エピソード5:Crossing hearts③
「もう!! 心愛が一体何をしたって言うのよ!!」
日曜日の20時過ぎ、心愛は『仙台支局』の応接用ソファに座って、夕食後のホットココアを飲みながら、胸の中に溜まりまくっていた不平不満を金切り声でぶちまけていた。
隣でホットミルクティーを飲んでいた里穂が、「まぁまぁ」と笑顔でなだめに入る。
「ココちゃんは何もしてないっすよ」
「そうよ!? 心愛、何もしてないんですけど!?」
「うち兄ー、ココちゃんが大荒れっすー」
見かねた里穂が衝立の向こうにいる統治を呼ぶと、彼は自分のマグカップを持って、げんなりした表情のまま近づいてきた。立ち上る湯気と香りから、その中身がブラックコーヒーであることが伺える。
テーブルを挟んで心愛の向かい側に座った統治は、カップを置いて息を吐くと……荒れている妹を横目で見やり。
「心愛は何もしていないじゃないか……」
「だからそうだって言ってるでしょう!? それが……あぁ、もうっ!!」
苛立ちを抑えたくて、テーブルにあった一口サイズのチョコレートを頬張る。ミルクの甘さが口の中に広がり、無言でそれを口内移動させることで落ち着いてきた……ような気はするけれど、なんとも言えないモヤモヤが残っている。
心愛が荒れまくっている理由は、数時間前にさかのぼる。
「――はい、終わったっすね」
コートのポケットから取り出した物差しで『痕』の『縁切り』を行った里穂は、気配が消えたことを確認して、心愛と顔を見合わせ……ホッと肩をなでおろした。
時刻は17時40分、場所は仙台市中心部にある勾当台公園、野外音楽堂の裏手にあたる茂みの中。
絶賛開催中である『光のページェント』のメイン通りからは少し離れているが、大勢のお客さんを迎えるため、公園内には多くの出店が出店していた。この音楽堂でもイベントが開催されている時間帯もあるが、次のフリーライブイベントは19時半であり、屋外で食事をするには風が冷たい。多くの人は暖房設備が備えられたテントの中など、寒さをしのげる場所で過ごしていた。要するに人の通りもさほど多くなく、立ち止まる人となるともっと少ない。
そんな場所に里穂と心愛がやって来たのは、見回りをしていた空から呼び出されたからである。
「リホちゃん、ココアちゃん、なんか、ずーっとブツブツブツブツなんか言ってるヤバい男の人がいるんですけど!!」
そんなざっくりした情報で現場に向かってみれば、陰鬱とした表情で呪いの言葉を吐き続けている『痕』に遭遇したのだ。残る『関係縁』は、右手に1本。完全に変色している様から、生前、相手との関係がかなりこじれていたことが伺える。
里穂は本能で「切ろう。」と判断し、コートのポケットに手を入れて、中に忍ばせていたものさしの位置を確認した。そして、隣にいる心愛を見やり、端的に指示を出す。
「ココちゃん、今日はうち兄とラストまでっすよね。ここは私がやるっす」
「分かった。しゃ、写真は頑張る……フラッシュって駄目なのよね……」
震える声と共にスマートフォンを取り出した心愛は、写真を撮影するために専用のアプリを起動した。周囲が薄暗くなっているので、撮影するならばフラッシュを使用したいところだが、フラッシュをたいて撮影すると、映るはずの『痕』や『関係縁』も白飛びしてしまって見づらくなるため、あまり推奨されていないのだ。統治からは「後から画像を明るくすることもできるから、撮影時はそのままの状態で行って欲しい」と言われている。
と、なると、物理的にある程度近づくしか方法はない。幸い、音楽堂の裏手とはいえ周囲に明かりがある街中のため、撮影すれば何か残るとは思いたいけれど……不安の残る心愛に里穂は一度笑顔で頷くと、冷静に対象者へ近づいて……あっという間に仕事を終えてしまったのだ。
ものさし、という、『切る』という行為とはあまり結びつかない文房具を己の相棒として操って仕事をこなす、里穂は心愛にとってプロフェッショナルとして一目置いている、統治とは別のベクトルで目指したい姿でもあった。
「はい、終わったっすね」
しれっとそう言って戻ってきた姿に、疲れは1ミリも感じられない。
「ココちゃん、写真は大丈夫っすか?」
「えっ? あ、えっと……」
我に返った心愛は、慌ててスマートフォンの画像フォルダを確認した。里穂が隣から画面を覗き込み……。
「……ま、あとはうち兄が何とかしてくれるっすよ!!」
判断を避けた。
