エピソード3:投げる③
朝からとんでもない話を聞かされた月曜日、何とか1日の仕事を終えて家に帰ったユカは、心身ともにヘロヘロのままリビングの扉を開けて……立ち上がろうとして困惑している政宗と目を合わせる。
そして、苦笑いを交換した。
「おかえり、ケッカ。お疲れ様」
彼のその表情から、こちら側の状況をある程度把握していることが何となく分かった。けれど、実際にどこまで把握しているのかは本人から聞き取る必要がありそうだ。
廊下との境界になっている扉を閉めて、ユカはオズオズと問いかける。
「ただいま。政宗、今日のことって……」
「俺宛にも、伊達先生からめっちゃ長文メールが来てたから、話は何となく把握してる、けど……とりあえず飯にするか。美味そうな冷凍食品、買ってみたんだ」
政宗はここで言葉を切ると、踵を返してダイニングテーブルに戻る。そして、机上に広げたパソコンや書類を片付け始めた。ユカはその間に上着や荷物を片付けつつ、改めてリビングに合流する。そして、夕食を用意するため、キッチンに並び立った。
統治は本日、20時過ぎまでは残業だ。仕事終わりにここへ立ち寄ることになっているので、合流が遅れることになっている。
政宗が買っておいた冷凍食品を電子レンジで解凍しながら……ユカは政宗を見上げ、彼の服の裾を軽く引っ張った。
気付いた彼の視線が、下に向けられる。
「どうした?」
「政宗は……伊達先生の話、どげん思う?」
率直な問いかけに、政宗は言葉を探して……一度、大きく息を吐いた。
そして、心の中で蠢く二律背反な気持ちを、ポツポツと口にする。
「正直なことを言うと、賭けてみたい気持ちがある。ただ……『生命縁』に傷をつけるか仮死状態にしないといけない、っていうのが……めっっちゃくちゃ引っかかってる」
「だよねぇ……あたしも色んな耐性はあるつもりやったけど、伊達先生が淡々とそげなことば言うけんが、流石に怖くなった。マジで人体実験やもんね……」
『生命縁』は、人間の命そのものだ。
これが切れた人間はすべからく死んでしまう。一度切れてしまった『生命縁』は、例え『縁故』であっても、つなぎ直すことは不可能である。
政宗も『生命縁』に干渉したのは、今のところ一度だけ。ユカに至っては一度も干渉したことがない。
だからこそ、傷をつけるという行為に対して……どうしても、慎重になってしまう。
そんなユカの隣で、政宗は再度、別の理由でため息をついた。
「しかも、ケッカの『生命縁』に傷つけるのって、俺がやるんだろ? 考えただけで手が震えそうになるよ」
「え!? そうなん!?」
初聞きの情報にユカが目を丸くすると、政宗もまた、少し驚いた表情で彼女を見下ろして。
「俺に届いたメールには、そう書いてあった。6月にピンピンしていた俺が適任だろう、って……」
「そ、そうなんや……あたし、そこまで聞かされんかったけど……」
二人して乾いた笑いを浮かべた後、言葉が続かず……沈黙が訪れる。
希望だと思ってすがろうとしたら、とんでもないリスクを天秤にかけなければならないと言われてしまった。登ってきたハシゴを急に外されようとしているような、そんな感覚。
進みたい、けれど、実行するのがとても怖くて……足を、踏み出せない。
無言になったユカが電子レンジの残り時間を確認した時、政宗も彼女と同じ方向を向いたまま、ボソリと呟いた。
「あと、今朝……あの2人がケッカに突撃したって、聞いた。俺が電話を無視したせいだよな、本当に……ごめん」
消え入るような謝罪を受け入れたくなくて、ユカは首を横に振った。
「政宗は悪くなかよ。あたしも言いたいことは言ったし、その場にいた安常先生からも嫌味言われてたから、少なくともしばらくは大人しいんじゃなかろうか」
「だと、いいけどな……」
彼の乾いた笑いが、電子レンジの駆動音に紛れて消える。再び、会話が続かなくなってしまった。
何か、何か話題はないだろうか。ユカは必死に脳内を検索し、何とか1つ絞り出す。
「そういえば……政宗を育ててくれた伯父さん、そう、彰彦さん。彰彦さん以外に宮城に親族の人っておらんと?」
「いない……と、思う。きちんと調べたことはないけど、会ったことも聞いたこともなかった。ただ、こんな感じで急に親族が増えるのはマジで困るから、決めつけずにきちんと調べたほうがいいのかもしれないな。ケッカもそういうの、ちゃんとしたほうがいいぞ」
