑顔で同意する。
「今日である程度解決して、スッキリした気分で年を越しましょう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
政宗は事前に購入しておいた新幹線の切符を渡すと、彼と共に改札をくぐった。
エスカレーターを登り、新幹線のホームへ出る。ホームドアがないため、狭くなっている場所は少し慎重に足を動かしながら……政宗は、数日前に芳雄と再会したときのことを、思い返していた。
事情を聞いた万吏が政宗に紹介したのが、仙台で弁護士事務所を構えている弁護士・長谷川芳雄だった。
「長谷川先生は相続とか家族問題にも強くて、フットワークも軽い人なんだ。今は仙台に事務所を構えてるけど、出身は東松島じゃなかったかな。『良縁協会』のことを知ってるかどうかは分からないけど……俺がすぐに紹介出来るよ。どうする?」
「長谷川、芳雄、さん……」
万吏から聞いた名前を、一人、声に出して反すうする。
以前、どこかで聞いたことがあるような、懐かしい響きのように思えた。
この名字、以前、どこかで――
「政宗くん? どうする?」
「あ、えっと……すいません、ぜひ、紹介していただけますか?」
かくして、政宗が彼――芳雄と会うことが出来たのが月曜日の午後。北仙台にある雑居ビルを訪ねた政宗を、自ら出迎えてくれたのだ。
「初めまして、長谷川と申します」
出迎えてくれたのは、中肉中背の男性。年齢は還暦に近いと聞いている。白髪交じりの短髪で、丸メガネは恐らく老眼鏡だろう。柔和な風貌に安心すると同時に、やはり以前、どこかで会ったことがあるような気がしてしまう。
答えが出ないことにもどかしさを感じつつも、今は、そんなことに頭を使っている時間が惜しい。政宗は軽く一例した後、改めて芳雄を見据える。
「佐藤です。お忙しいところ早々にご対応いただき、本当にありがとうございます」
「茂庭君の紹介ですからね。彼には世話になっていまして……あ、こちらへどうぞおかけください」
そう言ってソファに案内された政宗は「失礼します」と断って腰を下ろした。芳雄が机を挟んだ向かいに座ったところで、スタッフの女性が2人分の緑茶を置いて、一例の後に退室する。
「さて、改めてお話をお聞かせいただけますか?」
「実は……」
政宗は事前に用意した資料を、芳雄へ提示した。芳雄はそれを手に取り、「拝見しますね」と目を通す。
そして、数秒後……老眼鏡の奥の瞳を、大きく見開いた。
「末広、真千子さん……これは、佐藤さんのお婆さんのお名前、ですよね?」
「は、はい。佐藤は父方の名字なので……それが、何か?」
「佐藤は父方……父方、ですか……差し支えなければ、お父さんのお名前を、お伺い出来ますか?」
「名前……」
予期せぬことを尋ねられ、政宗は思わず口ごもった。
けれど、確信する。芳雄と自分は間違いなく、過去に接点があったはずだ。
この名前を告げれば、きっと、それが分かるはず。
「俺の父親は……厳密には育ての親なんですけど、佐藤彰彦という――」
「――彰彦さん!?」
刹那、政宗を上回る音量でその名前を呼んだ芳雄は、呆然とした表情で政宗を見つめた後……息を吐いて、ソファに座りなおす。
「そう、でしたか……名前が違うからよく似ている人かと思っていたけれど……彰彦さんとこの伊織くんでしたか……」
「あ、あの、俺が子供の頃に、どこかでお会いしていますよね? すいません、どうしても思い出せなくて……」
「覚えていないのも無理はないと思います。私の姉が、長谷川容子というのですが、彰彦さんと同じ会社で働いていて」
「長谷川容子……おばちゃんの、弟さん……ってことは、彰おんちゃんの飲み仲間の『ハセちゃん』!?」
「そうですそうです!! いやー……まさか、こんなことが……」
芳雄は目尻を下げて政宗を見つめると、驚いている彼に目を細める。
まさか、こんな形で再会するとは、夢にも思わなかったのだから。
「とても立派になって……差し支えなければ教えていただきたいのですが、下の名前、改名されたんですか?」
「いえ。職務上、別の名前が必要になりまして……通名で過ごしています。本名は変わりません」
「そうでしたか……色々とご苦労をなさったんですね」
芳雄はここで話を区切ると、改めて、手元の資料へ視線を落とす。
そして、数分後、「事情は把握しました」と告げながら顔を上げた。
「こうして私が力になれること、これもなにかのご縁だと思います。きちんと清算して、納得できる報告をしましょう」
穏やかに、けれど明確なゴールを目指す強さを内包した口調でそう言ってくれた芳雄に、政宗は迷いなく頷いた。
その後、改めて……政宗は書類を広げ、己の意志を示す。
「俺としては、祖父母に関する相続は全て放棄した上で、香典というか……手切れ金と取られてもしょうがないんですけど、一定の金銭を支払って、それで手打ちにしたいと考えています」
