↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/43

エピソード4:晴れの日に向かう覚悟①

 彼が最後まで心の奥底に秘めていたことだから、きっと、辛いことなのだろうと覚悟していたけれど。

 まさか、自分の生命を終わらせようとした体験だとは、思っていなかった。


「……そう、だったんやね……」

 話を聞いたユカは、口元を引き締めて、涙を堪える。

 ここで自分が泣いてしまうのは、絶対に嫌だった。

 最後までしっかり聞いて、彼の行動を、思いを――過去を、受け止める。

 そのために、ここまで連れてきてもらったのだから。

 星空の下、ピンと張り詰めた冬の空気。穏やかな波の音が響くこの場所で、ユカはとりあえず、当たり障りのない言葉を選んだ。

「それは……誰にも話せん、よね……辛いこと思い出させて、ごめん……」

 この言葉に、政宗は「いや」と頭を振った。

「……俺も、誰かに聞いてほしかったんだと思う。最初にケッカに話せて……良かった」

 少しだけ吹っ切れた様子も伺えた政宗だったが、すぐに目を伏せると……目尻に残った涙を拭い、白い息を吐く。

 その横顔には、これまでに色々なことを諦めてきた陰(かげ)があった。

「その時の衝撃がきっかけで、『縁故』の能力が目覚めたんだと思う。そこから先は、この間、話をした通り。だから……10年前の夏に、ケッカが『遺痕』に襲われた時も、立ち直れないかと思ったんだ。俺はやっぱり死神だったって、思い知らされたような気がしてさ」

「……」

「今回、実の祖母が亡くなったって聞いて……勿論、悲しい気持ちはある。けど、それ以上に……心の何処かで安心してしまった、そんな自分に気付いてさ。俺、祖母の死を願ってたのかもしれないって思ったら……死神って言われて、言い逃れできないなって、思ったんだ」

 政宗はこう言って、静かに、その場に腰を下ろした。ユカもまた、彼の隣に座ると……ぼんやりと、海の方を見つめる。

 視線の先は真っ暗で、波の音が聞こえるだけ。沖を行く船もないので、今は……何も見えない。

 夜が明けることは間違いないはずなのに、この暗闇に飲み込まれて行き先を見失い、孤独だとしか思えなくなってしまう。


 ただ、同時に……これで誰も、傷つけない。

 そう思って安心してしまう。

 孤独は、他人と関わらない。

 だから、今のままでいいような気もしてしまう。

 ずっと、このままで。

 ずっと、1人で。


「俺は……家族がいない方が、丁度いいんだろうな」

「っ……!!」


 少し自嘲気味に笑って呟いた次の瞬間、ユカが彼の手を強く掴んだ。そして、震える声で問いかける。

「政宗は……それで、よかと?」

「それ、は……」


 暗闇に目が慣れてきて、少しだけ、互いの顔も見えるようになってきた。

 彼女がこちらを真っ直ぐに見つめていることも、よく、見えている。


「こげなこと言っていいのか分からんけど……庄司さん達みたいに、こちらの都合を考えてくれんような家族は……いるかいらないかで言ったら、いらんと思う。けど……」

 政宗と血の繋がった家族を否定したくはないけれど、ここ数日間の彼らの行動は、ユカからみても目に余った。

 彼のこれまでを鑑みず、自分の都合だけを押し付ける。

 そんな『家族』を、ユカもよく知っている。


 ――お前なんか生むんじゃなかった!!

 そう言って自分を睨みつける母親の顔が、少しだけ、ユカの脳裏をかすめたけれど。


 でも……『家族』という言葉を聞いて、実の両親よりも先に思い浮かぶ人に出会えた。

 それはきっと、政宗も同じはずだ。


「でも……彰彦さんみたいなお父さんは、ほしかったんじゃなかと?」

「ケッカ……」

「あたしは、彰彦さんに会ってみたかった。きっと統治も同じだと思う。会って、政宗のこと、たくさん聞きたかった。彰彦さんはきっと、これだけ成長した政宗のこと……自慢の息子だって胸を張って、話してくれると思うから」