「分かっとるよ。今の自分の問題が解決したら……ちゃんとする」
ユカがそう呟いた数秒後、電子レンジが時間通りに仕事を完遂させた。
その後、解凍した冷凍食品――ハンバーグと付け合せ一式――を食べ終え、食器を片付けようとしていた時、机上に置いたユカのスマートフォンが振動した。
画面を見て相手を確認した彼女は、思わず動きを止める。
「レナ……」
相手は福岡のセレナからだった。一瞬、出ることを躊躇したが……覚悟を決めて、通話を開始する。
「も、もしもし……?」
『あ、ユカ。今って電話大丈夫?』
電話の向こう側から聞こえた声は、ユカが知る限り、いつも通りのセレナに思えた。彼女は最近、ユカの身に何が起こったのかを聖人から暴露されているはずなのだが……それにしては、態度が変わらなさ過ぎる、気がする。
ユカがどんなテンションで対応していいのか対応を決めかねていると、セレナが『ユカ?』と名前を呼んで。
『忙しいならメールにしたほうがよか?』
「えっ!? あ、ううん、大丈夫。ど、どげんしたと……?」
『あのね、福岡からクリスマスプレゼントを送りたいっちゃけど、ユカの住所に送るつもりやけんが、そのうち不在票が入ると思うんよ』
「う、うん……」
『ちゃんと発送したら、改めて連絡するつもりやけど、忙しい時期やけんね。忘れんうちに伝えておこうと思って』
「そ、そっか……わ、分かった」
終始ぎこちないユカの反応に、セレナが訝しげな声で話を続ける。
『ユカ、具合でも悪かと? そっちは寒いやろうけん、体調管理には――』
「――あ、あのね、レナ!!」
セレナの言葉を大きな声で遮ったユカは、呼吸を整え、思い切って問いかけた。
「そ、その……あたしが、6月に、どげんなった、のか……伊達先生から、聞いとると、思うっちゃけど……」
言葉を紡ぎながら、電話を握りしめた。
鼓動が速い。
彼女に隠し事をしていた、そんな後ろめたさが……今になって、重く、のしかかっている。
そんなユカに、セレナはこともなげに言ってのけた。
『あぁ、それ。私は8月にムネリンから聞いとったし写真も見せてもらっとったけんが、最初はそげん驚かんかったけど』
「はぁっ!?」
刹那、ユカの非難じみた声を聞いた政宗が、食器を運びながらビクリと肩を震わせた。
「レナ、それ本当なん!? あたし、いっちょん知らんかったっちゃけど……!!」
『あ、そうやったんやね。まぁ、一誠さんと瑠璃子さん、麻里子さんは知らんかったみたいやけん、驚いとったけど……』
「……」
苦笑いを浮かべているような彼女のトーンに、思わず、口ごもってしまった。
セレナはそんなユカの反応を確認した後、優しい声で言葉を続ける。
『正直、伊達先生……だっけ、あの人のメールを見た時は、ユカが実験の被験者にされる~……なんて思ったけど。でも、これが成功したら……ユカが悩んどること、全部解決するんだろうなって思って』
「それは……どげんやろうね。そもそも、成功するかどうか……」
『そう、そこなんよ。やけんが……ユカがちゃんと話を聞いて、ムネリンやトーチくんとたくさん相談して、悩んでから……決めて欲しいって思う。それで、決めたことを私にも教えてもらえると、すごく嬉しい』
彼女はこう言って、楽しそうに笑った。
『要するに……一人で決めんでもよかと。ちゃんと周囲を巻き込んで、しっかり考えんねよ』
「……分かった。ありがとね、レナ」
心に残っていた懸念事項、その一つが静かに溶け始めたような気がして……ユカは口元を綻ばせ、一度、頷いた。
そしてその後、電話を終えてから。
「なして勝手にレナを巻き込んであたしに一切報連相ばせんとねバカ政宗!!」
「多分俺が悪いんだろうけど何の話だよ!!」
一方的にブチ切れるユカを政宗がなだめていると……インターフォンが鳴り、統治の到着を告げた。
カレンダーは進み、12月19日。『光のページェント』が始まって2度目の週末を迎えようとしている週末の金曜日、時刻は17時を10分ほど過ぎている。
予定通り偵察に出ていった里穂と心愛を見送ったユカは、ここ1週間の成果をまとめたものをプリントアウトにして、政宗の席へと持っていった。今日は統治と瑞希が休み、ユカと華蓮は定時まで、政宗は13時から21時まで、という勤務体制である。外に出るのは、19時までは里穂と心愛、19時から21時までが政宗と仁義という組み合わせだ。
