エピソード3:投げる④
その後、とりあえず夕食を――今日のおかずは出来合いの鯖の塩焼きと野菜の付け合せのセットをレンチンして――ダイニングテーブルに並べた政宗は、正面でスマートフォンを操作しているユカをチラチラと見やり。
「ケッカ、その……よ、要するにどういうことか、もう少し、説明が……」
「うわ、気温低……やっぱり外は寒そうやけんが、ちゃんと着込んでいかんとね……!!」
そう言って画面に表示した天気予報を政宗へ向けるが、彼の心はそれどころではない。
「俺の話聞いてたか!? か、駆け落ち、って……そ、そもそも意味、分かって、使って、いらっしゃいますか!?」
白米を箸ですくい上げながら尋ねると、ユカは真顔で頷いた。
「うん。周囲に無断でいなくなること、やろ?」
「おっしゃる通りですけど……!!」
ユカがしれっと、非常に正しく――上辺だけの意味を答えるので、政宗は肯定しながら米を咀嚼し、何とも言えない気持ちで鯖の身をほぐす。
ユカは掲げていたスマートフォンを机上に置くと、コップに用意したお茶を口の中へ入れた。それをしっかり飲み込んだ後、全く事情が飲み込めていない――飲み込めるはずもない――政宗を見つめ、とりあえず業務連絡をしておく。
「統治から伝言。政宗は日曜まで忌引、月曜は朝から来い、げなよ」
「っ……!!」
統治の心遣いを察した政宗が、思わず言葉を失う。ユカは彼に一度頷いた後、発した言葉の意図を語った。
「幸いあたしも土日休みのまま、月曜日の出勤は午後から、やけんね。だから……誰にも行き先を言わずに、日曜日まで過ごせるといいなって思って」
「ケッカ……」
「政宗も疲れとるとは思うけど……宮城でも、2人で星を見たいなって思って。明日じゃなくて、今日の星を2人で見たい。どげんやろうか……」
ユカの言葉に、政宗は口の中の野菜を咀嚼しながら……軽く目を閉じた。
そして、飲み込みながら目を開いた後、真顔で、彼女に問いかける。
「……後悔、しないか?」
「うん」
「外気温は2度だってさっきスマホで見たよな。これからもっと下がってマイナスになる」
「うっ……」
夜の冷え込みは覚悟していたが、予想よりも更に低い気温を改めて突きつけられる。ユカが思わず顔をしかめると、政宗は口元を緩めて……肩をすくめた。
「宮城の寒さを舐めてるだろ、ケッカ」
「そ、それは……!!」
「だから、最も冷えない格好で行くぞ。防寒具とハイネックは必須、タイツがあるならズボンの下にそれを穿いたりしてもいいし、できる限りの重装備で」
「……分かった!! 用意してくる!!」
立ち上がったユカが自分の部屋へ向かう音を聞きながら、政宗も食べ終えて立ち上がり、使った食器やゴミを片付ける。
そして……きちんと話そう、と、自分自身に言い聞かせていた。
その後、互いにできる限りの防寒具を用意して、リビングにそれを持ち寄る。
相変わらず政宗のスマートフォンはユカに没収されたままだが、しばらく気にしないことにした。さて、どこに行こうか。カーナビがあるとはいえ、行ける場所は限られる。政宗が問題なくたどり着ける、星がキレイに見える場所。
「星を見る……か。やっぱり郊外だよな」
仙台市近郊で考えると、泉ヶ岳という山が真っ先に思い浮かんだ。市街地から少し離れた場所にあり、今の時期はスキー場もオープンしているため、道路も整備されている。
とはいえ、行き慣れた場所ではないし、スキーシーズンなので他に人がいるかもしれない。
誰にも邪魔されず、星を見ながら話をするために……政宗は、静かに心を決めた。
「ただ、山の上だと冷え込みで路面が凍結するかもしれないから、海の方でもいいか?」
「うん。あたしは綺麗に見えればそれでよかよ」
「車中泊……は、ガチで最終手段だし避けたいけど、一応、毛布くらいは積んでおくか。後は……」
「荷物は少ない方が動きやすいけん、必要なものはどこかで買えばよかよ。あ、政宗、途中でお菓子買おう!!」
「早速荷物を増やすのか!?」
という、結局いつもどおりのやり取りを経て、2人は荷物を両手に持ち、玄関から外に出る。
外に出た瞬間、肌を刺すような冷気がユカの頬をかすめ、思わず、顔をしかめてしまったけれど。
「ケッカ、もう寒さに怖気づいたのか?」
鍵をかけた政宗が、ニヤニヤした表情でこちらを見ていることに気付き、ユカは口元を引き締めて首を横に振った。
「ぜっ、全然!! 福岡だって雪は降るし気温もマイナスになるけんね!!」
