2-28 勇者の鎧
「……サイラス、あなたは私のことを忘れてしまったのですか?」
フルリーヌの顔が曇る。悲しげにサイラスを見つめたまま、抱きついていた身体からゆっくりと離れた。
「フルリーヌさま。サイラスは記憶喪失なんだよ」
サイラスがどう答えようか迷っていると、カレラが申し訳なさそうに、フルリーヌに説明した。
「記憶喪失!? 四百年もここであなたを待っていたというのに、なんということでしょう。あなたはパナメラのことも、ニーナのことも忘れてしまったのですね……」
(この人も、ずっと僕のことを……)
「すみません。僕はここに、勇者の鎧を手に入れるために来ました。四百年前のことは覚えていないけど、あなたに会えたら、三種の神器を守ってくれた昔の仲間のことを聞きたいと思っていました」
「そうですか。ええ、後でゆっくりと話しましょう。でも、まずはこれを」
フルリーヌが指し示した壁は、小さな祭壇のようになっていた。そこには爽やかな青い色の胴鎧だけが置かれている。
「あれが勇者の鎧……」
光を反射して輝く美しい鎧に見惚れて、カレラがつぶやいた。
鎧は古めかしくてシンプルな形をしている。胸とお腹だけはなんとか守れるが、肩や腕を守るものはなかった。
「私はあなたにこの鎧をわたすために、ずっとこの森で待っていたのですから」
鎧の近くに立ったフルリーヌが、その表面には触れずに手をかざした。
「勇者の鎧は、ありとあらゆる魔術を反射して相手に返します。そして着用する者の神聖術の能力を高め、神の雷を操るスキルを与えます」
「勇者の盾が物理攻撃を反射して、鎧が魔術を反射するのか……」
「にゃ、それはすごい。三種の神器を装備したサイラスは一騎当千、画竜点睛だね!」
「よく使ってるけど、なんでカレラは“四字熟語”に詳しいの?」
サイラスが前から気になっていた質問をぶつけた。
「四字熟語? なにかなそれは」
「聖語ですね。創造神ソラが世界に伝えて、女神マレスが気に入って使うようになったという」
「そうそう、マレス族では聖語をよく使うんだよ。人族はあんまり使わないのかもね」
(四字熟語を聖語って呼ぶんだ。なんか大げさだな)
そんな話をしながら、サイラスは勇者の鎧の前まで進み出た。入れ違うようにフルリーヌはカレラの近くまで下がる。
鎧から眩い光があふれ出した――。
白く光る鎧を見て、サイラスは勇者の盾と剣に最初に触れたときのことを思い出した。
「あの、フルリーヌさん。僕が勇者の盾と剣を手に入れたとき、どちらもスキルが発動してしまったんです。ここで僕がこの鎧に触れたら、またスキルが発動してしまうかもしれません。危険ではないですか?」
緑色の瞳をしたフルリーヌは、振り返ったサイラスに笑顔を向けた。
「四百年前のあなたは、三種の神器は生きていると言っていました……」
「神器は生きている!?」
「ええ、神器はその力を手に入れようとする者を試すのです。触れるときに、精神力でねじ伏せなさい。そうすれば、スキルは発動しません」
「精神力でねじ伏せる……そんなことが……」
サイラスは自分の手のひらに目を落とした。
「勇者サイラス。あなたは勇者のなかの勇者です。新たなスキルを生み出し、改変までしてみせる、神のごとき力があるのですから。自信を持ちなさい。神器を支配するくらい、あなたにとってはなんでもないことです」
優しく微笑むエルフ族の女賢者の言葉に背中を押されて、サイラスは青い鎧に右手を伸ばした。手のひらが鎧の表面に触れる。
どくんっ――。
心臓が跳ね上がった。どす黒い思念のようなものが鎧から伝わってきて、サイラスは頭痛をこらえた。
(ぐっ……僕に従え)
サイラスは白く光る鎧をにらみつけ、あらがうように心のなかでそう強く念じる。
しばらくの間、鎧に触れたままサイラスは動かなかった。やがて、頭のなかで暴れていた邪悪な思念は消え、サイラスは鎧から手を離した。
『休眠していたユニークスキル《神の怒り(ケラウノス)》を有効化します。狙った相手に、空から無数の雷を降らせることができます。雷の数と威力は使用者のレベルに比例します……』
いつもの声が頭のなかで聞こえた気がした。だが、スキルは発動しなかった。
「やったね、サイラス!」
カレラが後ろからサイラスに抱きついた。
(カ、カレラ!?)
