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……ああ……これは師匠の家の天井。聞こえるのは師匠の鼻歌。
あれから……どれほどの時間が経ったのか。
最後の記憶は、ガルグリムの心の臓を聖剣の光が貫き、同時に奴の鋭い爪が鎧を貫通し、俺の左胸を穿った……。
はずだった。
指先で左胸を撫でてみるも、穴が空いている様子はない。
「――“勇者殺し”を相手にして、よくぞ生きて戻った。まあ、きのこと山菜を持ち帰ってこられなかった点を合わせれば及第点といったところかの」
「はは……、ほんと相変わらず……手厳しいですね」
ベッドから身を起こすと、なぜかエプロンを着けた師匠と目が合った。
「俺……最後、奴に左胸を……どうして」
鎧を破られ心臓を突かれた感覚は確かに覚えている。
師匠が俺を治療してくれたのかと問えば、彼はエプロンのポケットから見覚えのある鈍い銀色の盾片を取り出した。
かつての仲間であり、同郷の義兄――初代戦士の大盾に使われていた、希少金属の一部だった。
「お主の懐から出てきた。それに護られなければ、今頃本当にあの世行きだったじゃろうな」
差し出されたそれを両手で受け取り、強く握り締め、歯を食いしばる。
「っ……ッ」
大きくて広い、いつだって最前線に立ち、俺を守ってくれた背中。雄々しく猛々しい、振り向きざまの笑みを思い出す。
「心の霧は晴れたようじゃの」
「はい……」
「よう一人で頑張ったの。お主はやれば出来る子じゃ。ほれ、いい子いい子、じゃ」
師匠からの滅多にない称賛。
小さな手で頭をぐちゃぐちゃに撫で回される。
「先代の勇者たちをも破った厄災の魔獣を、見事討ち取ったお主は紛れもない強者じゃ、己を労り、誇るがよい」
龍の瞳が優しく細められ、少女のような笑みで褒められるとなんだか凄くむず痒く、胸の内側が暖かくなる。
などと思っていたら、久しぶりに腹の虫が情けない声で鳴いた。
「くかか! よいよい、まずは腹ごしらえじゃ!」
それを聞いた師匠はぷすっと吹き出して、質素なダイニングへと俺を招く。
「――あ、の……師匠、これって……」
「お主のために腕に寄りをかけたぞい!」
テーブルに着き、用意されていた“それ”に俺は困惑で固まる。
眼前には、鉄製のステーキ皿、その上には溢れそうなほど巨大で分厚い赤黒い肉だね。
付け合わせの野菜が皿の隅で居心地悪そうに身を寄せ合うほどデカい。
おいおい……オークの顔ぐらいあるんじゃないか。
ていうか、この肉だねの形って……。
「うむ。ハンバーグじゃな」
そうだけど、そうじゃない。
「なに。食い切れぬ程の新鮮な熊肉が冥峰に落ちていたのでな。今夜は里中、肉、肉、肉の肉祭りじゃな」
いや……いやいや。
もしかしなくても、この肉……。
顔がギュッと引きつる。
「そう硬い顔をするな。命のやり取りをした強敵に敬意を払い、存分に糧とせよ」
「やっぱりこれ、ガルグリムの肉じゃないですかあ⁉︎」
大昔とはいえ、勇者を喰らった魔獣の挽き肉でハンバーグを作って、勇者に食わせようとするあたり――やはり師匠は頭がおかしい。
というか、あんなに屍の腐臭を撒き散らしていたガルグリムの肉が美味しいと想像ができない。
食べないで済むなら正直そうしたい……。
「まあこのままでは、死の臭いが染み込んでいて食えたものではないじゃろう。どれ、美味しくなるように最後の仕上げといくかの」
「え……ちょ、ししょ――⁉︎」
「刮目せよ――‼︎」
ボアッ――と、超火力の炎が師匠の口から放たれる。
煌びやかな炎が器用にステーキ皿の肉だねを包み込み、炙っていく。
亡き者たちを弔うように、ガルグリムの肉に宿る死の穢れを龍神族の浄化の炎が焼き払う。
やがて肉汁が弾ける音が満ち、垂涎ものの芳醇な香りが、失せかけていた食欲に火を付ける。
「鉄板が熱くなっておるでの、気をつけて食べるのじゃ。ソースはお好みで付けるとよいぞ」
こんがりと、焼き色が表面についた頃。
魔獣の肉と思えぬほどの、可愛らしいクマの顔を模した豪快なジビエハンバーグが爆誕した。
誰もが喜ぶ、濃厚な焼けた肉の香り、鉄板が奏でる音に思わず涎を飲み込む。
箸を握ると、師匠がやり過ぎなくらい山盛りの白飯と味噌汁を追加で持ってくる。
はわわわ……なにその最高な組み合わせ。
「いただき、ます」
箸でつぷりとやや硬めのハンバーグを切り分ける。
パン粉などのつなぎが少ないのだろう、肉の密度、脂の滴り具合が尋常じゃない。
湯気立てるそれを、冥峰の木の実と赤ワインを煮詰めた濃厚ソースの小鉢に潜らせ、
恐る恐る、はく……と一口。
っ――、
思わずテーブルの上で拳を握る。
脳内で二足歩行のご機嫌なクマが、笑顔で花畑を踊り狂う――。
春だ――、
食の喜びさえ失い、何も感じなくなった舌の上に、春が――押し寄せた。
芽吹き、咲き乱れ、際限なく広がっていく歓喜。
凍りついた味覚の目覚め――。
「おいしい……ッ」
感じる。ちゃんと感じる。
舌の上でとろける、赤身肉の深すぎる旨み。
それを最大限引き出す、木の実と赤ワインの絶妙なソース。
さらに、ふっくら炊かれた白米をガツガツと掻き込めば、これが美味くないわけがなく――。
久々に味のする食事というのもあって、その美味さたるや、自然と笑みが溢れるほどだった。
「うむうむ。如何なる時であろうとも、飯は食わねばならぬぞ。己が未熟さに打ちのめされ、道を見失うたとしてもな」
もう大丈夫だろう、と言うように、師匠はエプロンを脱ぎテーブルの隅に置いていた封筒を俺の手元へ寄せる。
「これは……」
「お主が寝ている間に、王都から飛竜便が届いておったぞ」
茶碗と箸をガチャンと置き、俺は前のめりになる。
「さて、儂はこれから湯を沸かしてくる。手紙でも読みながらゆっくり食事を終えるがよい。明日からはまたバッキバッキに仕込んでやるから覚悟するのじゃ」
そう言ってケラケラ笑い去っていく師匠の言葉は、ほとんど頭に入ってこなかった。
飛竜便は本来、急報を届けるもの。
慌てて封筒を手に取り裏返す。
差出人は――神官だった。
躊躇ったが、震える手で封を破って便箋を広げる。
余白が目立つほどに内容は短い、どこか取り乱したような神官らしくない荒々しい筆跡――。
――勇者さん
長々書いたところで、
意味を成さないと思い、これだけ
伝えます、
戦士さんが、
「……は……っ……ッ」
手の中の便箋がグシャと歪む。
瞳に、涙の膜が張る。
その続きを、俺は無意識に口にする。
「目を……覚まし、ました――」
鉄板がまだ温かな音を立てる中。
俺は、ずっと待ち続けていた朗報に顔を押し付け、しばらくの間、肩を震わせていた。