「なるほど。賢明な落とし所だと思います。その手続きを抜かりなく行いたい、と。そういう解釈でよろしいですか?」
「そうです。薄情と思われても……俺はもう、終わりにしたいんです」
「承知しました。それで……それが、先方から届いた書類ですね。拝見します」
芳雄は政宗が出した封筒を受け取ると、中身を取り出して内容を確認した。そして、その封筒に記載されている、弁護士事務所の電話番号を見つめ……。
「ちょっと……先方に電話してみますかね」
「え?」
「こういうのは、思い立った時に動くのが吉日なんです。ちょっと失礼しますね、と……」
芳雄は立ち上がると、部屋の奥にある彼の机に移動した。そして、電話の子機を手に取ると、封筒の番号へ電話をかけ始める。
「……あ、もしもし、突然すいません。私、仙台で弁護士をしております、長谷川と申しますが……」
淀みなく話を続ける様子を、政宗は座って見ていることしか出来ない。
待つこと10分ほど。「承知しました。では、そのように致します」と頷いた芳雄が、電話を切って子機を戻した。そして、穏やかな笑顔で政宗の前へ戻ってくる。
「お待たせしました。先方の担当者と話をつけましたので、この書類は私でお預かりしてもよろしいですか? 佐藤さんの署名が必要なところ以外は、こちらで記載しますので」
「えっ!? あ、はい。それは勿論……お願いします」
「あと、は……妹さんと弟さんですね。ちなみに、金額はいくらくらいを想定していらっしゃいますか?」
テキパキと話を進めてくれる芳雄。彼は信用出来ると直感で思った政宗は、包み隠さずに質問を投げる。
「すいません、相場が一切分からなくて……いくらくらいがいいと思いますか?」
「そうですねぇ……正直、祖母に対して孫が払う金額ですから、5万円程度で十分な気もしますが……例えば、寺で永代供養をしてもらう場合、一般的な相場は10万円からと言われています。上を見ればキリがないんですけどね」
「永代供養……」
「そこで今回は、お祖母さんの費用を妹さん、弟さんの分も支払う、ということで、10万円の3人分、計30万円としてみるのはどうでしょうか」
政宗は新幹線の窓を流れる景色を見つめながら、浅く息を吐いた。
このタイミングで、過去の自分をしっかり覚えてくれている人に会うとは、思っていなかったのだ。
翔子達に直接挨拶をしよう、と、提案してくれたのも芳雄だった。彼が翔子へ電話をして、正治にも話をつけてくれたのだ。名刺は直接渡すから効果がある、と、少し楽しそうに笑いながら。
今回の縁は全て彰彦が繋いでくれた、そんな気がしていた。
その後、東京駅から在来線に乗り換えた2人は、翔子達の代理人として依頼を受けている弁護士事務所を訪れていた。
中にいたのは、40代くらいの男性と、正治のみ。翔子の姿は見当たらないが、これで話がスムーズに進みそうだと思ったことは口にしないでおく。
事前の打ち合わせ通り、芳雄がメインで話を進め、30万円という金額と、その根拠を告げる。
政宗が年齢に合わない境遇で苦労をしてきたことは芳雄も知っているから、相手を納得させるのは早かった。
あの時、彰彦が伊織を引き取る際に、芳雄は彼の祖母・末広真千子へ、意向確認の電話をかけていた。
真千子にしてみれば、伊織は実の娘が遺した忘れ形見のはず。それを簡単に手放すのは、よほど複雑な事情があると思ったからだ。
――私達夫婦は、娘が遺した双子の世話で手一杯でして……特に今、母親を亡くして不安定なんです。伊織は手のかからない子ですが、母親が死んでも泣かないような子で、大人びていて気味が悪いというか……とにかく、私達にはこれ以上余裕がありません。そちらで引き取っていただけると助かります。
この電話を切った芳雄は、彰彦たちにこの事実を告げず、「全て任せる言質は取った」と、簡単な報告で済ませていた。
あの時に感じた憤りは、すぐに思い出せる。
「佐藤さんは実母の死後、宮城にいる実父の兄のもとで生活をしています。連絡を定期的に取っていなかったことは、そちらの調査からも明白です。要するに、祖父母としての関わりは全くなかったと言っていいでしょう。彼の生い立ちやその後の境遇を考えると、この金額でも十分すぎるかと思いますが……いかがでしょうか」
淡々とした物言いの中に、確かな強さを込めて。
芳雄の提案に、正治側の弁護士は彼を見つめた後……頷いたことを確認して、「分かりました。では、そのように」と、了承を示す。
専門家同士の話を詰める間、政宗は正治の案内で、祖父母の仏壇がある家――正治達の実家へ行くことにした。
「さ、さすが大都会……路線の数がエグい……」
Suicaをかざして改札を抜けても、各路線へ向かう通路が縦横無尽に伸びている。
