エピソード3:投げる②
「初めまして。私の名前は安常夏明、どこにでもいる普通の医者です」
ユカと統治の視線の先、赤いロングコートを着たままの人物――夏明は、したり顔で淀みなく自己紹介を終わらせた。
そういえば……ユカは改めて夏明の外見を確認すると、その隣で優雅にブラックサンダーを開封している聖人へと視線を向ける。
――髪の色が茶色だったし、そもそも彩衣さんは院内であんな派手な赤いコートなんか着ないっすよ!!
――昼休みの時間帯に、伊達先生が病院の近くにあるコーヒーショップで、赤いコートを着た髪の長い女性と待ち合わせしているところをお見かけしましたっ!!
先日、里穂や櫻子が見たのは、間違いなく……夏明だ。
「もしかして……伊達先生と、お付き合いされている女性、ですか?」
ユカの言葉に、夏明はわざとらしく目を見開き、口元にニタリと笑みを浮かべる。
「この私が? まー君とお付きいを? されているかどうかだって?」
「まー君……」
あだ名で呼ばれた聖人が「まー君です」と笑顔で人差し指を頬にあてるので、ユカは「絶対に違うな」と脳内で判断を下す。そして、名前をメモした統治を見やり、小声で問いかけた。
「統治も、安常……先生とは初対面なんよね? 名前は聞いたことあった?」
「いや……」
統治が真顔で困惑している様子から完全なる初対面だと判断したユカは、居住まいを正し、改めて名乗った。
「ご存知かと思いますが……山本結果です。あの、伊達先生、安常先生をここへ連れてきた理由を教えてくれませんか?」
「それは勿論、ケッカちゃんの病気を治すため、だよ」
「病気を治す……え!? それって……」
それが、先日の診断書を絡めた言い回しだということに気付いたユカが目を見開いて困惑している間に、聖人はカバンからタブレット端末を取り出した。そして、ブラウザを起動すると、事前に表示しておいたウェブページを表示させる。
それは、海外の病院のホームページのようだ。全てが英語で記載されているため、何が書いてあるのかはすぐに分からないけれど……写真の人物は、今、ユカの眼の前にいる。
「え? これ、安常先生……」
「オールライト。今はアメリカの病院に勤務してるけど、4月から宮城に戻ろうと思って。この写真、あんま気に入ってないんだよね。本物の方がよくない?」
「アメリカ、ですか……すいません、何の先生ですか? 外科ですか?」
英語を翻訳出来ないので素直に問いかけるユカに、夏明は「ハハハ」と乾いた笑いを浮かべつつ、2つ目のブラックサンダーを開封した聖人を肘で小突いた。
「まー君、彼女、スルースキル高いね」
「そうだね。言っただろう? 彼女は麻里子さんの秘蔵っ子だって」
刹那、麻里子の名前を聞いた夏明が、「そうだった!!」とよく通る声で納得を示す。
「だから余計に、必死に、謙虚に頑張らないと、私が姐さんから眠らされてしまうね!!」
麻里子を『姐さん』呼びして目を輝かせる夏明に、ユカはそこはかとなく嫌な気配を感じた。
夏明はコーヒーを半分飲んだところでカップをソーサーに置くと、ポケットから名刺を取り出し、机上に置く。
「私の専門は、麻酔科。苦しむ人々を正確に、迅速に、安らかに眠らせるのがお仕事だよ」
「麻酔……」
「そう。手術なんかで必要な役割なんだけど、役割が地味だからなのか、そんなに目立たなくてね。けれど、麻酔は量を間違えると痛みを軽減できないし、下手をすれば永眠させちゃう可能性もあるから。私、割とプロフェッショナルだよ」
どや、と、胸を張った夏明は、釈然としていない様子のユカを見つめ、口元に笑みを浮かべた。
「だから、未来の山本さんが無痛分娩を希望する場合は、ぜひぜひご指名ヨロシク」
「はいっ!?」
話が明後日の方向へ飛躍したことで、ユカが素っ頓狂な声を上げる。その反応を良しとした夏明は、先程から聞き役に徹している統治へと視線を移した。