「俺も1週間ぶりの実戦だからなー。人の流れに負けないようにしないと」
「やっぱ、週末は人も多いけんね……昨日も19時30分頃、勾当台公園の市民広場の近くで1件、突発的な対応が発生しとる」
「了解。気をつけるよ」
ユカから受け取った資料に政宗が目を通していると、事務所内に電話の音が響いた。華蓮が手を止めて受話器を取り、名乗った瞬間――分かりやすく顔をしかめる。
「……はい、そうです。私、ですか? 片倉といいますが……佐藤? 佐藤は……確認しますので、お名前を伺っても……ショウジ、様、ですね」
刹那、華蓮が呟いた名前を聞いた2人が目を見開いた。程なくして電話を保留にした華蓮が、立ち上がって2人を見つめる。
「ショウジさん、という、女性の方から、佐藤支局長宛にお電話です。なにやら、非常に興奮していらっしゃいますけど……どうしますか?」
「あたしが出る」
「ケッカ!?」
即決だった。躊躇いなく電話機の方へ近づくユカを慌てて追いかける政宗。ここで時間をかけても相手の苛立ちを助長させるだけだ。躊躇いつつも踏ん切りがつかない彼を横目で見つめ、一度頷く。
「多分、どっちが出ても同じだと思うけど……あたしはまだ、他人事として話を聞き流せるけんね。気になるんやったら、スピーカーモードにして話すよ」
「……分かった。頼んでいいか?」
「了解。片倉さん、受話器もらうね」
ユカは華蓮から受話器を受け取ると、一度、深呼吸をした。
そして、隣に並ぶ政宗と目配せをした後……保留を解除して、スピーカーモードに切り替える。
「お待たせしました。山本です」
『――はぁっ!? 違うじゃん、お兄ちゃんに変わってって伝えたんですけど!!』
案の定、興奮した翔子の声が室内に響き渡った。ユカは歯を食いしばって暴言を飲み込んだ後、声の震えが伝わらないよう、冷静を装って対応を続ける。
「佐藤は只今、別件対応中です。伝言があれば承ります」
『なにそれ!! 今すぐに話したいの、何とかしてよ!!』
「出来かねま……出来ません。申し訳ありませんがご理解ください。なお、これらの電話は着信回数も含めて録音、記録していますので、あまりにも度が過ぎると判断した場合は、警察に、相談します」
端的に、はっきりと伝えると、電話の向こうの翔子も、流石に口ごもった。
彼女が静かになったことで、電話の向こうの環境音が漏れ聞こえてくる。どうやらそれなりに多くの人がいる場所にいるらしく、妙齢の女性達が談笑をしているような声も聞こえる。
よくもまぁ、不特定多数の人間がいる中で興奮できるものだとユカが内心で呆れていると……彼女の後ろから、正治らしき男性の声が聞こえた。
――翔子、もうすぐ出棺だって。出る用意して。
出棺、という単語に、ユカと……隣で聞いていた政宗が固まっていると、電話の向こうで、翔子が鼻をすすったような音が聞こえた。
現状を確認したくて、ユカが気を取り直して問いかける。
「あの、庄司さん……今、どこにいらっしゃるんですか?」
『会館よ!! おばあちゃんのお葬式なの!!』
祖母の葬式。その単語だけで、彼らの現状が嫌になるほど分かってしまった。
彼女たちが見知らぬ身内を頼ってまでも助けたかった祖母は、亡くなってしまったようだ。
ユカは真っ白になりかけた頭を必死に切り替えて、今、伝えるべき最低限の言葉をひねり出す。
「そう、でしたか……お悔やみ、申し上げます」
『そんな言葉いらないわよ!! おばあちゃん、私達が宮城に行ってる間に、容態が、急変して……っ……!!』
「……」
ユカがどうしたものかと言葉を失っていると、政宗が静かに、ユカの肩に手を添えた。そして、困ったような顔で一度頷いた後、ユカの手から受話器を奪う。
「まさっ……!!」
「……お待たせしました。佐藤です」
政宗は真っ直ぐに前を見つめ、毅然とした表情で対応を開始した。一方、電話口が政宗へと変わったことに気付いた翔子は、事務所中に響く声で、彼を断罪する。
『やっと出たわね!! 肝心なときに、全然捕まらないじゃない!! 携帯に、何回も電話したのに……そっ、それがっ……家族が死んだ時に取る態度なの!?』
