エピソード4:晴れの日に向かう覚悟②
よく考えなくても12時間以上まともに何も食べていないことに気付いた2人は、歯磨きや洗顔といった身支度を整えてからホテルをチェックアウトすると、腹ごしらえをすることにした。
天気は晴れのち曇り、といった様相。冬の澄んだ青空に、薄い雲がなびいている。相変わらず気温は上がっていないけれど、昨日の夜の寒さを体感していると、割と耐えられそうな気がした。
「というか政宗……ここ、どこなん?」
とりあえず近くにあった大型スーパーの駐車場に移動したところで、助手席のユカが政宗に問いかける。政宗は車内に置きっぱなしだったチョコレートをつまみつつ、自分たちがとこにいるのかを告げた。
「ここは……地名で言うと矢本。石巻の手前だ。市町村的なことで言うと、昨日の海岸と同じ、東松島市になるな」
ユカは自身のスマートフォンに入っている地図アプリを起動して、自身の現在地を確認する。
全く土地勘のない場所だが、不安はない。
画面を人差し指でスクロールしていくと、すぐに石巻市に突入した。
「里穂ちゃん家はここからもっと先になるんやね」
「そうなるな。さて、飯か。この辺だと……あ、俺が知ってるところでもいいか?」
この問いかけに、ユカは首を縦に動かした。
政宗が脳内で地図を展開する様を、出発してからずっと、隣で見てきた。だから、何の不安もない。
「むしろそこをお願いしたいかな。政宗が選ぶ店って、ハズレがないけんね」
「それはありがたい。じゃあ、移動するぞ」
ハンドルを握った政宗は、どこか楽しそうな横顔で車を発進させる。
その様子を見たユカは、少しだけ、胸をなでおろした。
――死のうと、して……道路、に、飛び込んだんだ……。
昨日、彼の口から聞いた言葉は、まだ、少しだけ気になるけれど。
でも今は、ユカがよく知っている眼の前の彼を信じよう、そう、決めたから。
その後、矢本駅の近くにある個人経営のレストランで食事を済ませた2人は、車で次の目的地を目指していた。
「ハンバーグ美味しかったー!! 政宗、前にも来たことあったんやろ?」
ボリューム満点の食事にご満悦のユカに、政宗は「ああ」と頷いて。
「前に万吏さんに連れてきてもらったことがあるんだ。手頃な値段でしっかり食べられるし、味も美味いから、近くに来たらまた寄りたいって思っててさ」
「そっか、茂庭さんも石巻の人やもんね。そういえば、店の中に飛行機の写真がたくさん飾ってあったけど、あれ、店主の趣味なんやろうか……」
個人経営なのか、居心地の良い落ち着いた空間の一角に、ユカが見慣れない飛行機の写真が複数飾られていた。いつも空港で利用する旅客機とは異なる、一人乗りの青い機体。それが隊列をなして滑空している様子が、写真という媒体で鮮明に記録されていたのだ。
初めて見たユカに、政宗が簡単に解説をする。
「あれはブルーインパルスだよ。自衛隊の飛行チームで、写真にあった飛行機に乗って、アクロバティックな飛行を見せてくれるんだ。この近くに基地があって、年に一度の自衛隊の航空祭は……それを見るためにすっげー人が集まるぞ」
「ブルーインパルス……」
その単語に聞き覚えがあったユカは、慌てて自身の記憶を辿る。
つい最近聞いたのは、どこで、誰からだったか。
「政宗、確か……彰彦さんと見たことあるって言っとらんかった?」
「ああ。一度だけ、だけどな。おんちゃんに連れてきてもらって……すごくかっこよくて、綺麗だったんだ」
運転席で目を細める彼に、ユカは肩の力を抜いて、パーカーのポケットからチョコレートを一粒つまみ上げた。それをそっと、口の中に含むと、優しい甘さが口の中に広がっていく。
「……あたしもいつか、見てみたいな」
無意識に呟いた願望。それを聞いた政宗は、目尻を下げて頷いた。
「分かった。人が多いけど、文句言わないでくれよ?」
それから、県道16号線等を使い、大崎市方面へ北上していく。
「ケッカ!! ここが一ノ蔵がある松山だ!! 酒ミュージアムもあるぞ!!」
「……は?」
政宗が途中、有名な日本酒の蔵元がある町でやたらテンションを上げた以外は、特に問題もなく……時刻は13時30分過ぎ、買い物のために、大崎市の中心部にあるショッピングセンターで車を駐めた。
「悪い、ちょっと統治に電話してくる。適当に見ててくれ」
政宗はこう言って、一度、建物の外へ出ていった。その背中を見送りつつ、とりあえず、カゴを持つ。そして、とりあえずの下着や靴下を適当に放り込んでいると……視線の先には、クリスマスギフトの特設コーナーがあった。
「クリスマス、か……」
すっかり忘れていたが、クリスマスまであと10日もない。売り場もいつも以上にきらびやか。商品の在庫も普段以上に積み上げており、客を取り逃さないようにしているように見える。
そして……その売場でプレゼントを選んでいる人が、皆、とても嬉しそうに見える。