「隣のお兄さんは特に、跡取りは必要だろう? 奥方の苦痛を消したい時は絶対に指名してね」
「ご配慮いただき……ありがとう、ございます……」
急に話を振られた統治が、両肩をビクつかせながら曖昧に返答した。そして、話がよくわからなくなってきたので、終始夏明を野放しにしている聖人へジト目を向ける。
「伊達先生、それで、安常先生が宮城に戻ることと、山本の病気を治す……要するに、彼女の体を正常な状態に戻すことと、どんな関係があるんですか?」
いいから詳しく説明しろ、と、視線で訴えると、聖人はコーヒーをすすった後、ようやく、本質を語りだした。
「6月、ケッカちゃんが一時的に成長したことがあったよね。勿論、それには現代医学では説明できない、不可思議な偶然が重なってしまった結果だと思うけれど……似たようなことを現代医学の力を使って再現できないかなって、ちょっと本気で考えていたんだ」
聖人の唐突な導入に、ユカは「はぁ……」と気乗りしない返事をする。統治は政宗への報告もあるのでメモを取っているが……そのペン先には迷いが感じられた。
聖人はそんな2人の様子を気にすることなく、話を続ける。
「例えば、この間の診断書は嘘ばっかりだったけど、実際にホルモンの異常なんかが原因で、体の成長が遅い病気もある。それは国の難病に指定されてるけどね」
ここまで聞いたユカは「そうなんですか」と相槌をうちつつ……他人事としか思えない自分にため息をついた。
確かに自分は、6月、一時的に本来の大きさまで成長をしたらしいけれど。
その時のことを一切覚えていないので、当事者意識は薄い。
ユカのそんな思いを知ってか知らずか、聖人はいつも通りの口調で、実に恐ろしいことを語り始める。
「例えば、だけど。ケッカちゃんを麻酔でふかーく眠らせて、その間に限界ギリギリまで成長に必要なものを人工的に投入し続けたら……どうなるのかなって思って」
実に軽いノリで語る聖人に、ユカは思わず顔をひきつらせるしかない。
「人体実験じゃないですか、それ」
「そうだね」
「しれっと認めないでくださいよ!? え、それ……あたしの体、大丈夫なんですか!?」
「どうだろうねぇ」
「ふざけないで真面目に答えてくだい!! 勝算、というか……成功する確率は、どれくらいありますか?」
急に実験体にされそうになったユカが慌てて問いかけるが、聖人はしたり顔で返答する。
「それは、申し訳ないけれど分からないよ。なんせ、誰もやったことがないことなんだから」
「そうでしょうけど……!!」
「勿論、成功する確率を最大値まで上げることが自分たちのお仕事だし、使命だと思ってるけどね」
聖人はこう言って、カバンから書類を取り出した。見たことのない一覧表、身長と体重と思しき数値と、その推移を示した折れ線グラフが印刷されている。
「伊達先生、これは……?」
「『福岡支局』に事情を説明して、ケッカちゃんの10年間の身体的データを送ってもらったんだ。6月に彩衣さんが測定した、成長が進んだケッカちゃんの身体データをゴールだとすると、そこに至るまでに、どれだけ足りないのかが分かる。そして、10年分の成長の度合いも加味して、どれくらいのペースで『治療』を進めていけばいいのかも、予測は可能になる」
福岡に事情を説明して。
聖人の言葉を理解した瞬間……ユカの背中を嫌な汗が伝っていくような、そんな感覚を覚える。
「ちょっ……と、待って、ください。福岡に、事情を、説明って……」
ふらつく頭を抑えながら問いかけると、聖人はコーヒーをすすった後、態度を変えずに返答した。
「申し訳ないけれど、6月のことを、メールで簡単に説明させてもらったよ。ケッカちゃんが成長した状態の写真を見せたら、とても驚いていたけれど……納得してもらった」