「っ……!!」

 それに似たことを、かつて、ここで言われたことを思い出す。

 あのときも自分は泣いていて、そして……。

 ユカは政宗から目をそらさず、強く腕を握ったまま、言葉を続けた。

「あたしも、お母さんには、褒めて、もらえんかったけど……でも、麻里子さ(・)ん(・)や瑠璃子さん、一誠さん達が……たくさん、褒めてくれて」


 ――あ、ユカちゃん、おかえりなさいー。

 彼女はそう言って、優しく出迎えてくれて。


 ――何か困ったことがあれば、遠慮せんで連絡してくれてよかよ。お互い頑張ろうな。

 彼はそう言って、頼もしく支えてくれて。



 ――動け。

 彼女はそう言って、背中を押してくれた。



「叱られることもあったけど、本当の、家族みたいに、接してくれて。血の繋がった家族じゃないけど、でも、それ以上の絆が……『縁』があるって、そう、思っとる。やけんが……」

 どうすれば伝わるのか、分からないから。

 思っていることを、全て、隠さずに伝えることに決めた。

「血の繋がりとか、『因縁』とか、そういうことじゃなくて……政宗の家族は、政宗が決めればよかよ」

「俺、が……」

「そう。おばあさんのことも、他のことも、すぐにわだかまりが消えるわけじゃないと思うけど……政宗が納得出来る答え、あたしも一緒に探す。見つかるまで……見つからなくても、ずっと一緒に探すから」

 

 ユカは軽く白い息を吐くと、再び涙目になっている彼を、改めて真っ直ぐに見据えた。

 そして。


「だから……そげん悲しい考えはやめよう。家族がいないほうがいい、なんて思って……政宗の大切な人を、政宗自身を否定するのは、今日で終わりにしよう」



 そう言われた次の瞬間、政宗の目尻から、再び、大粒の涙がこぼれ落ちていった。

 


「ケッカ……」



 怖い。

 また、



「俺、は……」



 怖い。

 また、大切な人を失ってしまったら。



「俺、は……っ……」




 怖い。

 また、大切な人を失って、孤独になってしまったら。




 1人には、慣れていると思っていた。

 家族がいない自分は、何があっても1人で生きていかなければならない。

 そう、思わないと……耐えきれず、潰れてしまうから。


 けれど、隣にいてくれる彼女は、そんな政宗を許そうとしていない。

 見つからない答えをずっと一緒に探す、そんな、嬉しい言葉を真正面からぶつけてくれるから。



 心の中に残っていた壁がボロボロと崩れ落ちて、臆病な自分が――本音が、表に出てきてしまう。



「……俺は、ここにいても……ユカの、隣に……統治、と、仲間で……みんなと、一緒に、いて……いいのかな……?」

 


 刹那、ユカは手袋を外した左手を軽く握ると、それを無言で彼の前に突き出した。

 左手は、2人の『関係縁』が繋がっている手だ。普段は聞き手である右手を出すことが多いけれど、あえてこちらを選んだ理由、彼ならばきっと気付いてくれると信じている。


「バカなこと言わんでよ。政宗は、あたしと統治の間におってくれんと困ると。ずっと一緒にいてくれるって言葉、嘘にしたら許さんけんね?」


 ユカからこの『縁』を切ることはしない、そんな意思表示と共に、口元に笑みを浮かべた。

 信じて欲しい、その気持ちは全て、握った手に、彼を見つめる眼差しに、込めたつもりだ。

 政宗は一度、大きく息を吐く。そして、ユカと同じく左手の手袋を外すと……握ったそれを彼女の拳に軽く押し当てる。

 伝わってきた体温が、いつも以上に暖かく感じた。

「ケッカは……すごいな」

 手と手を離して防寒具をつけ直しながら呟くと、ユカは「ううん」と首を横にふる。

「これは多分、今までの政宗がやってきたことだと思うんよ」

「俺が、今まで……?」

「そう。要するに、情けは人の為ならず。政宗がみんなのためにやってきたことが、巡り巡って……政宗のところに戻ってきただけ」

「俺の、ところに……」

「少なくともあたしは、そげん思っとるよ」

 彼女はそう言って、屈託なく笑う。思わず、胸が熱くなった。

 そして、似たような経験を……つい最近もしたような、そんな既視感に襲われる。


 ――俺も10年前、山本を縁故採用する旨を頼まれているからな。仙台でこれからも共に働くために、自分が後悔しないように動く……それだけだ。


 ――だから政宗君は、統治君と一緒に、自分の役割を果たして戻ってくること。3人一緒じゃないと、事務所の鍵は返さないよ。


 10月、ユカを福岡から連れ戻すために、一人で乗り込んだ直後。

 統治が応援にかけつけてくれて、万吏や聖人、里穂たちが、『仙台支局』を守ってくれた。

 あの時も、周囲の支えに助けられ、感謝して……この恩を返せるように頑張ろう、改めてそう思えたのだ。


挿絵(By みてみん)