データとして残っていたのは、それぞれの輪郭がうすぼんやーりと写っている1枚。木々が生い茂っている様子と、猫背で立ち尽くしている男性……らしき物体。鮮明とは言えないが、何もないよりマシだ。きっとそうに違いない。もっと近づいたところで、変化はさほど期待出来なかった……だろう。多分きっと。
「こんな暗がりで、はっきりした写真なんて撮れるわけないじゃない……!!」
心愛は文句をひとりごちながら、取り急ぎ、画像を統治へ送信した。
その対応から約2時間後、時刻は間もなく19時半。
里穂と交代して見回りにあたることになった統治は、心愛と共に、西公園から勾当台公園へ向かっていた。イルミネーションの下を歩きながら……隣を歩く妹を見やる。
「連続対応ですまない。疲れたら言ってくれ」
「大丈夫よ。心愛、今日は特に何もしていないから」
「そうか……」
どこか棘のある妹の態度に、統治はどうしたものかと無言で思案した後……。
「……最近、学校は、どうだ?」
まるで父親のような質問になってしまった。
刹那、面食らったような表情の心愛が、大きな目を見開いて統治を見上げ……。
「……普通よ。最近、生徒会長を引き継いだくらいで……」
「それは本当に『普通』なのか……?」
心愛の感覚に、今度は統治が面食らってしまう。その様子が新鮮で、心愛は思わず吹き出してしまった。
「何よお兄様、その反応。あの状態で会長職を引き継げるの、心愛しかいないでしょう?」
「それは、言われてみれば確かにそうなんだが……忙しくなるんじゃないか?」
「かもしれないわね。だけど……それを言い訳にはしたくないから」
心愛はそう呟いて、不意に視線を頭上へ向ける。降り注ぐ光の眩しさに、一瞬、目がくらんだけれど……すぐに慣れた。
そう、慣れだ。改めてそう思う。
この日常にも、非日常にも。
「慣れてみせるわよ」
そう言って口元に笑みを浮かべる。そんな妹の立ち姿が、今の統治にはとても誇らしい。
だからこそ。
「……心愛、いけるか?」
「うん」
勾当台公園へ戻ってきて、人の流れが鈍くなったところで。
音楽イベントで盛り上がる野外音楽堂の方から、明らかに『異質』な気配を感じた。
小柄で女性の心愛のほうが移動も早い。そう考えた統治の指示に、心愛は全力で頷いて。
そして、対象の女性『痕』を発見し、追いかけたのだが……。
「ココアちゃん、盛大に逃げられちゃったんだよねー。いやー、あの女の人、すっごいチョコマカ逃げてたよねー」
時と場所は戻り、『仙台支局』の明るい電気の下。
空から明るく現実を突きつけられた心愛は、口元を歪めて息を吐いた。
そう、逃げられてしまったのだ。
当然だが、心愛も逃がすつもりはなかった。ただ、対象の女性『痕』が急により暗い茂みの方へと逃げ込んでしまい、頑張って追いかけたのだが……程なくして見失ってしまったのだ。
追いついた統治と共に気配を辿ったが、人が、その他が多すぎてうまく行かず。
そのまま数十分粘って警戒を続けたけれど、彼女が戻ってくる気配も、禍々しい痕跡も特になかったため、時間を区切って引き上げてきたところだった。
心愛は空を見上げ、ジト目を向ける。
「空さんこそ、見失ってるじゃない」
刹那、自分が責められたと感じた空は、申し訳なさそうな表情で両手を眼前で合わせる。
「それは本当、マジでごめんね!! アタシしか自由に動けないのに……次は絶対、絶対に逃さないから!! だから……!!」
「あ、えっと……」
毒気をそがれた心愛は、自分を落ち着かせるために、もう一口ホットココアを口に入れた。そして。
「……心愛も迂闊だったの。次は絶対に、逃さないんだから……!!」
「え!? ココアちゃんブカツ入ってたっけ!? あ、セートカイ部!!」
「迂闊!! うっかりしてたってことよ!!」
空の間違いへツッコミを入れる様子を見ながら、統治は里穂と視線を合わせ、肩をすくめた。
あの心愛が、紆余曲折を経て……こうして、『痕』の女性と会話が出来るまでになったのだから。
「そういえばうち兄、政さん……大丈夫っすか?」
この問いかけに、統治は迷いなく「ああ」と頷く。
「佐藤のことは山本に任せてあるから問題ない」
「だったら大丈夫っすね。そういえば、うち兄はお二人へクリスマスプレゼントは渡さないっすか?」
「……」
里穂の問いかけに統治は即答せず、コーヒーを一口すすった。
そして、カップから口を離した後……口元に笑みを浮かべる。
「何を渡すか、考えているところだ」