「はいっ!? か、勝手にそんなこと……!!」
「自分としては、別に隠すことじゃないと思ったんだ。むしろ信頼できる相手には情報を開示して、協力を仰いでいかないと……何も変わらないよ。違うかな?」
「それは……」
確かに彼の言い分は最もだと思う。ユカ達が福岡へ事情を説明しなかったのは、「こんな不可思議なこと、どう説明すればいいのか分からない」という理由が大きかったのだから。
ただ、頭で理解出来ても、心で咀嚼できない。そんな気持ちを察した聖人が、困惑するユカを見据えて言葉を続ける。
「確かに、自分の独断で話を進めてしまったことは、申し訳ないと思ってるよ。それに関しては謝罪をすることしか出来ないけれど……それだけ試す価値がある『治療』なんだって思ってくれると、嬉しいかな」
背筋を正し、真っ直ぐにユカの目を見て言葉を紡ぐ聖人へ、これ以上何も言えなくなってしまった。
すると、次は統治が夏明を見やり、膝の上で両手を握りしめたまま問いかける。
「安常先生は……我々のことを、どこまでご存知ですか?」
「我々っていうのは、『良縁協会』のことでいいかな?」
「そうですね。申し訳ないのですが、俺は安常先生のお名前を伺ったことがなかったので……」
聖人が連れてきた人材なので、ある程度の深い事情は知っているのだとは思う。ただ、何をどこまで知っているのか、それは本人に口から聞いて自分で判断しなければならないことだと思った。
統治の質問を受けた夏明は、足を組み替えると、何かを思い出したのか、少し楽しそうに己を語る。
「私は元々、山陰地方の出身なんだ。医学部に進学するために宮城に来て、まー君のパイセンになった。んで、私の実家は個人医院なんだけど、患者さんの中に、名雲さんが多くいてね。その中の、年が近い女性が、家業で福岡の事務所に飛ばされることになったから、北九州まで遊びに行ったことがあるんだよ」
頭の中でキーワードをつなぎ合わせた統治の中に、1人、該当する人物が浮かんだ。
「それは……もしかして、名雲双葉さんですか?」
「ザッツライト。君、東の人なのに双葉ちゃんと知り合いだったんだね。んで、そこで麻里子姐さんとも出会って、『とっても刺激的なお仕事に連れて行ってもらった』んだ。いやー、非合法でブスブスお注射するのは楽しかったなー」
「非合法で注射……!?」
「なっちゃんなっちゃん、それくらいにしておきなよ。世の中には知らないほうがいいことも、たっくさん、あるんだから」
「それは確かに。ソーリーソーリー」
こともなげに語る夏明は、ドン引きしている統治とユカを見やり、口元に笑みを浮かべた。
「こんな感じで、間接的に何となく関わっている程度だから、専門用語をメニーメニー並べられるのは困るかな。これで答えになったかい? それともまだ深堀りしちゃう?」
「いえ……十分分かりました。もういいです。ありがとう、ございます……」
記憶の中で漬物石をのせて蓋をしていた、苦すぎる思い出が脳裏をかすめた統治は、引きつった顔で話を切り上げる。ユカも夏明の言葉からいくつかの可能性をピックアップした後……これ以上は聞かないほうがいいだろう、と、いう判断を下し、可能性ごと脳内消去した。
夏明はコーヒーを飲み終えると、カップをソーサーに置いた。そして、改めてユカを見つめる。
「山本さんのことは、麻里子姐さんから聞いたことがなかったんだ。それだけ慎重に……確実に対応したかったんだと思う。ここで一度、マックスまで成長したということは、君の体は、成長出来るポテンシャルが絶対にあるんだ。それを今のうちに活性化させてあげることが必要だと思ってね」
「活性化……」
「すぐに決められないとは思うけれど、山本さんが納得して、首を縦にふってくれたら……私達は君を生かすための力になれると思うよ」
話が急に進みすぎていて、急に納得するのは難しい。