 政宗は静かに瞬きをして、視える世界を切り替えた。

 そして……自身の両手から伸びる、無数の『縁』を、改めて見つめる。


 自分はこれまで、これだけ多くの人と関わってきたのかと思うと……改めて、身が締まる思いだ。


 政宗が『関係縁』を見つめていることに気付いたユカは、切迫感が少し和らいだ……ように思えるその横顔に、少しだけ安堵した。

 そして……妙案と言わんばかりに、明るい口調で話を続ける。

「やけんが、いつか……ちゃんと自分で選ぶんよ、家族。そうすれば、家族がいなくてもいいなんて、二度と言えんくなるやろうけんね」

「は? え、それ、は……」


 刹那、政宗が目に見えて動揺した。


 伝えていいだろうか。

 彼女に届くだろうか。

 冷気で乾いた唇が、少しだけ痛い。

 けれど、ここで口ごもるわけにはいかない。


「ケッカ、それ、だったら……」


 勝算なんてない、けれど……もしも、彼女が言ったように、自分の意思で、家族を選ぶとすれば。



「だったら俺は、未来で、君と――!!」

「――っくしゅんっ!!」



 次の瞬間、ユカが思いっきり両手で顔を抑え、背中を丸める。

 そして……非常に情けない顔で政宗を見上げて。


「……ごめんもう限界。寒い。」


 純白の息を吐きながら、真顔で現状を訴える。

 だから政宗も真顔になり、今の気持ちを偽りなく伝えた。


「……右に同じく。車、戻るぞ。」


 その後、美しい星空の下で、もう少し話を続けたかった、の、だが……冷え切った体が暖を渇望したので、2人はそそくさと車に戻ることにした。

「あー……さ、寒かったー……!!」

 ユカは後部座席で靴を脱ぐと、用意してあった毛布にくるまって……震える体ごと抱きしめる。ふわりと全身を包む暖かい感覚は、バキバキに凍りついた肌の表面をじんわりと溶かしていくような心地だ。

 運転席でエンジンをかけ、暖房をつけた政宗は、前を向いたままティッシュで鼻を噛んだ。そのゴミを捨てた後に振り向いて、膝を抱えているユカに笑みを浮かべる。

「いやー……話を続けるには厳しい気温だったなー」

「ま、全くですね……政宗、寒くなかと?」

「そりゃあ寒いけど、毛布、1枚しかないからな。温まったら貸してくれ」

「えぇー!? なして2枚持ってこんかったとねバカ政宗!!」

「ケッカが自分で用意すればよかっただろうが!!」

 というやり取りをしていると、互いに、強張っていた表情が少しだけ緩んだ。

 すると、一定時間が経過したことで、車の中の電気が消える。駐車場敷地内に並ぶ街灯の明かりがぼんやりと差し込む中……ユカは斜め前にいる彼に、ボソリと問いかけた。

「これから……どげんしよっか」

「どうするかなぁ……家、帰るか?」

 この提案に、ユカは首を横に振った。どうやらまだ、駆け落ち設定は継続中らしい。

「じゃあ……今からチェックイン出来るホテルでも探すか」

「そ、そげなところあると?」

「多分……頼むぞインターネット……!!」

 政宗は手袋を外すと、スマートフォンの地図アプリを起動した。そしてとりあえず『東松島 ホテル』というキーワードで検索をしてみると、ここから近い場所を中心に、いくつかピックアップされる。

「政宗、ここからだと画面が見えんー」

「なら、助手席に戻ってくればいいんじゃないか?」

 スマートフォンの画面の明かりに顔を照らし出された政宗が、「ほれ」と、助手席を指差す。しかし、ユカは毛布にくるまったまま首を横に振ると、左手を肩の高さまで持ち上げた。

「政宗がここ(隣)にくればいいと思う」

「はぁっ!? いや、それは……」

「なして? お互いに寒いっちゃけんが、毛布の中の体温を二人分にした方が、早く暖かくなるんじゃないか、って……」

 そう言っている彼女の言葉の端々に、微かな震えが残っていることに気付いた。ただでさえ、宮城の冬は今年が初めてなのだ。これが体温の低下に起因するものだとすれば、より早急に対処する必要がある。

