エピソード5:Crossing hearts④
温泉旅行で英気を養った後の週明け、月曜日の13時過ぎ。
時間差で出勤したユカを出迎えたのは、電話番をしているはずの瑞希……ではなく。
「あぁケッカ、お疲れ様」
朝から出勤していた政宗だった。統治は本日、週末分の振替休日。学生メンバーが来る時間にはまだ早い。
「お疲れ様。あれ、支倉さんは?」
「銀行に行ってもらったんだけど、週明けと祝日前のダブルコンボで、混み具合が尋常じゃなかったらしくてさ。今が昼休憩なんだ。13時45分まで」
「なるほど。政宗、外回りじゃなかったっけ?」
ユカが自席に荷物を置きながら尋ねると、政宗は「それが……」と、苦笑いを浮かべる。
「先方の体調不良でリスケ。ケッカも気をつけろよ」
彼はそう言って、プリンターへ出力した書類を取るために立ち上がった。程なくして手に書類を持って戻ってきた彼はそのまま、パソコンを起動したユカを見つめ、どこか遠慮がちに口を開く。
「ただ……俺も別件でちょっと出るから、ここは任せていいか?」
「そうなん? 大丈夫やけど……どこ行くか聞いてもよか?」
「仙台に事務所がある弁護士の先生のところ。万吏さんに紹介してもらって、13時40分から会えることになったんだ」
突然現れた弁護士の存在にユカが顔をしかめると、席に座った政宗が机の脇に置いた個包装のチョコレートを手にとって、口の中へ放り込んだ。そして、自分を見つめているユカへ、ポツポツと事情を語る。
「俺の……実の祖父母に関することをちゃんと手続きしたくて、万吏さんにメールで伝えてたんだ。そしたら、それだったら万吏さんじゃなくて、弁護士の先生に頼るといいってことで、信頼出来る人を紹介してもらえて」
ユカはここで、政宗が昨日、道の駅で万吏と会った際に話をしていたことを思い出した。
あのときは『仙台支局』の業務に関する相談かと思っていたけれど、まさか、彼自身の今後に関することだったとは。
政宗が今回のことを、頼れる第三者を挟んで解決するために動き出したこと、それが、今のユカにはとても嬉しいし……うまく話がまとまってほしい。心からそう、願ってしまう。
「良かったね。専門家を間に挟むことで、スムーズに進むこともあるやろうし」
「ああ。早めにケリを付けて仕事に専念したいから、悪いけど時間休ってことにさせてもらって」
「分かった。支倉さんには概要だけ伝えとくけんね」
「ありがとう。一応、俺がいるところはここだって教えとくな」
政宗はそう言って、ユカに向けて、先ほど印刷したA4コピー用紙を手渡した。弁護士事務所のホームページを印刷したらしく、責任者の名前として『長谷川芳雄』という男性の名前と住所、電話番号が記載されている。
ユカは受け取った資料をクリアファイルにはさむと、机の一番上にある引き出しへ滑り込ませた。そして、メールをチェックしようとメーラーを起動していると、政宗が横から「あと」と話を続ける。
「週末の『縁切り』に関する報告が仁義君からあがってたけど、ちょっと気になるところがあるから、ケッカも早めに確認しておいてくれ」
「了解」
政宗の言葉を受けて、ユカはメールソフトを一度最小化した後、共用フォルダの中にある報告書をダブルクリックした。
週末――土日の夜は、主に、統治が『仙台支局』に残り、土曜日に仁義と環、仁義と統治という組み合わせで、日曜日が里穂と心愛、心愛と統治という組み合わせで巡回にあたってくれていた。
「土曜日は……18時、勾当台公園の近くで1件、女性、20代、氏名不明。森くんが対応。19時15分、勾当台公園市民広場の近くで1件、男性、30代くらい、名前はオオツカミツルさん、これは柳井くん……20時30分、勾当台公園、音楽堂の近くで気配を感じるが、様子見。日曜日は、17時40分、男性、40代くらい、これは里穂ちゃん。その際、勾当台公園の平和祈念像近くに女性が1人、声をかけたが逃げられる。同様の女性が19時すぎにも確認されている、様子見……」
資料を読み進めていくと、急に余白が広くなった。別の地点における結果報告の白さに、ユカは顔をしかめる。
「ちなみに西公園はゼロ、か。相変わらず同じ場所に集まっとるね……」
