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ニッコリと圧をかけられた数刻後。
俺は師匠に連れられ、濃霧漂う険しい山道を歩いていた。
高台のような岩場の上から振り返ると、龍神族の里が小さく霞んで見える。
里の背後に鎮座する冥峰――大陸では、“禁域”とされ、古くから人の立ち入りを固く禁じられている山で、俺も入るのは初めてだった。
「さて、ここいらで良いじゃろう。……ほれ、勇者よ」
岩場に腰を下ろした師匠は、紙切れ一枚を俺に差し出す。
「そこに記してある“もの”を全て入手できれば下山を許可する――以上。解散」
「いや……ちょっ⁉」
困惑を示しても師匠はそれ以上を説明する気がないらしく、スタスタとその場を離れ濃霧に身を隠していく。
「この冥峰は、あの世と繋がっているとも言われておる。己を見失いし者は簡単に喰われてしまうじゃろう。心して征くがいい」
崖の底から吹き返す風が、異様に冷たい。
空を覆う霧と深い木々、まだ昼過ぎなのに、まるで異界に迷い込んだような不穏な景色が広がる。
ごくりと喉を鳴らし、師匠に渡された紙切れを開いてみる。
・きのこ(食えるもの)
・山菜(適量)
・肉(多ければ多いほど良し)
追伸 日暮れまでには戻れ。
「お使いじゃねえか――‼︎」
頭冷やせって、これのどこが。なんか良いように扱き使いたかっただけじゃないのか。
師匠は本当によくわからない……。
肩を落とし、暗く足場の悪い道を歩きながらため息を吐く。
まあ……でも、師匠相手に反論するなんて、初めてだったな。
今思えば、どこで杖の一撃が飛んでくるか予測できない緊張と、思ったとしても畏れ多さでそんな気すら起せないのが、いつもの俺だ。
ふと立ち止まり、荷袋から食べずにいた蒸しパンを取り出し、小さく齧ってみる。
…………やっぱり。
「……味がしない……」
いくら食べても。なにを食べても。心が、動かない。
俺を癒してくれた食事の味が、よくわからない。
故に今は、食事を摂ることさえ億劫に感じている。
「……戦士」
まだ、お前は王宮の白い治療室で眠り続けているのか。
俺は……こんなところで、
「一体、なにしてるんだろうな――」
ふと、
なにか、ただならぬ気配を感じて、足を止める。
なんだ…………。なにかがいる。
姿勢を低くして身構える。視界が濃霧で遮られ、音もない、でも……。
霧に混じって……流れてくる、微かな獣臭さと、腐臭の……。
これは――
殺気。
見上げると、枯れ枝に串刺しにされた雄鹿の屍が真上で揺れている。
いや――、枯れ枝じゃない。
鹿が貫かれているのは、枝ではなく――角だ。
霧が静かに薄れ、巨大な影が後退する俺を覆っていく。
黒褐色の体毛。流木のように幾重にも枝分かれした二対の角。
死臭を帯びた牙を剥き、涎を垂らしてこちらを見下ろしているのは――熊めいた巨躯の、見たこともない魔物だった。
反射的に聖剣に指をかけ、間合いを取ろうとする。
だが――
こちらが動くより先に岩石のような爪が横薙ぎに振るわれ、俺の体は巨木へと叩きつけられた。
「ッあ――」
衝撃で視界が、脳がぐらりと揺れる。
重く、全身の骨が軋んだ。
何が起きたのか理解するより先に、
目の前が赤く染まった。