 政宗は「ヘイヘイ」と軽いトーンで返事をした後、ドアの開放……を、やめて、ブーツを脱いだ。そして、運転席と助手席の間から、後部座席へと移動する。少しでも車内の温度を下げないためである。

「ほれケッカ、もうちょっとドアの方に……いや、俺がそっち(ドア側)に行くから、ケッカは真ん中な」

 彼が冷気から自分を遠ざけようとしていることに気付いたユカは、苦笑いを浮かべてもぞもぞと移動を開始する。

「……ありがとう。ごめん……」

「いいよ。じゃあ、お邪魔しますよっと……」

 政宗もまた、肩が隠れるように毛布をまとい、首から上を外に出した。これ以上寒くならないよう、出来る限り、2人の間の隙間は埋めておく。

「さて、と……じゃあ、改めて」

 2人の真ん中でスマートフォンの画面をつけると、周囲が不自然に明るくなった。

 画面の左上にある時計は、間もなく深夜1時を迎えようとしている。政宗は画面に表示された地図を見つつ、脳内で現在地と、ビジネスホテルが比較的多いエリアへとの位置関係を思い出していると……。

「政宗、こことか割と近いみたいやけど……こげな時間に行って大丈夫なんやろうか」

 ユカが、距離が近いという理由だけで画面の一箇所を指さした。政宗はユカが指さした先を確認して……。

「……ケッカ、お前、マジでわざとやってないよな?」

「へ?」

 そこが所謂、大人の男女に向けた施設であることにいち早く気付いた政宗が、渋柿と苦虫を同時に噛み潰したような表情で問いかけた。一方のユカは顔に疑問符を浮かべるのみ。多分、本当によく分かっていないらしい。

 お望みならばここに連れて行ってやろうか、とも思ったが……嫌われたり、何よりも通報されるリスクが圧倒的に高いのでやめることにした。

「大手のビジネスホテルの方が飛び込みの対応にも慣れてると思うから、今回はそこら辺を狙おうと思う」

「なるほど。任せる」

「後は、どっち方面に行くか、だよなぁ……ここまできたから、石巻、気仙沼……あぁ、鳴子を目指して古川でもいいのか」

「鳴子?」

「全国的に有名な温泉地だよ。管轄外だから俺もあんまり行ったことないけど、冬に仕事で行った時はカニが美味しかっ――」

「カニ!!」

 刹那、ユカが政宗の耳元で歓声を上げた。そして、彼を見つめて目を輝かせる。

「カニ食べたい!!」

「そう言うと思った。ただ、そこの予約が取れるかどうかは、寝て起きてからの確認でもいいか?」

「分かった。カニがダメなら仙台牛でもよかよ!!」

「妥協案が妥協してない気がするんだが……とりあえず今日は、矢本とか石巻のビジネスホテルをあたってみるか。ちょっと電話してみるな」

 政宗はそう言って、あたりをつけたビジネスホテルで電話をかけ始めた。ユカは隣で彼の落ち着いた声を聞きながら……暖かさに身を任せ、軽く、目を閉じる。

 すると……意識は、簡単に沈んでいった。


「……はい、突然すいません、ありがとうございます。では、今から伺いますので」

 飛び込みでも受け入れてくれるビジネスホテルを確保した政宗は……自分にもたれかかって寝息を立てているユカの様子に、苦笑いを浮かべる。

「それにしても……随分と信頼されてるよな、俺」

 これだけ彼女が無防備だと、色々と思うことはあるけれど。今は……早く休んで、夜明け以降に備えたい。

 政宗はユカが倒れないように手で支えつつ、ゆっくり毛布から脱出した。そして、そのまま彼女を後部座席に横たえた後、顔にかかっている髪を脇に寄せる。

「ぅ……?」

 頬を動く何かに違和感を抱いたのか、ユカの眉が少しだけ動くが……意識を覚醒するまでには至らなかったようだ。

 政宗はそのまま静かに運転席へ戻ると、靴を履き、カーナビを目的地にセットする。

 そして、なるだけ優しい運転を心がけてアクセルを踏み、故郷の海を後にした。



 ――ユカ、何か……やりたいことはないか?


 彼が優しく問いかけるから、彼女はしばし考えた後、彼の手を握ったまま、浮かんだ願望を口に出していく。

 それを、彼は、時折ツッコミも入れながら、全て笑顔で頷いてくれて。

 リミットがあることを嫌になるほど理解した上で、未来を語ることを、現在(イマ)に続きがあることを、認めてくれたような気がして。

 だから……思い切って、伝えたことがある。



 ――……いつか、いつか政宗の――……!!



