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人見知り勇者さんは、今日もどこかでぼっち飯。  作者: 天野 肇
3食目 サラマンダー麻婆豆腐 地獄仕立て

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2


 店内は狭いが、熱気で冬を忘れそうだった。巨大な鉄鍋の底が白く灼《や》け、唐紅《からくれない》の油がとろりと光る。


 カウンターの向こうで鍋を振るのは、先ほど俺を強引に入店させたドワーフの親父。


 焼け焦げた鼻髭《はなひげ》、見た目のゴツさと反して油跳ねしたフリル付きのエプロンを着ている。太い腕や指には火傷《やけど》の痕が無数に刻まれていた。


 数席のテーブルは半分ほど埋まり、壁際には野次馬《やじうま》が三、四人。みな張り紙を見て集まってきたらしい。

 俺が一人席に着くと、視線が一斉にこちらに向いた。……うう。見ないで。


「挑戦か」


 親父は短く言い、俺が口を開く前に顎をしゃくった。


「……はい」


 声が自然と小さくなる。

 その瞬間、店内の視線がまた一気に集まった。


「挑戦だってよ」

「なあ、あれ……勇者様じゃない?」

「まさか。似てるだけでしょ」

「いや、先週の討伐の……」


 ――ヒソヒソ声が耳に刺さって、背中がむず痒い。やめて。見ないで。……でも十万は欲しい。


 親父は木札をコトリと置いた。そこには三行だけ。

 ⑴ゆっくり食うな(長期戦は確実に失敗する)

 ⑵舌で弄《もてあそ》ぶな(自殺行為だ)

 ⑶水は最後まで残せ(一杯のみの提供)


「忠告はそれだけだ」


 親父は鍋をあおりながら、淡々と説明を続けた。


「辛味は三種。サラマンダーの火嚢粉《かのうふん》、炎胡椒《えんこしょう》。痺《しび》れは黒花椒《くろかしょう》。香りづけに鬼灯粉《ほおずきこ》。油は竜王唐辛子《りゅうおうとうがらし》を絞って生成した唐油《とうゆ》。――以上」


 聞くだけで舌が痛くなるラインナップ……。


 しかも火嚢粉は、火山地帯に生息する炎を食う魔物――サラマンダーの体内にある炎嚢《ひのう》――高温の炎を溜《た》める器官を乾燥させ粉末化したものらしい。錬金術師や料理人の間では高級素材として扱われているらしいが、調合を誤ると鍋ごと燃えるとか。

 ……そんなもの人体に入れて大丈夫なのか。


 卓に置かれたのは、水の入った小さなグラスが一つ。

 俺に与えられた、たった一つの救い。いわば命運を分ける切り札。湖畔《こはん》の神精霊《しんせいれい》――ウンディーネ。


 俺はそれを遠ざけ、椅子に浅く腰をかけ、背を伸ばした。


 店中の視線が突き刺さるのが分かる。

 うおおおお……やめろ……! 見ないでくれぇぇぇ……!


 心の中で絶叫しつつ、表情は平静の仮面で固める。

 無表情だからって内心まで無とは限らないんだよ!


「――おまちどう」


 親父の一声で、店の空気が変わった。

 視界の中心に置かれたそれは――赤黒い毒沼のような麻婆豆腐。


 表面の唐油《とうゆ》がブクブクと泡を立て、白いはずの豆腐は鬼灯色《ほおずきいろ》に染められ、鉄皿の中で浮いている。

 匙《さじ》の先を浸《ひた》せば、それすら溶けそうだった。


 地獄仕立て――これが。


 ごくりと喉を鳴らす。

 迷うな。短期決戦だ。


「いただき、ます」


 豆腐を一片、持ち上げる。

 カウンターのどこかで「マジかよ……」という小声がした。


 最初の一口が舌に触れた瞬間――、音のない爆弾が連続で弾けた。


「ッ……ぉ……ぶほっっ――‼︎」


 刺す。切る。灼《や》く。痺《しび》れる。

 激辛《げきから》の四天王が、口内を集中砲火。


 噛んだ瞬間、上顎《じょうがく》に爆炎。舌の付け根に剣山。

 飲み込めば喉の奥が焼け焦げる。


「ゲッホ……げ、ぉほっ……お゛‼︎」


 思わず咽《む》せる。何度も咽せる。

 ……な……なんだこれは。

 ナンダコレハ。

 から……いや、辛《つら》い⁉︎


「お゛……おごぉッ――‼︎」


 正直言って、人類が踏み込んでいい領域じゃない。


 いやこれ味見したのかこれ! なんでこんなもん生み出した! 馬鹿なのか!