「それは……申し訳ない。おばあさんが亡くなったって……」
『そうよ、死んだわよ!! 私と正治が、宮城にいる間に!! 本当……行かなきゃよかった、お兄ちゃんなんて、頼らなきゃ……っ……!!』
そこから先は言葉にならない。翔子が政宗へ己のストレスをぶつけているだけだと判断したユカは、これ以上、この電話の内容を聞く必要がないと判断し、スピーカーモードを解除しようとした。
次の、瞬間。
『お母さんだけじゃ、なくて、おばあちゃんまで……お兄ちゃん、死神なんじゃないの……!?』
死神
心が引きつったことが、はっきりと、分かる。
――なぁ……俺ってやっぱり、『死神』なのかな……。
10年前の、あの夏。
涙を流しながら問いかけた彼の顔が、ユカの脳裏をかすめた。
「……そうかもしれないね」
ユカが政宗の声に我に返る。そして、彼を見上げると……その双方は、真っ直ぐに前を見据えていた。
ダメだ。この瞳は。
この、泣きたくても泣けない瞳は……彼が、何かを諦めたときの眼差しだから。
彼は造作もなく模範的に優しい声色を作り、改めて謝罪の言葉を口にする。
「電話に出られなくて、本当に申し訳ない。ただ……そろそろ出棺なら、俺への電話に時間なんて使わないで、そっちについてあげて」
『え!? あ、それは……そんなこと分かってるわよ!!』
「そうだよね。じゃあ――……」
政宗の言葉を待たずに、翔子から電話は切られた。室内に響く通話終了の音をかき消すように、政宗が受話器を置いて……長く、息を吐く。
「……終わった」
「政宗……」
「ケッカ、片倉さん、巻き込んでごめん。ちょっと……外の空気、吸ってきていいかな」
「分かった。気をつけてね」
頷いたユカに力なく頭を下げた政宗は、そのまま、静かに事務所を後にする。その背中を見送ったユカは……後悔に苛まれながら、自分の席に腰を下ろした。
「……あぁもうっ……!!」
苛立ちを声に出しても、気持ちは晴れない。
どうしてあの電話を、聞こえるようにしてしまったのだろう。どうしてもっと、強く受話器を握っていなかったのだろう。
彼に対してマイナスな言葉ばかりになることなど、火を見るより明らかだったはずだ。確かに、すれ違いはあったかもしれないし、彼の行動が不義理――非常識に思われても、しょうがないかもしれない。
だからこそ。
守りたかった。
彼の頑張りを、葛藤を、一番近くで見てきたから……尚の事。
10月、福岡で、彼は自分を守ってくれたのに。
言わなければならなかったはずだ、政宗は死神ではない、と。
10年前の統治のように、言えばよかったのに。
言えなかった。
言っていいのか、分からなかった。
彼がどうして、『死神』という言葉に過剰な反応を示すのか……根本にある理由を、知らないのだから。
それを『知らされていない』自分の言葉など、気休めにもならないような気がして……。
怖かった。
「……不甲斐ないなぁ……」
ポツリと呟いたユカの隣から、華蓮が静かに手を伸ばして……ユカの机の上に、個包装のチョコレートを置いた。予想外のフォローにユカが思わず目を丸くして彼女を見ると、華蓮はノートパソコンを操作しながら、静かに口を開く。
「それ、名倉さんが買ったものをおすそ分けされた心愛さんから頂いたものです。私の分はまだありますので」
「そ、そうなん? ありがとう……」
よく分からないルートでやってきたチョコレートを口に入れる。ミルク味の優しい甘さが口に広がり、少しだけ、強張っていた体の力が抜けた。
華蓮は共用フォルダの整理をしながら、チラリと、視線のみをユカの方へ向けて。
「名倉さんがこのチョコレートを買ったのは、柳井くんからそれをもらって美味しかったから、と、言っていたそうです。食べられない川瀬さんが悔しがっていた、とも」
今日の華蓮は饒舌だな、と、内心で思いつつ、ユカは「そうなんやね……」と相槌をうって、包装紙を見つめる。
「……確かに美味しかった。仁義君、こういうのにも詳しいんやね」
ユカの呟きを受けた華蓮は、前を向いて作業を続けながら、情報を追加した。
「柳井君は……これを、佐藤支局長からもらった、と、言っていました」
「え……」
「だから、ゴミは佐藤支局長に投げておいてください」
「いやいや、そうじゃなかよね!? っていうかゴミは投げちゃダメやろうもん!!」