土日に生じた突発的な『縁切り』は、合わせて4件。その全てが勾当台公園、もしくはその周辺で発生している。
確かに人が密集する場所ではあるけれど……ユカは当時の状況を確認すべく、『親痕』として帯同していた空を呼び出した。
今日の空は白のニットの上から黒い革素材のジャケットを羽織り、明るい水色のダメージジーンズを着用していた。髪の毛は肩につくくらいの緑色で、毛先に濃い青のインナーカラーが入っている。
これまで見てきた空とはイメージが違いすぎる外見に、ユカは一瞬、面食らったが……。
「お疲れ様でーす。あ、なんかユカちゃんすっごい久しぶりな気がするー」
彼女のあっけらかんとした声を聞くと、一瞬で印象が上書きされる。
「川瀬さん、お疲れ様です。土日のことについて聞きたいことがあるんですけど……」
ユカが具体的に話を進めようとした次の瞬間、空が目を見開いて割り込んだ。
「そーなの!! 週末さー、なんか、すっごいケンカが多くって」
「ケンカ?」
「シヤクショのコートーダイ公園、通るたんびに誰かギャーギャーしてるんだよね。で、近くにはなんか、アタシみたいな……えーっと、えー……とにかくユーレイがグッヘッヘって感じて見ててさ!!」
空は、記憶力はずば抜けて良いが、語彙力はずば抜けて乏しい。身振り手振り、最後には少しニヒルな表情まで浮かべて訴える彼女に、ユカは思わず顔をしかめてしまう。
空の言動だけで判断するに、彼女が気になった『痕』は……。
「グッヘッヘって……楽しそうですね」
「そう!! なんかチョー楽しそうに見えて逆にヤバいっていうか!! でもさ、ココアちゃんが声をかけようとすると、ダッシュで逃げんの!! アタシも頑張ったんだけどさー、暗すぎるのと人が多すぎるので、見失っちゃってー」
「楽しそうに見えた上に、心愛ちゃんから逃げた……」
ユカは空の言葉を繰り返しつつ、勾当台公園付近を最重要地点に位置づける。
そして、ここ数日、イベント開始後からの自分の動きも思い返してみたが、継続して気になる特定の『痕』や『遺痕』はいなかった。その場で対処して終わることばかりだったから。
「ねぇ政宗、去年も公園付近が多かったって言っとったよね?」
「確かに多かったけど……ここまで重なってたわけじゃないからなぁ。この間の秀麗中学みたく、集まりやすくなってるのかもしれない」
「とにかく要注意ってことやね。クリスマス直前やし……って、そういえばクリスマスの日って結局どげんすると? 何か軽食とか用意しとると?」
「……」
ユカの指摘に、政宗は目を盛大に泳がせた後……統治へとヘルプのメールを送るのだった。
時計は進み、時刻は15時45分過ぎ。
1日の授業を終えた名波蓮は、リュックサックに必要な道具を片付けながら、今日の動き方を考えていた。
今日はこれから、一度、仁義と共に彼が生活している部屋にお邪魔して着替えを済ませ、16時30分から『仙台支局』でアルバイトだ。要するにあまり時間がない。
コートを着てリュックを背負った蓮が足早に教室から出ると、そんな彼を追いかける人影があった。
「名波君!!」
「刑部さん」
昇降口へ向かう彼を追いかけてきたのは、同じクラスの刑部友実だった。私服通学の高校だが、今日の彼女は白いブラウスに制服っぽい赤いリボンを着用し、薄い水色のカーディガンを羽織っていた。ベージュのミニスカートはチェック模様で、足元は紺色のハイソックス。肩につくくらいの長さの髪の毛をハーフアップにして、結び目にはシルバーのバレッタをつけている。
そういえば他にも、制服のような服装をしていたクラスメイトがいたような気がするが……特に話をしたわけではないので覚えていない。
一方、友実は何かと蓮を気にかけてくれており、クラスメイトとのつなぎ役になってくれることもあるため、ありがたい反面……どう接すればいいのか、未だに正解がよく分からないという現状もあった。
「名波君も急いでるの? 私もなんだ」
友実はそう言って笑顔を浮かべつつ、歩きながら持っていたモカ色のロングコートを羽織り、マフラーを巻いた。蓮は内心で「器用だな」と思いつつ、当たり障りのない会話で場をつなぐ。
「刑部さんもこれから用事ですか? 部活、では、なさそうですけど……」