政宗が顔をひきつらせている横を、正治が静かに追い越した。
「こっちです。ついてきてください」
「分かった」
彼の案内で無事に電車に乗り、ドアの近くに立って一息ついていると……隣に並ぶ正治が、窓の外を見つめたまま。ボソリと呟いた。
「先日は……翔子が、ごめんなさい。根拠のないことを……」
「……別にいいよ。何の準備もなく大切な人と別れなきゃいけなくなったんだから」
「寛大ですね」
「寛大というか……俺も同じような経験があるから」
政宗はこう言って、見慣れぬ景色が流れていく様を、ぼんやりと目で追っていた。
「大切な人の死を悲しめなくなったら……ダメだと思う。だから、翔子ちゃんの反応は間違ってないよ」
これも、政宗が心から思っていることだった。
一方、それを聞いた正治は、明らかに憮然とした表情で息を吐く。
「だからって……身内に暴言を吐くのも、違うと思います」
「まぁ……それは、確かに。でも彼女、ちゃんと反省出来るから、もう二度としないと思うよ」
「だと、いいんですけど」
正治は何度目か分からないため息をついた後、政宗を横目で見上げて……言いかけた言葉を飲み込み、再び、視線を窓の外へ向けた。
在来線に揺られること5分程度。到着した駅からタクシーを使って10分ほどの場所にある団地の一室。正治の案内で玄関から中に入ったところで、音に気付いた翔子が廊下の奥から顔を出した。
今日は黒いワンピースに同系色のカーディガン、と、全体的に落ち着いた印象。政宗を見つめる目線にも、先日のような強さは特に感じられない。
「あ……」
「こんにちは。お邪魔します」
「ど、どう、ぞ……」
ぎこちなく目を泳がせる翔子に、政宗は軽く会釈をした後……廊下を進み、正治が案内してくれた和室に入る。その部屋にある小さな仏壇と、写真立て。そこに並んでいる老夫婦の顔には、残念ながら、一切の見覚えがなかった。
「……これ、適当に置いとくから、好きなタイミングで食べてね」
政宗は手に持っていた紙袋から、仏熨斗が貼ってある箱を取り出すと、仏壇の脇に置いた。そして、正面になる位置に正座をすると、目を閉じて……静かに、手を合わせる。
何を伝えようか。
きちんと大人になったことへの形式的な感謝?
自分をぞんざいに扱ったことへの不平不満?
自分を宮城へ行かせてくれたことへの感謝?
結局、色々な思いが渦巻いて、うまく言語化出来ず……諦めた彼は、静かに目を開ける。
そして、少し離れた場所で座っていた2人の方へ向き直り、まっすぐに、こう言った。
「俺がここに来るのは、これが最初で最後。そして……2人と会うことも、これで最後にしたいと思ってる」
「そんっ……!!」
何か言いかけた翔子を手で制した正治は、政宗を見つめて頷いた。
「そうですね。それが……いいと思います」
「正治まで!! どうして!? 折角会えた家族なんだよ!?」
理解できない、と、言外に訴える翔子に、政宗は静かに語りかける。
「確かに……君たちと俺は、血が繋がっているかもしれない。けど……俺は、血の繋がりだけが家族の形じゃないと思っているタイプの人間なんだ」
「え……?」
何を言っているか分からない、と、困惑した翔子の瞳が、政宗に続きを促す。
だから、きちんと伝えておきたいと思った。
生みの親はいない、クリスマスにはサンタクロースも来てくれない、それが『当たり前』だった世界だけれど。
けれど……それでも、楽しいと思える瞬間がいくつもあった。
その瞬間、政宗の側にいてくれたのは――
「俺の家族は、宮城で俺を育ててくれた……父さんだから。父さんが俺に愛情を注いで、きちんと大人にしてくれたこと、今の俺にはそれが全てだと思ってる。理解できなくていい、ただ、納得してほしい」
「……」
「勿論、俺のことを探して、わざわざ会いにきてくれたことは嬉しかった。ありがとう。俺も君たちに迷惑をかけないよう、きちんと生きていくから……だから、もしも縁があれば、また、どこかで」
政宗はこう言って、翔子へ右手を差し出した。彼女は釈然としない表情だったが……彼が己の意志を曲げるつもりがないことを察して、苦笑いで手を伸ばす。
「こういう強情なところ……私のお兄ちゃんって感じがするなぁ」
「まぁ、実際にそうだからね。だから、説得できないことも分かったでしょ?」
「うん、よく分かった。分かったよ……色々、ごめんなさい」
翔子がこう言って手を離す。政宗は続けて正治へと手を伸ばし、彼もまた、それに応じた。
「社会人、頑張ってね」
「ありがとうございます……あの、1つ聞いてもいいですか?」
「何? 年収?」
「違います。その……どうして偽名を名乗っているんですか? 失礼ながら、芸能人でもなさそうですが……」
「ああ、それは……」
政宗は正治から手を離すと、口元に笑みを浮かべた後、したり顔でこう言った。
「知らないほうがいいと思うよ」