「『仙台支局』のみんなに、政宗……に、何か……」
去年までは、政宗や統治とメールで当日に連絡を取り合う程度で、具体的に何かをプレゼントしたことはないけれど。今年は流石にそういうわけにはいかないし、それ以上に。
「……早く決めんと、ね」
彼らにプレゼントを渡したい気持ちが強いから、時間を見つけて用意したいと思っている。
改めて彼らの好みをリサーチしようと気持ちを新たにしたところで、政宗が戻ってきた。
「政宗お帰り。何か問題があったと?」
もともと土日は稼働していない『仙台支局』が、繁忙期だからという理由で動いているのだ。何かトラブルが発生したならば引き返そう……そんな心持で尋ねると、政宗は首を横に振る。
「いや、一言……謝罪と感謝を。あっちは特に問題ないから、土産買ってこいだってさ」
「分かった。あ、これ、あたしは選んだけど、会計は別々にする?」
「いや、別に一緒でも――」
政宗がユカからカゴを受け取ると、無意識に中身を確認して……無造作に放り込まれた下着を目の当たりにし、慌てて目を遠くまで泳がせる。
何となくこうなるのではないかと思っていたから、別会計を提案したのに……ユカは言葉を見失った政宗へジト目を向けると、自身の設定を思い出して、試しにキャラを作ってみた。
「……そうだ。お兄様ー? どうなさったんですかー? 妹の下着なんて、見慣れていらっしゃるのではー?」
「いやっ、そっ……!!」
しどろもどろになる政宗から苦笑いでカゴを奪い取ったユカは、それを自身の後ろに隠しつつ、「ほれ」と、紳士物売り場を顎でしゃくる。
「政宗はあっちやね。あたしはこれ払ってくるけん、自分のば探しよって」
「分かった……ごめん」
「謝ることじゃなかろうもん。じゃあ、払ってくるけんね」
ユカは努めて明るく声をかけた後、背を向けてレジの方へ向かう。
政宗も慌てて、自身の買い物を済ませるために売り場へと足を進めながら……今日、同じ部屋で過ごす彼女はあの下着を身に着けているのか、と、当たり前のことを改めて想像してしまい、慌てて頭を振った。
分かっている。
今の自分は、間違いなく。
「……浮足立ちすぎだろ、俺……!!」
キッカケはどうであれ、昨日の夜からずっと、彼女と行動を共にしていること。
彼女を独占出来ることが、嬉しくてしょうがないのだ。
それはさておき。
買い物を終えた2人は、車に戻って目的地を目指す。
「市街地から割と遠いんやね……」
ナビに表示された到着予定時刻を見たユカが、目を丸くして呟いた。
鳴子温泉郷までは、大崎市の市街地から車で約1時間。高速道路のインターチェンジを超えてしばらく進むと……コンビニや商店が少なくなり、田畑が増えた。遠くに見える山の数も増えて、住宅同士の間隔も広くなっていく。
「あ、この近くに道の駅があると?」
「ああ。ただ、寄るのは帰りにしようと思う。行きがけで見どころを全部消費したら面白くないからな」
「分かった。うわ、すっごい混んでる……人気なんやねぇ……」
途中にある道の駅へと吸い込まれていく車列を横目に、2人はまっすぐ目的地を目指した。
そして……車を走らせると、景色が更に変化していく。
ある地点を超えてから、急に背の高い宿泊施設が増えてきて、温泉の湯気と思しき白い煙が、いたるところから噴出していた。
周囲を山に囲まれていることもあり、少しだけ非日常を思わせる雰囲気。
これを以前、どこかで感じたような……そう思ったユカが記憶を掘り起こしている隣で、政宗は時間を確認して呟く。
「もうすぐ着くな。とりあえずチェックインするか……」
「……あ、そっか。熊本で仕事した時と雰囲気が似てるのか……」
「急にどうしたんだ?」
「え? あ、ほら、前にあたしとセレナと政宗で、熊本の黒川温泉で仕事をしたことあったやろ? そこと雰囲気が似とるなぁって思って」
「あぁ……確かに」
政宗もユカに同意しつつ……不意に、口元に笑みを浮かべる。
「要するに、飛び込みの仕事がありそうってことか?」
刹那、ユカが目に見えて表情を歪めた。
「えー!? やめてよ、本当になったらどげんすっと!?」
「そうしたら……よし、今回の旅費を全部経費にねじ込んでやるよ」
「やめんね、支倉さんが失神するよ」
ユカの苦笑いに、政宗も「そうだな」と頷いて……歩く人も増えてきた道を少し減速し、目的地を目指した。
鳴子温泉郷。
宮城県北部の大崎市にある、鳴子温泉、東鳴子温泉、川渡温泉、中山平温泉、鬼首温泉、以上5ヶ所の温泉地から形成されている、県内屈指の観光地だ。
今回、2人が目指しているのは、その中にある鳴子温泉。古くから奥州三名湯に数えられており、泉質が多彩で源泉の数も多いことが特徴だ。また、鳴子こけしや鳴子漆器といった民芸品の人気も高く、特にこけしは全国的にも愛好家が多い。
