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宵の口、港通りの外れ。
市場の喧騒が少し遠のいたあたりに、その店はひっそりと建っていた。
潮風に晒された白壁と、濃い木目の柱。瓦屋根の下に、『御食事処 海乃幸』と書かれた白の暖簾が静かに揺れている。
この店の造り。神官の故郷でもある東方島国の文化だろう。
入口は格子の引き戸で、脇には『商い中』の木札。暖簾の奥から漏れる灯りと、扉の傍に置かれた古びた狸の置き物が、静かで暖かな雰囲気を醸しているのがいい。
どうしてもお礼がしたいと言う冒険者の彼に、『この辺の店で美味い飯が食べれるところ教えて』と頼んだ結果。
彼が推したのがこの店だった。
引き戸をそっと開けると、ほっとするような出汁の匂いに迎えられた。
店内にはまばらに客がいたが、どの卓も静かに食事を楽しんでいる。
俺好みの空気だ。
板張りの床に、壁には木札のお品書き。カウンター席は調理場が見える造りになっていて、無口そうな大将が淡々と包丁を操り。白い割烹着姿の女将が食事を運びながら俺に声をかけた。
「いらっしゃい。お一人さんかい? こっちどうぞ」
案内されたのは調理場の見えるカウンター席。
座ると、強面の大将と目が合う。
気まずさで肩に力が入ると、大将は何も言わず、まな板に顔を戻して魚を捌き始める。
おおお……こ、この席、人見知りにはちょっと荷が重いかも。
気を紛らわせたくて壁の木札に目をやる。
焼き魚、煮つけ、おまかせフライ、本日の刺身。単品でも定食にもできるのか。
定食に付いてくる青さの味噌汁は、追加料金であら汁に変更も可能……なるほど、いいな。
お、大盛り無料……ッ、だと。
食いしん坊が喜ぶ文字の並びじゃないか。
達筆な字で書かれた飾りげのないメニュー表なのに、眺めているだけで楽しくなってくる。
さて何を食べようか……。
そういえば彼は、この店にしかないめちゃくちゃうまい料理があるから、絶対食べてほしいと言っていた。
どれのことだったんだろう。今さらだが、ちゃんと聞いておけばよかった。
視線を泳がせていると、一枚だけ太い赤文字で書かれた札に目が止まる。
【数量限定・シーサーペントの蒲焼丼(肝吸い付きます)】
おお……?
シーサーペントは、沖の深場に棲む大型海魔のことだ。
細長い体で船体に絡みつき、船を転覆させ海底へ引きずり込む獰猛な海魔で、討伐も一筋縄ではいかないが、激しい海流で叩き上げられたその身は栄養価が高く、脂が乗っていて美味いと聞く。
木札を見ていた俺に気づいたのか、女将が声をかけてきた。
「ああ、それ、昨日から出してる限定食なんだよ。ありがたいことによく出てねぇ。残り、ちょうど一食分なのだけれど」
え。
数量限定で残り一食って。
「――女将さぁん! まだアレある? 蒲焼丼!」
ガラガラ! と背後の戸が勢いよく開き、ほろ酔いのエルフが戸口で叫ぶ。
え、あっ。
振り返る女将に、俺は慌てて身を乗り出す。
「あ、あああ、じゃあ、蒲焼丼一つで……!」
「ふふ、はいよ」
タッチの差、せ、セーフ……。
俺の焦りように女将は口元に手を当てて微笑み、「悪いね。蒲焼丼は今さっき出ちゃったよー」と戸口に投げた。
「大将、蒲焼丼」
女将の注文を聞いた大将は無言で頷き、手元の包丁を取り替えた。
まな板に置かれたシーサーペントの切り身は、白身魚に似た見た目だが、皮目には海魔らしいマダラ模様が浮かび、太く鋭利な骨がびっしりとくっ付いていた。
大将は包丁の先で浮かすように骨を外し、残された小骨の全てを手際よく指で抜いていく。
淀みない動き、職人の技って感じだ。
真剣な面差しのまま下処理が進み、シーサーペントの身はあっという間につるりと美しい艶を見せる。
骨を抜き終えると、大将は身の厚みに合わせて包丁目を細かく入れ、寸分違わぬ間隔で串を打っていく。
そのまま体を半歩ずらし、今度は奥の焼き場へ移る。
腰の高さほどの細長い炭台だ。灰の中で赤く熾った炭が静かに熱を放つ。
その上に、串打ちしたシーサーペントが渡すように並べられていく。
ほどなくして身から脂が滴り落ちる。
細長い切り身の表面が炭火で持ち上がり、皮目が縮む。
一度裏返し、頃合いを見てまた何度か返すと、タレ壷に泳がせていた刷毛が焦げ色のついた身を撫でていく。
塗っては炙り、炙ってはまた塗る。
そのたびに香ばしい匂いを放ちながら、つやつやと飴色を帯びていく。
美味そうが過ぎる……。
前言撤回。
この席、とんでもない飯テロ爆心地だ――。