「それは頼もしいな。じゃあ、行くぞ」
足元をブーツで固めた彼が、先導するように先を歩く。ユカは半歩後ろを歩きながら……もう一度、口元を引き締めた。
その後、国道45号線を石巻方面へ北上しつつ……道の途中にある24時間営業のスーパーに立ち寄った2人は、使い捨てのホッカイロや、小腹を満たすためのパン、お菓子など、必要なものを調達することにした。
時刻は間もなく23時。広い駐車場に車はほぼ見当たらず、店の中も閑散としている。
「あ、政宗、これ食べたい」
かごの中にユカが入れたのは、今日の夕方、華蓮からもらったチョコレートだった。政宗は「おう」と返事だけしてから、手に取ったホッカイロをかごに入れるついでに、彼女が何を選んだのか目視する。
「あぁこれ、美味しいよな。ケッカも好きなのか?」
「うん。割と最近知って、好きになったと」
ユカの言葉に政宗は「そうだったのか」と相槌をうちつつ、隣で飲み物をどうするか思案する彼女を見下ろす。
――ケッカちゃんの成長を完了させるために、政宗君にも、出来る範囲で協力してほしいなって。
先日、聖人から届いたメールには、このように記載されていた。
出来る限り。要するに……ユカの『生命縁』への干渉が不安ならばやらなくていい、ということだ。
ユカのために、自分に出来ることがあれば、何でもやるつもりだった。
10年間走り続けて、やっと、そのチャンスが巡ってきた。
ここで行動しなければ、絶対に後悔すると思う。
そのはずなのに……いざ、選択肢を突きつけられて、選んだ先で彼女を失ってしまったら、と、具体的に予測してしまうと、踏ん切りがつかない。
今、隣にいる彼女が、いなくなってしまったら。
大切な人と、永遠に会えなくなってしまったら。
自分は……また、同じことを繰り返すのだろうか。
「……政宗?」
ユカが呼ぶ声に我に返った政宗は、咄嗟に苦笑いで取り繕った。
「悪い。どうした?」
「そろそろ会計しようと思って。他に足すものはある?」
「いや……これだけあれば大丈夫だな。行くか」
政宗は頭を振った後、ユカと一緒にセルフレジの方へ向かう。
そして、会計を終えた荷物を後部座席に詰め込んで出発し、塩竈市をこえて……更に北を目指した。
買い物を終えてから約1時間後、日付が土曜日になった0時過ぎ。
政宗はだだっ広い駐車場の中でも、海に近い……と思われる位置に車を止めた。いかんせん、自分たち以外に人の気配はなく、等間隔で一定範囲を照らす街灯と、自動販売機の明かりのみが世界を映し出している。
「道……こんなに綺麗になってたんだな。知らなかった」
サイドブレーキを引いた後、一度、エンジンを切った。
次の瞬間――音が消えて、静寂に包まれる。
車を降りるためにシートベルトを外したユカは、ここで初めて、政宗に彼のスマートフォンを渡した。懐中電灯として使うためである。
「じゃあ政宗、案内してくれる?」
「分かった。足元には気をつけてな」
それぞれに車から降りると、スマートフォンの懐中電灯アプリを起動した。そして、政宗が目指す方へ、ユカも静かについていく。
幸いにも風が穏やかなので、覚悟していたような寒さではない。ただ、空気はピンと張り詰めており、吐き出す息は真っ白。ユカはニット帽で耳まで隠しているが、露出している頬がどんどん冷たくなっていくのが分かる。
けれど、ここには彼に連れてきてもらいたいと思っていた。実は一度、挑戦したことがあるけれど……あの時は海へ続く道が工事中だったため、叶わなかったのだ。
ここは、野蒜海岸。
かつては県内でも有数の海水浴場だったのだが、先の災害でそういった設備が全て消失してしまったり、地形そのものが変化してしまったこと等もあり、人の声が響かなくなってしまった場所だ。
そして……政宗の思い出が数多く残っている、そんな場所でもある。
防潮堤に沿って整備された通路と階段を降りて、砂浜の上に立つ。急に不安定になった足場にバランスを崩しそうになるが、ユカは1人で踏みとどまった。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫……!!」
今は、彼の手を借りずに歩きたい。ユカのその決意を察したのか、政宗もそれ以上は何も言わず、もう少しだけ、海の方へ近づいていく。
ここまでくると、街灯の明かりすら届かない。政宗が立ち止まったところで、ユカも彼の隣に並び立つと……2人で静かに、スマートフォンの電源を落とした。