ユカは正論を言ったつもりだったが、華蓮はやはり動揺することなく、淡々と仕事を続ける。
「ゴミを『投げる』は、この辺では『捨てる』という意味です」
「え!? あ、そうなんやね、知らんかった……ちゃ、ちゃんと捨てます!! いますぐぶん投げるけんね!!」
ユカは慌てて手の中のゴミを足元のゴミ箱へ投げると、カップの中に残っていた、ぬるいコーヒーを飲み干した。そして、もう一度息を吐いて……華蓮を見やる。
彼女(彼)なりにこちらを気遣ってくれていることが、よく分かったから。
「片倉さん……ありがとう。ゴタゴタに巻き込んでごめんね」
「いえ……親も姉弟も選べませんから、しょうがないと思います」
「そうやね……家族、選べたらいいのにね」
ユカがポツリと呟いた言葉に、華蓮は仕事の手を止めないまま、「でも」と口を開き。
「私は……血の繋がらない女性を、姉として尊敬しています。誰を、どう慕うのかは、自分自身で選ぶことができると思います」
「片倉さん……」
彼女――彼が誰のことを言っているのか、詳しく聞かなくてもすぐに分かった。
名波華
名波蓮と直接的な血の繋がりはないが、彼は彼女を姉と慕い、汚名をすすぐために生命すら懸けた。
華と共に生きた過去は……彼にとって『姉と過ごした、かけがえのない時間』なのだ。
――どうか……どうか、ここにいる皆さんは、姉さんのことを覚えていてください。名波華という女性が、本当はあの日、1人で多くの人を助けようと一生懸命だったことを……どうか……忘れないでください。
多くの同年代の前で、涙を隠さずに自身の体験を語りきったときの蓮を思い出す。
まだ、名波華は『行方不明』という扱いだ。可能性があるご遺体が引き上げられ、現在、DNA鑑定が進められているけれど……その結果が出るまでには、予定よりもだいぶ時間がかかる見込みだ。
そのことを知った時、ユカは華蓮を気遣い、「早く分かるとよかね」と、話しかけたことがある。
彼女は今日と同じように、自分の仕事を続けながら「そうですね」と呟きつつ。
「速度よりも、正確性を重視して欲しいです。私は……姉さんが帰ってくるまで、待てますから」
こう言って口元を引き締めた横顔がとても頼もしく見えたことを、よく覚えている。
ユカはその時と似た表情の華蓮に肩をすくめ、「確かにそうやね」と同意する。
「血が繋がってなくても……それ以上になれることなんて、いくらでもあるよね」
華蓮は前を向いたままコクリと頷いた後、スペースキーを連続して押しながら……口をへの字に曲げて、ボソリと呟いた。
「血の繋がりなんて……くそくらえ、です」
「それ、一応聞かなかったことにするけんね」
苦笑いを浮かべたユカは、ふと、福岡にいる育ての親のことを思い出し……少し、心が暖かくなった。
その後、18時前に『仙台支局』へ戻ってきた彼は、少しだけ疲れた様子はあったけれど、概ね、いつも通りであるように思えた。
だから、華蓮は定時退社、ユカも里穂と心愛の出迎えを政宗に引き継いで退社し……1人、暖房で家の中を暖めて、彼の帰りを待っていたのだけど。
「政宗……今日は遅かね」
時刻は間もなく21時30分。普段であれば帰る際に簡単なメッセージを送ってくれる彼からの通知は、特に何もない。
「何かあったとやか……」
巡回中に何か、トラブルが発生したのだろうか。念のためにスマートフォンで宮城県内のニュースを見てみるが、イベントで大きなトラブルが発生したような速報はない。
こちらから、何かアクションをしてもいいのだろうか。それとも、もう少し待った方がいいのだろうか。
ユカが椅子に座って足をプラプラさせながら思案していると、不意に、スマートフォンが着信を告げる。
「うぇっ!? え……統治?」
画面に表示されたのは統治の名前だった。ユカは緊急事態を想定し、少し身構えて電話を取る。
「も、もしもし、統治。どげんしたの?」
『山本、今、家にいるか?』
「う、うん、おるけど……何かあったと?」
『ついさっき、佐藤から電話があって……明日、1日休ませてほしいと言われたんだ。俺は問題ないんだが……今日、何かあったのか?』
「そうなん!? 実は……」
ユカが今日の出来事を説明すると、『死神』というワードを聞いた統治が……電話の向こうで、大きなため息をついた。