秋は紅葉が美しい景勝地としても有名だが、12月の今、紅葉はとうの昔に終わっている。路肩にうっすらと残る雪に顔をひきつらせつつ、政宗は大きなホテルの駐車場に車を駐めた。エンジンを止めてシートベルトを外し……長距離運転を終えた安堵で、一度、息を吐く。
助手席のユカもまた、シートベルトを外すと、席に座ったまま大きく伸びをした。
「ついたー……!!」
「やっぱ、遠いな」
少し疲労が感じられる横顔に気付いたユカが、心配そうな眼差しで彼を見つめた。
「政宗、お疲れ様。部屋で少し休む?」
「いやー……とりあえずチェックインしてから考える。行くぞ、妹よ」
「そうだった。了解」
互いの設定を確認しあい、車から降りる。刹那、頬を貫通していきそうなほど強い冷気に迎えられ、ユカは思わず震えあがった。
仙台も寒い、昨日の野蒜海岸も寒かった、けれど……今、この瞬間が、人生で最も物理的に寒い、そう思える冬の厳しさをヒシヒシと感じる。
「さっっむぃ!! うわ、寒い!! 東北っぽい!!」
「マジで県北は寒さの質が違うな。行くぞー」
互いに荷物を抱え、大きな自動ドアをくぐる。明るく広いロビーに一瞬面食らったが、我に返って彼の後に続いた。
この館内では、ユカは政宗の妹なのだ。付かず離れずなどご法度。ついて回る、くらいの勢いでなければならない……だろう。多分。
一方、政宗は真っ直ぐフロントへ向かい、会釈をしてくれた職員へ名前を告げる。
「すいません、予約していた佐藤ですが……」
政宗が必要な手続きをしている様子を、ユカは隣でぼんやりと眺めていた。
宿帳、と呼ばれる書類に彼が記載しているのは、半分ほどが嘘の情報だ。
本当なのは、住所と、電話番号と、誕生日、車のナンバー。
嘘なのは、名前と、そして……。
「同行者は……妹、だから……」
今回の同行者を問いかける欄、用意された選択肢の中にある『家族』に丸をつけた政宗は、人数を書いた後、記載漏れがないかどうか確認した。そしてそれをフロントスタッフへ渡し、代わりにカギと、食事の際に引き換える食券を手渡される。
「お部屋は別館3階の302号室です。部屋の扉はオートロックになっておりますので、お気をつけてください。また、外へおでかけの際は、フロントへカギを預けてください」
「分かりました」
「本日の夕食は17時から20時30分まで、明日の朝食は朝7時から9時までです。詳しくは室内にある『しおり』か、館内スタッフにお尋ねください。また、無料で浴衣のレンタルも実施しておりますので、お気軽にご利用ください。では、担当者がご案内いたします」
フロントスタッフが手で示した先、案内係の和服の女性が会釈をしていた。政宗はフロントへ「ありがとうございます」と告げて、ユカと共に案内係の女性の方へ向かう。
紫色の着物を着用し、背筋を正している彼女は、外見の年齢が30代前半といったところだろうか。穏やかな笑顔で「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました」と2人を歓迎しつつ、慣れた様子で2人分の荷物を持ち、移動を開始する。
「お客様はどちらからいらっしゃったのですか?」
エレベーターを待つ間に尋ねられ、政宗は営業スマイルで応答した。
「俺たちは仙台です。鳴子はやっぱり寒いですね」
「そうですね。今晩は特に冷え込むらしいので、暖かくしてお過ごしください。ご兄妹で旅行なんて、仲がいいんですね」
到着したエレベーターの扉を押さえながら、彼女がユカを見下ろして微笑んだ。ユカは咄嗟に「そう、ですね……」と返答しつつ、口元を少しだけ歪める。隣にいる政宗が、ユカが何を語るのか期待しているような眼差しを向けているからだ。
ここは期待に応えよう、何となく。
「兄は……年末、仕事が忙しいので。ちょっと早めのクリスマスプレゼントにカニ食べたいってお願いしたんです」
「そうだったんですか。優しいお兄さんですね」
「そうですね。とても……優しくて」
エレベーターの扉が閉じて、数字がゆっくり増えていく。
ユカは肩をすくめると、口元に笑みを浮かべた。
「……チョロい兄です」
「オイ!! 言い方!!」
政宗が盛大にツッコミを入れた瞬間、エレベーターの扉が開いた。
■ブルーインパルスとは(https://www.mod.go.jp/asdf/pr_report/blueimpulse/about/index.html)
■松山酒ミュージアム(https://ichinokura.co.jp/museum)
■鳴子温泉郷(http://www.naruko.gr.jp/)
作中でもあまり訪れたことがない、宮城県の北部が舞台です。とはいえ、櫻子が住んでいる場所は更に北なので……作者や作品の都合でしょっちゅう仙台まで呼び出されて、大変だなぁと思いました。