そして、頭上を見上げる。
間髪入れずに満天の星空から出迎えられ、思わず――目が、くらんだ。
「う、わぁっ……!!」
自然と漏れた声は、波の音にかき消される。
冬の張り詰めた空気の中、まるで宝石のように輝く星たちは、福岡で見たあの時よりも……より一層、強い意志をもって輝いているように見えた。
「すご……これ、流れ星もはっきり見えそう……」
「そうだな。オリオン座に……おおいぬ座、こいぬ座、だっけか」
「政宗、よく分かるね。え? 犬? 犬……」
ユカが彼と同じ方向を見て顔をしかめると、政宗が手袋をつけた手で、頭上を指差して。
「あの3つ並んでるのと、上と下にある明るい星を繋いだらオリオン座。これ、小学校で習う内容だと思うぞ?」
「すっ……すいませんね……星3つがオリオン座、かぁ……」
冬を代表する星座は、3つ星が目印だ。その三つ星を囲むように、明るい一等星が上下それぞれで輝いている。
自分たちみたいだ、直感的にそう思った。
「はっきり3つ並んで……あたし達3人みたいやね」
「そうだな」
「で、上の明るいのが麻里子様で、下の明かるいのが、名杙当主」
「うわ、俺たち、巨大勢力に挟まれてるのかよ。その通りだけど」
ユカの言葉に、政宗が白い息を吐きながらぎこちなく笑った。そして……改めて呼吸を整えた後、両手を握りしめる。
寒さが厳しくなるので、ここにいられる時間も限られている。彼女以外、誰もいないこの海岸で話をしたい、そう決めて、ここまで来たのだ。
怖気づくわけにはいかない。政宗は自分自身に言い聞かせ、震える唇を引き締める。
「あの、さ……ケッカ。今から話す、こと、誰にも……統治にもまだ、言わないでほしいんだ」
「分かった」
「ありがとう。俺……この間、伯父さんが事故で急に他界したって話をしたと思う。その後、『縁故』の能力に気付いた、って。これは嘘じゃないんだ。嘘じゃない、けど……その間に、1つ、言ってないことが、あってさ……」
「うん」
ここから先のことについて、自分から誰かに話をした覚えはない。
受け入れてもらえるだろうか、その不安は最後まで消えなかったけれど。
でも……聞いてほしい、知ってほしい、今はその気持ちが少しだけ強い。
星空の下で分かりあえた、そんな、過去の経験にもすがりたい。
「俺さ、伯父さんが……彰おんちゃんが、事故で死んだ時、もう、全部嫌になって。世界も、人も、自分も……何もかも、嫌に、なって、さ……」
思い出すのは、悲しみを超えた諦め。
自分と関わった人は、みんな――いなくなってしまう。
父親も、母親も、彰彦も、きっとこれからも――みんな、みんな。
自分だけが生き残って、みんな、いなくなってしまう。
だって、自分は……『死神』だから。
「俺だけ、生き残ってるんだ。父親も、母親も、育ての親も死んで……俺だけ、1人で」
ことあるごとに思い知ってきた。やはり……自分は死神じゃないか。
こんな自分は、もう――
「俺……本当、死神、みたい、だなって……思って、だからもう、全部、終わらせようって、それで……」
声が震えているのが、自分でも嫌になるほど分かった。
先程まで綺麗に見えていたはずの星空が、隣にいるユカの顔が、滲んでいる。
そして、あの瞬間を思い返すと……今でも体が硬直して、心がギュッと掴まれたような感覚になる。
「それ、で……っ――……」
一度発しようとした言葉は音にならず、白い息になって消えてしまった。
決意をしてここに来たはずなのに、いざとなると怖気づいてしまう。
けれど、もう、一人で抱え込むには……少しだけ、辛い重さになっていて。
星の流れない夜空に託す。
どうか、どうか……拒絶されませんように。
彼女が、自分の隣から、いなくなることがありませんように。
政宗は何度となく呼吸を整えた後……俯いて、絞り出す。
「死のうと、して……道路、に、飛び込んだんだ……」
あの時は後悔ばかりが押し寄せて、自分でも、どうしていいのか分からなくて。
本当に、本当に衝動的に――自分も彰彦のところへ行きたいと強く思った結果、車が行き交う国道に、
自分の身を投げていた。
減速できない車が、彼の体を豪快に空へと跳ね上げる。
ああ……これで、終わりなんだ。
そう思った彼は、とても幸せな顔で……目を閉じた。
『投げる』は方言で『捨てる』という意味だそうで。
政宗は一度、自分の身を投げた……自分を捨てたんだな、と、思い、このサブタイトルにしました。