「んー、部活……に、近いかも。今、ページェントやってるでしょ? そこでやってるイベントのボランティアスタッフに登録してて、これから打ち合わせ」
「そうだったんですね。えっと……どんなボランティア活動なんですか?」
「勾当台公園で、記念写真を撮影するお手伝いをしてるんだ。明日って祝日でしょ? だから、週末と同じくらいの人出を見越して、普段よりしっかり用意をしなくちゃいけなくて……でも、みんな笑顔になってるから、やりがいもあるんだ」
昇降口で靴を履いた彼女が、眩しい笑顔で蓮にこう言った。蓮は彼女のバイタリティを素直に尊敬しつつ、自身も外靴へ履き替える。
「夜は寒いと思うので……暖かくしてくださいね」
「ありがとう。じゃあ私、地下鉄に乗るから。また明日ねー!!」
門を出たところで友実と別れた蓮もまた、自分の目的地へ足を進めつつ……期間中は公園に近づかないようにしよう、と、ネガティブな決意を固めるのだった。
時刻は16時50分。ユカは本日最初の巡回担当・仁義と環の様子を確認し、改めて動き方に指示を出す。
「2人も大分、慣れてきたとは思うっちゃけど……週末、ちょっと慌ただしかったみたいやけんね。特に、勾当台公園周辺は気をつけて。何かあったらすぐに連絡してね」
「分かりました」
「……うす」
ユカの言葉に、2人がそれぞれ頷いた。次に瞬きをして視界を切り替えたユカは、頭上にいる空へ目配せをして。
「川瀬さんも準備はオッケーですか?」
「もち!! 今日は特にバッチリ働いちゃうからね!!」
頭上でピースサインをしている空に「宜しくお願いします」と頭を下げたところで、仁義が「じゃあ、そろそろ」と環を促した。
すると、衝立の向こう側で作業をしていた誰かが立ち上がり、バタバタとこちらへ近づいてくる。
ユカ達がそろって音がする方を見ると、瑞希が両手に何かを持って、3人の方へ近づいてきた。
「支倉さん、どうしたんですか?」
「あ、あのっ……これ、期間中に対処をした場所に、印をつけた、もの、なんですけど……」
瑞希がこう言って差し出したのは、観光客に向けた『光のページェント』の案内パンフレットに、イベント開始から昨日まで、いつ、どこで、突発的な事案が発生したのかを記したものだった。情報が記載された付箋がマスキングテープで補強されている。そして、こうして見ると……一部、対応が密集していることが一目瞭然だった。
ユカはそれを受け取って目を通し、やはりこれは放置できないと改めて決意する。
「やっぱ……勾当台公園がブラックホールやね。まとめてもらうとよく分かる……支倉さん、ありがとうございます」
ユカが頭を下げると、瑞希が狼狽して頭をふる。
「い、いえ、そんなっ……データをもっと、視覚的にした方が、いいかなって思っただけなので……!!」
「あるのとないのでは大違いです。仁義君、これ、大事に持って参考にして。それで、次に見回る人に、ちゃんと渡すようにしよっか」
「それがいいと思います。次は……山本さんと心愛さん、ですよね。じゃあ、合流する場所も含めて事前に連絡します」
「了解。じゃあ2人とも、気をつけて」
時間になったことでユカが2人を改めて促すと、仁義は瑞希から受け取った資料をもとの三つ折りに折りたたみ、持っていたショルダーバッグの中へ片付けた。
環もまたコクリと頷くと、見送る瑞希をチラリと視界の端に捉えて。
「……行ってきます」
「い、行ってらっしゃいっ……!! 気をつけてね……!!」
瑞希が軽く手を振ると、環もどこかぎこちなく片手を上げた後……仁義と連れ立って、『仙台支局』を後にした。
足音が遠ざかっていく音を聞きながら、ユカは瑞希を見上げて。
「支倉さん、あのマップ、政宗とか統治の指示だったんですか?」
「い、いいえっ!! 私が勝手なことをしてしまったんですけど……!!」
「そうだったんですね。最近はどうしても、データだけで見ることが多かったので……改めて危機感を共有できました。本当にありがとうございます」
ユカが改めて頭を下げると、瑞希もまた「こちらこそっ……!!」と頭を下げた後。
「そういえば……昨日、お姉ちゃんから聞きました。山本さんと佐藤支局長、週末に、鳴子でお仕事だったとかって……」