そもそも……こんな大掛かりなことに、どれくらいの時間がかかるのだろうか。
自分はまた、『縁故』として、ここに戻ってくることが出来るのだろうか。
湧き出してくる疑問を1つずつ解決すべく、ユカは緊張しながら問いかける。
「あの、例えば、もしも承認した場合のスケジュールというか……」
「そうだね……設備が整い次第にはなるけれど、基本的に投薬が必要な時は入院して、私達の管理下におかせてもらうよ」
夏明はそう言って、右手の人差し指を立ててみせた。
「ただ、ずっと寝たきりは筋力も落ちるし、私達も管理が大変になってくるから、ジワジワと成長を進めて、目標値に達したら投薬をストップしてリハビリをしてもらいつつ、次の段階へ進めていきたいと考えているんだ。例えば……ひと月のうち、半分は入院、半分は自宅療養、みたいな感じかな。申し訳ないけれど、その間は休職してもらうことになるね」
「なるほど……期間とかは分からない、ですよね」
「正直、確実はことは言えないけれど……多分、1年あれば何とか終わるかなって感じ」
「い、1年ですか!?」
予想外の予測に、ユカは思わず大きな声を出した。それを否定的にとらえた夏明が、苦笑いで肩をすくめる。
「長すぎるかな?」
「ち、違います。その……それこそ10年くらいかかるかなって、思っていたので……」
「そんなに時間をかけていると、体が更に変化しちゃうから。今の山本さんの年齢を考えると……最短で確実に進めるべきだと思う。女性は特に、今後も加齢による変化が多いからね」
それこそ10年近くかかってもしょうがないと思っていたユカには、たった1年で成長を完了させられるかもしれない、というこの申し出が、途端に魅力的なものに思えてきた。
そんな彼女の気持ちを察したのか、夏明は右手の中指も立てて、話を続ける。
「それに今、山本さんは彼ピッピと同棲しているんだろう?」
「……はい?」
彼ピッピ、とは、一体。
数秒考えて、恐らく政宗のことだろうとあたりをつけたユカは、真顔で返答する。
「……関係性は違いますけど、確かに、信頼できる人と一緒に住んでいます。要するに一人暮らしじゃないので、自宅療養の環境も整っているってことですか?」
「そういうこと。協力してくれる人が君を恨んでいたら、成功しないからね。恋愛感情があるなら、なおのこと丁度いい。私達の言うこともきちんと聞いてくれそうだ」
至極打算的に語る夏明の言葉に、ユカは脳内で必死に情報を整理しつつ……ふと、気になることがあったため、視線を聖人の方へ向けた。
ここまで聞くと、ユカ側のリスクは少ないように思える。
ただ……それだけではないだろう、そんな思いが強い。
「伊達先生、前に……あたしの『生命縁』には毒素があるって、おっしゃってましたよね。その状態で『治療』を進めて……大丈夫なんですか?」
ユカの指摘に、聖人は「そうだね」と呟いた後、残ったコーヒーを一気にすすった。そして、夏明に目配せをした後、足を組み替え、自身の見解を語る。
「ケッカちゃんの言う通り、現状で『治療』を優先させてもあまり効果が期待出来ないかもしれない。ケッカちゃんの中にある『毒素』が、投薬の邪魔になってしまうかもしれないからね。だから……投薬している間は、6月と同じ状態にして、『毒素』を放出してほしいと思っているんだ」
「6月と、同じ……同じってどういうことですか!?」
「例えば、ケッカちゃんの『生命縁』にわざと傷をつけることができるといいんだけど、それが無理だったら、麻酔をギリギリまで使って仮死状態にしてもらって、どうなるか確認をする。安常先生はそのために必要なスペシャリストでもあるんだ」
静かに、患者に対して有益な治療法を提案するように、己の感情を押し殺して淡々と語る聖人の姿が、今のユカにはとても……恐ろしく見えた。