 心中で思わず吐く暴言。


 額の汗腺が一斉に開門し、背骨を灼熱が駆け上がる。

 水…………だめだ。まだだ。

 唐油で滑る豆腐を、舌の上で転がさず、喉へ。

 木札の三行が額の内側で回る。

 耳鳴りがきいんと鳴り、親父の鍋の音が遠ざかる。視界の端が潤んでくる。


 恐ろしい。これぞまさに地獄。地獄の味だ。

 もう食わせてくれるなと匙を持つ手が全力で拒否してくる。


 噛むな。飲み込め。噛めばさらなる痛みがやってくる。


 ようやく三分の一ほど進めた頃。

 あまりの苦行に俺の思考までもが痺れてきた。

 いったい……俺は、…………何をやって…………。


 視界が回り、皿を前に意識が朦朧《もうろう》としてくる。

 

 つら、い……。

 つらい…………。


 つらい…………、つらい……、つら……い?


 脳が逃げ場を探して、余計な記憶を持ってくる。


 勇者になりたての頃。王都《おうと》の謁見《えっけん》で泡を吹いて失神して恥をかいたこととか。


 仲間たちとの初の顔合わせで、人見知り爆発してマジ吐いて、三日くらいまともにみんなと目を合わせられなくなったこととか。


 初陣《ういじん》の時、責務を果たすことばかり考えていて、戦いが終わるまで社会の窓《まど》全開に気づかず、魔王軍にしばらくネタにされて死にたくなったこととか。


 ――あー無理無理。やめろ、思い出したくない。


 こんな、痛み……こんな苦しさ……。

 あの時に比べたら。


 ――濡れた大地。

 破壊され、地に転がった大盾が脳裏にちらつき、燃えていた心臓が冷えて、指先が震える。


 あの時に……比べたら。

 ……こんな痛み――。


 目を見開き、もう一度匙を握り直して、俺は一気にかき込んだ。


 額から汗が派手に伝い落ちる。

 舌から喉の奥の痛みが、痺《しび》れが猛毒のように広がる。

 それでも――。


「ッ……あ゛……ゴホォッ‼︎」


 またも激しく咽《むせ》せる。

 ここで水? いや――まだ、まだだ……‼︎

 水は一杯しかない。最後の切り札にしておくべきだ。

 代わりに、なるべく口内を刺激しないよう呼吸を変える。


 豆腐を一片、もう一片。合間にサラマンダーの挽肉。

 挽肉が小さな刃の群れみたいに舌の上を転がる。どこを食べても逃げ場がない。


「おい……がんばれ……! がんばれよ‼」

 誰かの声援が、遠くから届く。

「勇者様、いける、いけるぞ……!」


 やめて。見ないで。褒めないで。いま褒められると、崩れる。


 喉の内壁が薄皮ごと焼け剥《は》がれる感覚。

 胃に落ちたものが、小さな竜になって胸骨《きょうこつ》を叩く。

 涙が視界を歪め、耳からも火を噴きそうだった。


 逃げるな。

 俺は、みんなの装備を整えて、誰一人死なせずに、この先に……。


 豆腐、挽肉、豆腐、挽肉。舌の上をほとんど通過させず、喉へ。

 視界の端で、ギャラリーが硬直している。


「……まさか」


 ドワーフの親父の低い声が、確かに聞こえた。


 残り、わずか。

 ようやく見えてきた、毒沼の底。

 最後のひとかけらを掬《すく》う。

 舌はもう限界。

 ここだ――。


 俺は、奥に置いていた、たった一杯の水を手に取った。

 口に一気に含み、舌の刺激が僅《わず》かに洗い流された瞬間。


 唐油《とうゆ》が滴《したた》る最後の一口を喉にぶち込む。


 匙が落ちる音。

 鉄皿の中は空だ。


 俺は救いの一杯を最後まで飲み干し、テーブルに叩きつけた。


 数拍の沈黙。


 カウンターの端で、数人が立ち上がり拍手が上がり、信じられないというような雄叫《おたけ》びが一斉に響いた。


 呼吸が、いつまでも整わない。


 胃の中が爆炎で満たされている。

 舌は死んでるのか、もはや感覚がない。

 喉が焼け焦げたみたいに痛くて、息を吸うたびにヒュウ、と音が鳴る。


 ――あ、これ、声出ないやつだ。


 親父が麻袋をどすんと眼前に置く。


「あんたのもんだ」


 10万モート。


「あ゛……ッ――」


 言葉にならず、口内がただただ痛みだけを連れてくる。


 親父は俺の喉をちらりと見て、顎で合図した。


「いい、喋るな。……ようやった。良いもの見せてもらったよ」


 ぶっきらぼうに言い渡し、親父が拍手をすると、店の隅で見ていた野次馬たちからも歓声が上がった。


「本当に勇者様だった……」

「声、出ないの可愛いな」

「ヒュウウウウウ! ナイスファイト勇者様!」


 やめてほんとに見ないで──!


 店を出ると、雪解けの風が、灼《や》けて潰れた喉にまたしみた。

 胃の底でまだ小さな竜が暴れて、火の玉を噴き続けている。

 ボロボロだ……。この間の戦線もキツかったが、これはまた別の次元である。


 俺はふらつきながら麻袋を大事に抱え直し、宿へ引き返した。



挿絵(By みてみん)



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