「あー……」
そういえばそんな話にしていたなぁと思い至ったユカが、政宗の忌引休みとどうやって話の整合性を保たせようか、目を泳がせて思案していると。
「……とりあえず、話、合わせておきましたのでっ……!!」
「支倉さん……」
「佐藤支局長が、大変な中で頑張ってくださっているのは知っていますから。今日もこれから21時まで残業をしたいって、さっき申請が――」
「――ざんぎょぉ!?」
刹那、ユカは目を剥いて声を上げると、最速で政宗のところへ移動した。そして、ブルーライトカットのメガネをかけてノートパソコンを操作している彼の隣に立ち、スーツの上着を引っ張る。
「ちょっ……政宗、残業ってどういうこと!? っていうか時間休やろうもん!! なしてここにおると!?」
仕事を邪魔された政宗は、「今気付いたのかよ……」と苦笑いを浮かべて。
「ちょっと事情が変わって、今日はもうちょい頑張ることにしたんだ」
しれっとこんなことを言い出すから、ユカは思わず目眩がした。
「事情が変わって、って……だって政宗、明日も午後から出勤やろうもん。休日出勤の前は残業せんようにしようって……」
「あぁ。そのことなんだけど」
政宗は一度メガネを外すと、それを脇に置いた。そして、座ったままユカを見上げ、口元に穏やかな笑みを浮かべる。
「明日ちょっと、関東に行ってくる」
「へ?」
話が急に飛躍したので、ユカが間の抜けた声を出した。一方の政宗は落ち着いた様子で、決意と共に理由を続けた。
「今日、弁護士の先生と話をして、俺の希望を伝えた。そしたら、まずは先方の専門家とも直接会って、お互いの条件をすり合わせましょうってことになって……明日、一緒に行ってくれることになったんだ」
「そ、そういうこと……!! え? じゃあ、明日の事務所待機は?」
「支倉さんに変わってもらうことになった。ケッカは予定通り現場の指示。統治にも事情は説明してあるから、何かあったら統治を頼ってくれ。だから、明日ここでやる予定だった仕事を片付けるまで、今日は残らせてもらうよ」
「わ、分かった。そげな事情があるなら。しょうがなかね……」
事情を把握したユカは頷きつつ、掴んでいたスーツから手を離した。
そしてその手を握りしめると、彼に向けて突き出して。
「政宗……頑張ってね」
「……おう。頑張ってくる」
左手を握った政宗が、ユカの拳を軽く押し当てた。
そして翌日、クリスマス直前となった祝日の午後、時刻は15時30分。
「うわ、さっむ……」
鍵を開けて事務所の中に入ったユカが、すっかり冷え込んだ室内で軽く身震いをした。
瑞希は16時頃、ユカと共に17時から見回ることになっている里穂は、16時30分頃に到着する予定だ。とりあえず室内の空調をオンにしたユカは、政宗の席の引き出しからキャビネットを解錠するカギを取り出し、いつも通りに鍵を開けていく。そして、使い終わったカギを元の場所に戻し、コートをハンガーにかけた後、自席パソコンの電源を入れた。
昨日の夜、心愛と見回りをした時は、特に異常はなかった。それは仁義と環のペアも同じだったようで、環が「マジ平和だったっすね」と、シミジミと呟いていたことを思い出す。
ただ、今日はクリスマス前の祝日だ。ページェント以外にも多数のイベントが同時進行される時間もあり、当然、街に繰り出す人の数も増えるだろう。引き続き警戒に当たる必要がある。
ふと、机の上に置いていたスマートフォンが軽く振動した。メッセージの送信者は政宗。先程、出勤を連絡したため、「お疲れ様。そっちは宜しくな」という返信が届いたのだ。
彼は朝の早い時間に家を出ていった。明日は政宗が午後から出勤ということもあり、遅くなるようであれば関東で泊まるかもしれないということは聞いている。要するに、彼の助けは期待出来ない。
だけど……不思議と、不安は少ない。ゼロではないけれど、落ち着いて行動することが出来ているように思う。
一度に全てをこなすことは出来ないから、1つずつ向き合って、確実に。
「……よし、っと……!!」
ユカは机の上に置いてあったチョコレートをつまみ上げ、包装紙を外してから口の中へ放り込んだ。
本編の世界は平成なので、12月23日は祝日です。




