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眠れん。
南の都での療養を終え、北へ向かってから十日。
傷は塞がったのに、気がつけば、もう三日もまともに眠れていない。
どうせ眠れないのなら、と今夜の夜番を買ってみたものの、こうして独り、焚き火の炎を見ているうちに、思考は落ち着くどころか冴え渡り、不快なほどに尖り出す。
明後日には、魔王軍の最高幹部である五将の一人と接触する。
それを考えると、手の内が汗ばみ、震えた。
はあ……怖いな。
怖いのは、自分が死ぬことじゃない。
ほんとうに、怖いのは──。
その言葉を胸に沈めて、溜め息でごまかす。
こんな夜。幾つも越えてきたはずなのに、いまだにこうなる自分が情けない。
腰ベルトの聖剣を撫でる。
なぜお前は、こんな神経質で頼りないやつを勇者に選んだ……。
勇者っていうのはもっと心身ともに屈強な奴が向いてるんじゃないのか。
話ができるのなら、聞いてみたいもんだ。
眼前の焚き火がパキッ、と軽く弾けた。
湖畔の野営地に梟と虫の声、不規則な火の音だけが響く。背後のテントには眠った仲間たち。
膝に肘をつきながら、火の揺らめきをじっと見つめる。
……考えるな。
手の震えを抑えるために、俺は荷物を漁り出す。
こういう時、何かしていないと落ち着かない。
食材袋を開けると、乾燥野菜の束、それから、昼間に弓使いが狩ったウッドベルラビットの肉、道中行商人から買ったミルクと……パンと調味料。
「……シチューでも作るか」
丸太から腰を上げ、湖から水を汲み上げ、すぐに調理に取り掛かった。
鍋に水を張って火にかけ。
沸騰する間に、ナイフで食材を切り分けていく。
少し多めに作って朝飯にしたらいいな。
……ん?
見間違いかと思ったけど、火の向こうの草むらがぼんやり青く光っている。
目を凝らすと、ぽつ、ぽつ、と同じ光があちこちに。
近づいてみると、小ぶりのキノコが群れていた。傘全体が月の光みたいに淡く発光している、幻想的なこれは……。
「月光キノコ、……か?」
別名ルナマッシュとも言ったか。
日中はほかのキノコと見間違えるほど目立たぬ外見だが、夜になると傘が月の光を吸収して光り出す。非常に珍しいとされるキノコで、毒性はなく、煮込み料理に使うと絶品らしい。
昔、行商人が希少な高級食材と言って驚くほど高値で売っていたのを思い出す。
手に入りにくいうえに高価な食材というのは、……試してみたくなる。
発光するシチューっていうのも好奇心を掻き立てられて、俺は偶然の出会いに感謝して、いくつかプチプチと摘み取ってみる。
くつくつと歌い出す鍋に、食材を手際よく入れ、一口大に切ったウッドベルラビットの肉に塩胡椒をまぶして、自生していた香草適量をフライパンで軽く炒め、続けて投入。
野菜とミルクと、染み出した肉汁が一体となって、空腹を誘う匂いに変わる。
……おお、これだよ、これ。
音と匂いの魔法で、心のざわめきが少しだけ凪いでいく。
採取したばかりの月光キノコを適当にカットして浮かべ、さらに一煮立ち。
青白い光がミルクの中で淡く揺れて、夜の湖に月が沈むみたいだった。
鍋の煮え立つ音。
夜風が頬をなで、少しだけ冷えるも、すぐにシチューの匂いと焚き火の揺らめきが体を温める。
味見して、塩をひとつまみ。味がまとまる。
「うん、上出来」
暗闇に灯るような幻想的な月光キノコのシチューの完成だ。
ほうっと輝くそれを木皿によそい、湯気に息を吹きかける。
月光キノコの光がスープの表面で波打つ。
匙を口に運ぶと、熱が舌を撫で、喉奥までゆっくり温める。
しんなり野菜、ミルクの優しい味。シチューといったらこれだ。ほっとする。
静かな野営の夜には、ちょうどいいじゃないか。
じっくりと煮込んだ肉はやわらかく、後味もさっぱりしていて質素なスープによく馴染む。
共に炒めた香草の香りが、森を駆けたウッドベルラビットの記憶を蘇らせるようだ。
続いて、星屑に似たそれをひとかけら、匙に乗せて喰む。
月光キノコ──ぬめりを帯びていて、意外と歯応えがあるな。
んん……。この尖りのない風味……とろりとしたコク。
確かに美味い……。でも、この味、なにかに似ている。熟成された……これはまるで。
しばらく確かめるように舌で転がしてみて、しっくりきた。
……チーズだ。
チーズの味に似ている。
もう一度試したくて、再び口に含んでみる。
思った通り確かにチーズのそれだが、今し方食べた一口よりも何故か塩気があり、コクが深い。
王都で食べた濃厚なチーズフォンデュを思い出す。
んん? と首を傾けもう一口。
すると今度は、濃厚さからだいぶ離れたほのかな酸味、フレッシュ感……。
サラダの上に散らす、山羊の粉チーズに近い感じ。
このキノコ、一株ごとに味が変わるのか……?
浴びた月光の量や育ち具合か。定かではないが、口にするたびになんかちょっと楽しい。
風が運ぶ森と土の香りすら、調味料となって夜更けの食事を際立たせてくれる。
熱いスープをまた一口啜り、ひとしきり腹に納めると、匙を皿に沈め、脱力しながら息を吐く。
「…………」
夜食なんか食べたら眠くなるかと思ったが。
全くそんな心配いらなかったな。
とはいえ、連日の不眠で流石に目元が重い。
指先で硬くなった目蓋を揉むと、その裏に頭の隅に追いやりたかった光景が浮かんでくる。
ああ……せっかく、気を逸せていたというのに。
――三日前の記憶が勝手に蘇ってくる。