『そうか……よりにもよって、その単語が……』
「10年前のあの時も、政宗、この言葉に反応しとったよね。あの時は統治が真っ向から否定してくれたけど……あたし、何も言えんで……」
自責の念にとらわれたユカが大きくため息をつくと、電話の向こうにいる統治が『いや』と頭を振ったように否定して。
『あれは間違いなく、10年前の俺が、考える時間もあったから言えたことだ。今の俺が咄嗟に言えるかどうか……自信はない』
それが彼なりの、精一杯のフォローであることなど分かりきっていた。自分一人でこの問題に挑んでいるわけではないことを改めて感じ、少しだけ、肩の力が抜ける。
「……ありがとう。政宗、どこか行くって言っとった?」
『いや、特には聞いていない。だからきっと、そこに帰ってくると思う。山本に出来ることで……支えてやってほしい』
「分かった、考えてみる」
ユカはそう言って一度言葉を切ると、数秒間躊躇った後……思い切って口を開いた。
こんなこと、今の時期に言うつもりはなかった。政宗が休むならば、統治のフォロー役として自分が代わりに出たほうがいいことも分かっている。
けれど……彼としっかり向き合って、歩幅を合わせたいと思ったから。
「ごめん統治、明日の仕事のことなんやけど――」
『――佐藤は祖父母の忌引扱いで、日曜日まで休みにしておく。山本も今週はそのまま休んでくれ。その代わり……佐藤は月曜日は朝から、山本は午後から頼む』
「了解。でも、何かあったら連絡ちょうだいね」
ユカがこう言って電話を切った十数秒後、玄関のカギが開く音が聞こえた。
彼が帰ってきた。その事実に安堵するけれど、問題は何も解決していない。
出来ることは、何だろう。
今の彼に必要なこと、ユカでなければ出来ないこと、それが何か、あるとするならば……。
「……あ」
何かを思いついたユカに思案する時間を与えまいとするように、廊下を歩く足音が近づいてくる。
動け。
誰かにそう言われたような気がした。
だから――
「おかえり政宗。悪いけど……今晩、車って運転できる?」
「……は?」
開口一番、突拍子もなく言い放ったユカの言葉に、政宗は思わず目を見開いた。
ユカはそんな彼に近づいて、持っていたカバンを半ば強引に奪い取る。そして、コートのポケットから彼のスマートフォンも抜き取ると、着ていたネルシャツの胸ポケットにねじ込んだ。
「ちょっ……ケッカ!? スマホは返してくれよ」
「取れるならどうぞ?」
「……」
どや、と、胸を張る彼女に、政宗は手を伸ばし……たが、スマホは思いの外、ポケットの奥に埋没してしまっており、取り出そうとすると意図しないところまで触ってしまう可能性が大いにあるため、迂闊に手を出すことが憚られる。
躊躇いが宿った指先を空中で遊ばせながら、政宗はユカへジト目を向けた。
「ケッカ、一体何がしたいんだ? というか俺、腹が減って……」
「分かっとるよ。まずは夕食。んで、その後に車って出せる?」
「は? 車……まぁ、出せるけど、一体どこに連れていけばいいんだ?」
仕事終わりの空腹と今日のゴタゴタでイライラが強い政宗だが、ユカは臆することなく提案を試みた。
彼女が今、一瞬で思いついたこと、それは……。
「星が見えるところに行きたい。政宗、あたしと駆け落ちしよう!!」
「星……って、は!? か、かかか駆け落ち!?」
自信満々に言い放ったユカの言葉を理解した瞬間、政宗は久しぶりに……頭が、真っ白になった。
ここまでを区切りにしたいので長くなりました。お疲れ様でした……!!
しかし政宗は報連相が出来ない(対ユカ)支局長ですね。セレナとの会話を書くのは楽しくて、もう、ずっと喋っていてくれと思いました。
そして、本文中の不機嫌華蓮さんは、狛原ひのさんに描いていただいたものです!!
ここの「血の繋がりなんてくそくらえ」というセリフは、私自身も思いついた時に脳内ガッツポーズをしたのですが、そんな私がこの絵を見せていただいたとき、現実世界でガッツポーズしました。華蓮さん、感情を、こんなに、出せるように、なって……!!(感動しているらしい)
苦笑いをするユカとセットで見ることが出来て眼福です!! ありがとうございます!!
そして始まる駆け落ち。ここからが前半の山場になります。しばし、2人だけの逃避行(県内)にお付き合いください。




