2
帝都近郊の駐屯地。
魔王軍の幹部率いる襲撃部隊を迎え撃ったはずの兵団は――俺たちが駆けつけた頃には、すでに壊滅していた。
焦げた木柵、崩れた詰所。
砕けた武具、魔物の死骸。
苦しみ呻く者、動かぬ者。
生き残った兵はほんの僅か。
誰もが虚ろな目をして蹲り口を閉ざしていた。
「勇者様……お願いが」
死者に祈り、怪我人の処置に奔走する神官と共に現場を飛び回っていると、傷だらけの若い兵に縋られた。
「同郷の仲間が……、勇者様、お願いしますどうか、こいつの手を握ってやってくれませんか」
俺は無言で頷き、横たわった兵の手を取った。
冷たい。あまりにも。冷たかった。
「こい……つ、勇者様に憧れて討伐隊に入ったんです……ッ。ここを抑えて、明日必ず勇者様に会うんだって、そしたら鎧にサインしてもらうんだなんて言っててッ……ずっと……っ」
その場に崩れ、彼は嗚咽混じりに打ち明ける。
「どうして……なんでっ、こんなことにッ…………。なあおい、生きて勇者様に会うんじゃなかったのかよ……。魔王軍を全て倒して一緒に……故郷にっ……帰るんじゃなかったのかよぉお……!」
拳で何度も渇いた地面を叩く。
言葉にする度に、涙を溢れさせるその顔が、握った手の冷たさが――まるで胸の奥に封じ込めたトラウマの蓋をこじ開けるようで。
あの夜から、ずっとその感覚が消えてくれない。
冷えた手の内をもう片方の手で痛いほど握りしめる。
どくどくと小刻みな心音がうるさい。
「――勇者様がそんな顔してどうする、」
え…………。
「ははっ、また一人で背負い込んでいるのか?」
焚き火の向こうから呼びかけられ、顔を上げる。
ぼうっと視界に映る、正面の切り株に腰掛けた見覚えのある鎧姿。
歯を剥き出しにした笑み。
懐かしい、緋色の眼差し。
「っ……あ、」
思わず掠れた声が出る。
「なんで……………」
匙を落とした指先を、反射的に伸ばす。
――その時だった。
「……おいって――」
背後から声。
ぬるり、と冷たい手が首筋に回されて――
「ひょああッ⁉︎」
声にならない叫びと共に振り返ると、焚き火の明かりに照らされて、弓使いが立っていた。
寝ぼけ眼で、髪がぐしゃぐしゃ。
尖った耳がぴょこぴょこと動いてる。
「かちゃかちゃうっせーよ、眠れやしねえ」
「っ……あ、……悪い、起こした」
目を擦りながら苦情を言われ、素直に謝る。
エルフの長耳は聴覚がずば抜けているからな、夜食の準備から何から聞かれていたらしい。
「……」
再び焚き火に目をやると、そこに座っていたはずの人影は無かった。
気のせい……か。
「なんだよ」
「いや……別に」
後頭部を掻いて目を逸らせば、鋭い手刀が脇腹にめり込んできた。
前回穴空いたところ、地味に痛いやつ。
「別にじゃねーよ。どーせまたグルグル考えてたんだろ」
うっ……図星だ。
「こちとら人生経験がお前らヒューマとは桁外れのエルフ様だからなあ。そんなんお見通しよ。ったく、相変わらずの神経質だなあ。めんどくせーやつ」
そこは放っとけ……。
寝床に戻ると思いきや、弓使いは勝手に鍋をのぞき込み、匙を突っ込む。
「うまっ。なんだこれ。ルナマッシュ入れてんじゃん。うはは、高級食材! こんなんどこで手に入れたんだよ」
「運の良いことに、そこに生えてた」
「なるほど、昼間は他のキノコに紛れてわかんねーもんな。おい、オレも食うからさ、一杯くれ」
言うないなや、弓使いはその辺の丸太にドスンと腰を落とす。
すると今度は、戦士が毛布を引きずりながら顔を出してきた。
丸みのかかったハーフエルフの耳が欠伸と共に上を向く。
「ああ……なんか食べてる音聞こえて、起きちゃいました」
「おっ、戦士来たか! ちょうどいいシチューパーティしようぜ!」
おい、無理して起こすなよ……。
隣に座れと呼びつける弓使いを止めてみたが、気づけば三人並んで鍋を囲んでいた。
「しっかりしろよ」
弓使いがスプーンを口にくわえたまま、俺の方を見て肩を竦める。
「三日前のことだろ、顔色悪いぜ」
弓使いに続いて、戦士も頷く。
「そういう二人は、……平気なのか」
「平気、というわけじゃないですが」
「全部背負い込んでたら重てえだけだ。また白髪増えるぞ」
頭ではわかってるんだ。けど……。
はは、だめだな俺……勇者失格かな。
「勇者さんは、優しいから……。色々感じすぎるんだと思います。でも僕はいいと思いますよ、そういうの。だって僕が死んだ人だったら、すぐに忘れられるのは寂しいから。ほんの少しでいいから覚えていて欲しいです。それに、何にも動じない人より、支え甲斐もありますからね」
「そらそうだ」
戦士の言葉に、弓使いも深く頷く。
……そういうもんだろうか。
「じゃあ、もう食っちまおうぜ、全部メシにぶっかけて」
おかわりを皿によそい、ガツッと豪快にかき込む弓使いを見て、戦士も穏やかに同意する。
「そうですね。食べちゃいましょう、苦も楽も、……そうすれば、いつか報われる日が来ますよ」
「そーそー、オレらも一緒にたいらげてやるからさ」
そうして二人は、俺が纏っていた陰鬱な空気を塗り替えるように笑い飛ばす。
その屈託のない笑顔に、喉奥につかえていた息苦しさが少しずつ引いていく。
「そうだな……今は食べて、腹におさめるよ」
そう言って、残ったシチューを口に運んで、しばらく、不意にかくんと視界が揺れる。
久方ぶりに感じる眠気だった。
慌てて頬を叩いてみる。
「食ったら寝ろよ。見張りはオレと戦士で回すからよ」
「流石にそれは悪いよ……俺は全然平気だからさ」
そう言い返せば、戦士が静かに立ち上がり、ジト目を向けて俺の前にしゃがみ込む。
「そんな目の下に酷い隈つくっといて、説得力なさすぎですよ。勇者さん」
うう……。
「つかオメーが万全じゃないと、明後日の戦いでオレらが困るんだっつの!」
そっ、それはそう……。
弓使いのダメ押しに、返す言葉がなくなってしまう。
「何かあったら、僕たちが起こします。ね、信じてください」
戦士がニーッと笑い、毛布がふわりと肩にかけられる。
焚き火の熱とは違う、柔らかな温もり。
勇者としてリーダーとして、これ以上仲間に弱い姿を晒す訳には、と頑なだった心がそこでようやく折れ曲がる。
「わかった。頼む」
毛布を引き寄せ、火から少し離れて体を横たえる。
すぐに眠気が覆い被さってくる。
心地よいまでに意識が緩やかに遠のく。
こちらを覗き込む二人の静かな眼差しにひどく安心を覚えて、俺は暖かく漂うシチューの香りに抱かれたまま目を閉じた。
大丈夫……。
大丈夫だ……きっとこの先も。
誰一人、欠ける、ことなく。
それが――、
指の隙間からこぼれ落ちる砂みたいな願いであることを、知っていたはずなのに。
それでも俺は、性懲りもなく。
眠りに落ちるまで、繰り返していた。




