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給仕の少女が、黒いスキレットを俺の前に置いた。
重みのある鉄皿から、誘惑するような湯気が舞う。
殻を割られたサンドクラブの身が惜しげもなく贅沢にスキレットを埋めている。
あの黒く硬い鎧の中に、こんなにずっしり、ぷりっとした肉が詰まっていたなんて。
さらに、大ぶりなガーリックの実、数種のきのこと、根菜、鮮やかなゴールドパプリカ。
ぐつぐつ煮え立つオイルはスパイスとハーブで香り付けされ、澄んだ黄金色だ。
続けて、カウンターに置かれたのは、六枚切りの固め焼きのバゲットと小皿のピクルス。
それから、素焼きの小鉢がひとつ添えられている。
濃い灰色をしたペースト状のこれは――蟹味噌?
「味噌はお好みで。あとで混ぜてもいいし、付けて食べてもいいよ」
少女はそう言って、また人混みの奥へ戻っていった。
なるほど。味変か。いいな。
「いただきます――」
まずは、何も足さずに、
バゲットを一切れ取り、スキレットの中に三分の一ほど沈める。
じゅわっと音を立てて、熱いオイルが染み込む。
一口でいく。
まず、がつんと殴るようなガーリックの風味。続いて、オイルに溶け出した具材のコクと、バゲットのほのかな甘みが手を取り合う。
ふわっとした中身と、縁のカリッとした食感が楽しい。
っう〜〜! これだけで、バゲット五本は食えそう。
油断すると、そのまま残りのバゲットを平らげてしまいそうで、いったん落ち着くために、俺はスプーンを握り直した。
アヒージョの主役、サンドクラブの身。
オイルを纏い、紅白色に美しく色づいたそれを、スプーンに乗せ、オイルが滴り落ちる前に口へ運ぶ。
その肉厚な身を噛み締めれば、殻の内に閉じ込められていた潤沢な旨味が解き放たれる。
剣で叩けば火花が散るような、あの魔物が――油で煮込むだけでここまで様変わりするとは。
続けて、ガーリックとゴールデンパプリカ、サンドクラブの身を贅沢にバゲットに乗せ、かぶりつく。
思わず唸る、会心の味が口の中で完成する。
いい、いいぞこれ。
具材の組み合わせ次第で何通りもの味が生まれる楽しさ。さらに、小皿のピクルスを合間合間に摘むことで、口の中がさっぱりとして飽きることなく食べ続けられる。
そして、まだ手をつけていない小鉢の蟹味噌。
身がこんなに美味くて味噌が不味いはずがない――!
「――それにしても、勇者様はいつになったら魔王をぶっ倒してくれるんだろうなあ」
小鉢に伸ばしかけた指が、ぴたりと止まる。
酔いに溶けきらない誰かのぼやきが、やけに耳に残った。
少し離れた卓で、数人の冒険者が杯を傾けながら、不満混じりに口を動かしている。
このまま戦いが続けば、故郷の国や村が被害を受けるんじゃないか。
魔族との戦は長い。早く平和な世の中にして欲しい。
「先代の勇者と同じで、今回の勇者もそのうち魔王に倒されるんじゃないか」
そんな言葉が次々と酒場の空気を塗り替えていく。
俺は視線を落とし、スキレットの中で静かに揺れるオイルを見る。
さっきまで、あんなに美味かった料理が、静かに味を無くしていく。
――気持ちは分かる。
俺たちの戦いは地道で、その活躍は言ってしまえば地味なものかもしれない。
人々の知らぬ場所で戦っているとはいえ、彼らが抱く目の前の不安や恐怖まで消し去れるほど、俺は勇者として有能ではない。
俺は何も言わず、スプーンの上のサンドクラブの身を見つめる。
「――何も知らないくせに偉そうに言ってんなよ!」
目の醒めるような怒号。
剣を背負った青年が、杯を勢いよく置いて立ち上がる。
まだ使い込まれていない革鎧に、グローブ。擦れの少ない鞘。どう見ても新米の冒険者だ。
「命も懸けずに安全圏で魔物狩ってるだけの連中にはわからねえだろうけどな。数ヶ月前の北方戦線、勇者さんが魔王軍を止めなきゃ帝都はとっくに陥落してたんだ! そうなりゃ、ここ(南大陸)だって今頃は戦場になってたんだぞ!」
ざわり、と周囲が静まる。
「それに……戦が長引いてるのは、勇者さんのせいじゃねえ。俺ら人類全体の力不足だ! 勇者さん一人に都合よく責任押し付けてんなよ!」
その言葉は拙くて、少し青い。
けれど、真っ直ぐだった。
「……ちっ。勢いだけの若造がよ。酒が不味くなるぜ……」
ぼやいていた冒険者たちが居心地悪そうに酒を再び飲み始める。
「おい。お前、熱くなりすぎだぞ」
それと同時に、青年の仲間だろう数人が彼を椅子に座らせようと声を潜めて衣服を引っ張る。
「だって許せねえだろ! あんな言い方!」
「あーあー、わかった。わかったから座れって」
「ったく、君の勇者さんリスペクトは相変わらずだねー」
勇者……さん、リスペクト……?
……俺のこと……?
目を丸くしながら、アヒージョの続きを口に運ぶ俺。
小鉢に入った蟹味噌を、スプーンで落とし、オイルに溶かす。
澄んだ黄金色に、蟹味噌の薄い灰色が溶け込み、表面がわずかに濁ると共に、香りが一段深くなる。
残り少なくなったバゲットを味変したそこにたっぷり染み込ませ、齧る。
くあああ……反則だろ、これ。
アヒージョの味に慣れた舌が、濃厚な蟹味噌との新たな出会いに歓喜している。
最後のバゲットに、蟹味噌オイルと絡まった具材をすべて乗せる。
さらに、小鉢に残った味噌も塗りつけて味わう。
蟹味噌特有の塩気と、わずかな苦味、まろやかさ。
それが、ワンテンポ遅れてガーリックのガツンとした風味と重なり合う。
トドメとばかりに、色彩に溢れた具材それぞれのエキスが口の中で混ざり合う。
最後の一切れまで、胃袋を掴んでいく。
はあ……美味かった。ご馳走様。
噛み締めて余韻に浸っていると、背後の会話が再び耳に入り込んでくる。
新米の冒険者は、もうだいぶ酔いが回っているらしい。
さっきまでの鋭さは薄れ、照れた調子で仲間たちに熱く語っている。
「――その勇者様武勇伝、何度目なんだよー」
「いいだろぉ! 何度したって! だってよお! 魔物の群れを蹴散らす鋭い剣捌き、風のような身のこなし、翻る外套、返り血を浴びた精悍な横顔……もうっ、全てにおいて格好良すぎるだろぉおがああああ!」
周囲から、呆れ半分、苦笑い半分の笑いが巻き起きる。