「お、よ……?」

 意識がゆっくりと覚醒していき、夢の中の出来事が薄れていく。

 そして……自分が寝ているベッドが、とても、とても寝心地が良いことに気がついた。

「ここ……?」

 ぼんやりした眼差しが、知らない照明を捉える。そして……隣にはユカより更に深く眠っている、もう一つの熱源体。

 ユカに残る最後の記憶は、政宗がビジネスホテルへ電話をかけている様子だった。そして、周囲の設備から判断するに、希望の寝床が見つかって、そこで休んでいるところなのだろう。

「……多分、政宗が何とかしてくれたんよね……」

 もはや、同じベッドで寝ていることに嫌悪感も違和感も気恥ずかしさも何もない。というか、部屋を見渡すと、室内にはセミダブルのベッドが1つだけ。すぐに泊まれる部屋がここだけしかなかったのだろうと推察できる。靴とコートは脱いでいるが、それ以外は昨日のまま。防寒しか考えていなかったので、むしろ今、少し暑いくらいだ。

 スマートフォンはコートのポケットに入れっぱなし。遮光カーテンのようで室内は薄暗いが、隙間から漏れる陽の光が、それなりの時間であることを示していた。ベットサイドにあるデジタル時計を見ると、午前9時10分。ユカが最後に時間を確認したのは、確か、深夜1時頃だったように思う。それなりの睡眠が取れたことに感謝していると、ユカに背を向けて寝ていた彼が、寝返りを打った。

 顔が、見える。

「……そういえば昨日、何を言おうとしたっちゃか……」

 海岸で、彼は何か言いかけたけれど……ユカのくしゃみがそれを盛大に邪魔してしまったのだ。

 今日、改めてそれを聞こうと決意しつつ……この部屋に何時まで滞在出来るのか分からない。熟睡のところ申し訳ないと思いつつ、ユカは政宗の頬を人差し指で押す。

「政宗、まーさーむーねっ」

「……んぐ……?」

 執拗な攻撃に顔をしかめた政宗が、まぶたをじんわりと開いた。そして。

「ケッ、カ……? こらー、人の部屋にー、勝手にー、入ってくるなよー」

「濡れ衣!? 違うって。っていうかここ、どこなん? あたし達、何時までおってよかと?」

「へ……? ここ、は……あー……」

 ユカの質問を聞きながら、政宗はゆっくりと起き上がって……周囲を見渡し、記憶をつなげていく。

「そうだった……俺たち、昨日、極寒天体観測をして……あ、おはようケッカ。ちゃんと休めたか?」

 後半から急に覚醒していつも通りになった彼へ、ユカは正直な感想を伝えた。

「政宗、地味に寝起きいいよね」

「社会人だからな」

「はぁ……」

 なんかよく分からない理由をドヤ顔で言われたユカは、「どうでもいいや」という本音を飲み込み、話を進めることにする。

「今、朝の9時過ぎなんやけど、何時までおってよかと?」

「チェックアウトは11時。だから、時間に余裕はあるけど……今日、これからどう動くか決めるか」

 政宗はそう言うと、再び、ベッドにうつ伏せで寝転がった。そして、枕元で充電していたスマートフォンを手に取ると、ブラウザを開く。

「政宗、カニは?」

 ユカもまた、彼の隣にうつ伏せで転がると、同じ画面を覗き込んだ。

「分かってるって。えぇっと、確か……ああ、ここだ。当日予約は割高になるけど……その分、帰ったら馬車馬より働くからプラマイゼロだ」

「おぉ、それは頼もしか」

「次は、同行者登録……よし、俺とケッカは兄妹という設定だ。悪いけど、部屋は同じな。心愛ちゃんリスペクトでお兄様と呼んでくれてもいいぞ」

「はぁ……考えとく。それで、予約取れた?」

「ああ、大丈夫だ。チェックインは15時以降だから、それまでに移動とか、飯とか……換えの下着なんかも途中で買うか。予約も決済もスマホのみで完結、っと。便利な世の中だよなぁ……」

 キャッスレス決済までを終えた彼が、画面を見つめてシミジミと呟いた。

 そして、隣にいる彼女を見やり……ナチュラルに同室での宿泊を承諾されたことに、嬉しいんだかちょっと悲しいんだか、結局、なんとも言えない気持ちになるのだった。

 12月に東北で天体観測……するなら全身にホッカイロ貼っていくんだよ……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。