その表情がとても優しくて。里穂は軽く目を見開いた後、改めて肩をすくめる。
「うち兄もココちゃんも同じっすねぇ……」
「どういうことだ?」
「言葉通りの意味っす」
里穂はしたり顔でそう言うと、残っていたミルクティーを飲み干した。
その後、事務所を閉めた統治が、心愛を実家まで送って自室のあるアパートへ戻ってきた時……時計の針は22時30分を過ぎていた。
冷え切った冬の空気の中、駐車場から部屋までの道のりを足早に進んでいると、急に、カバンの中のスマートフォンが振動を繰り返す。
「佐藤……?」
歩きながら相手を確認した統治は、用件を確認するために着信に応じる。
「はい、もしもし」
『統治、遅くにごめんな。今って電話大丈夫か?』
電話の向こうから聞こえるのは、統治もよく知っている彼のもの。
統治は立ち止まってBluetoothイヤホンの電源を入れると、それを耳に入れて、通話をそちらへ切り替えた。
「ああ、問題ない。佐藤こそ、大丈夫なのか?」
『俺はもう大丈夫。みんなのおかげだ』
そう言って笑う声は、統治もよく知っている彼の音。
ドアの前に立って鍵を開けたところで、電話の向こうの政宗が『今、帰りか?』と問いかける。
「心愛を送っていたんだ。仕事そのものは時間通りに終わっている」
『そっか。心愛ちゃん、こんな時間まで大丈夫なのか?』
「冬休みも近く、課題の量も減っているから問題ないそうだ」
『心強いな。それで……今日、何か変わったことはあったか?』
そう言って報告を求めるその声は、統治が信頼している彼のトーン。
玄関ドアを内側から施錠し、靴を脱いで部屋に入る。タイマー設定しておいた暖房が仕事を開始しているため、部屋の中はしっかりと暖かい。
カバンをベッド脇に置いて、コートを脱ぎながら、統治は今日の様子を思い返していた。
「そうだな……やはり、昨日から突発的な事案が多いように感じる。日報を簡単にメールで送っておいたから、明日、確認してほしい」
『分かった。統治は明日、しっかり休んでくれよ』
「言われなくてもそのつもりだ」
コートをハンガーにかけて壁際に吊るしながら、統治は一度、息を吐いた。
そして。
「佐藤こそ、何か変わったことはなかったのか?」
金曜日は聞けなかった質問。統治がナチュラルに問いかけると、電話の向こうの彼が、しばし黙り込んだ。
政宗は統治がどこまで把握しているのか分かっていないし、ユカが統治へツーショット写真を送ったことも知らないかもしれない。統治もまさか、鳴子温泉まで行っていたとは思わなかったけれど、写真撮影スポットのこけしオブジェを背景に、自撮りと思われる構図で2人が楽しそうに並んでいる、その写真を見た瞬間、盛大に安堵したのだ。
かつて彼は、自分を『死神』と呼び、周囲と絶妙に距離をおいていた。
そんな過去の面影を、最近の政宗からも感じることが増えていたので、もしも、彼がフラッといなくなってしまったら……そんな、根拠のない漠然とした不安もあったのだ。
写真の中にいる2人の表情から、統治は自身の心配が杞憂に終わったことを悟る。
しかしその後、ユカから特に何の報告もなく、政宗とも業務連絡的なメールのやり取りしかしていなかったので、この写真後の2人がどうなったのか、少し気になっていたのだ。
刹那、電話の向こう側で、政宗が急に疑心暗鬼になる。
『統治……どこまで知ってる?』
「佐藤か忌引で休んだところまでだ」
『絶対嘘だよな!? 俺たちが鳴子に行ったことも知ってるだろ!?』
「鳴子まで行ったのか? あそこは名倉家の管轄なんだが……」
『そんなこと俺だって知ってるよ!! あぁー……もう、長くなるぞ、覚悟しやがれ!!』
何かを諦めたような政宗の声を聞きながら、統治は冷蔵庫の前まで移動した。冷蔵保存の調味料や卵、牛乳、昨日作りすぎてタッパーに詰めたカレーなどが並ぶ中から、彼にしては珍しく、缶ビールを一本取り出した。同時に個包装の笹かまぼこを数個握り、冷蔵庫を閉めてテーブルへ向かう。
プルタブの音が政宗へ聞こえないように気をつけながら缶をあけて、まずは一口。
すると、耳ざとい政宗が何かに気付く。
『統治……何か飲んでるのか? もしかしてビールか?』
「水だ」
『だよな。それで、えぇっと、まずはケッカと野蒜海岸に行くことにになってさ……』
政宗の話を聞きながら、統治はもう一口、仕事終わりの体にビールを流し込んだ。
酒の肴として、こんなに最適なものはないのだから。