サイラスの頬が赤くなる。
「こほん。さっそくですがサイラス。その鎧を身につけて、魔獣退治を手伝ってきてください。どうも今夜は数が多いようですから」
「ああ、そうだ。そのために僕たちは森に入ったんだった」
カレラを引き剥がし、サイラスが真面目な顔で答えた。
「ところで、なんでそんなにたくさんの魔獣が森を襲ってるんですか?」
カレラも真剣な表情に戻って、フルリーヌに尋ねる。
「エル・フの森は、この世界の大気中のマナを吸って地下に還しているのです。マナは精霊術、神聖術、魔術の源ではありますが、強すぎる力は破滅につながりますから」
「森がマナを吸って地下に還している……でも、それと魔獣が森を襲うのと、どういう関係があるんですか?」
「魔獣は、森に集まったマナに引き寄せられているようなのです。でもそれだけではなくて、“火の森”が消失してから、魔族たちはエル・フの森自体を攻撃して、人界のマナを回収させないように……人界のマナを濃いままにしようとしているようにも思えます」
「人界のマナを濃いままに!?」
サイラスは青い胴鎧を身につけながら、思わず大きな声を出した。
「ええ。人界のマナが濃ければ、強力な魔術を行使することができます。なにより、マナの濃い魔界に近い環境になるのでしょう。でもこの話も後にしましょう。まずは森の木を守るために、エル・フの戦士たちに加勢してください。いま三十人ほどの精霊術士たちが魔獣と戦っているはずです。彼らだけでも後れを取ることはありませんが、森の被害を最小限に抑えるために、あなたの力を貸してください。サイラス」
「わかりました」
サイラスは力強くうなずいて、カレラに目配せした。カレラはサイラスに笑顔を返した。
「ああ、それから。神の雷のスキルで森の木を焼かないように気をつけてくださいね。あなたのスキルは強力すぎます。あなたならスキルを自由に改変できるのですから、力を抑えて敵だけに攻撃を当てるようにすることも容易でしょう」
部屋を出ようとするサイラスたちに、後ろからフルリーヌが声をかけた。サイラスは足を止めてフルリーヌに一礼し、壁と同じ色の扉から外に出ていった。
◇
サイラスとカレラが扉から出ると、そこは暗い森のなかだった。背後を確かめたが、自分たちが出てきたはずの場所には、すでに建物も扉もなかった。
(消えた? さっきの部屋はいったい……)
「サイラス!」
呆然とするサイラスに、カレラが警戒の声を上げる。近くから何者かが争い合う音がする。人の叫び声と魔獣の吠える声だ。サイラスにもはっきりと聞こえた。
「戦いの音が近い。たぶんまだ五十匹くらい残ってる」
戦いに備えて、カレラはマレス族のために打たれた特別に長い太刀を鞘から抜いた。
サイラスには試してみたいことがあった。目をつむって意識を集中する。
「サイラス?」
突然目をつむって動かなくなったサイラスに驚いて、カレラはその手をつかんだ。
「カレラ、ちょっとだけ待って。実験してみたいんだ」
「実験?」
カレラはサイラスがなにをしたいのかわからなかったが、太刀を構えたまま黙って待った。
サイラスは上空に雷の力が集まるのを想像した。充分に溜まったら、それをぎゅっと凝縮していく。
次に、凝縮したものが無数の光の槍に形を変えるのを思い描く。
槍は雷でできているけれど、魔獣を貫いたら、そのまま消えて森の木を焼いたりはしない。
頭のなかでそこまで想像すると、サイラスは力を解き放った――。
『ユニークスキル《神の怒り(ケラウノス)》を発動します……』
雷鳴が轟き、空から無数の光の槍が地上に降り注いだ。
エルフ族の精霊術士たちの前で、槍は正確に魔獣だけを貫き、その生命を奪っていく。
一瞬だけ明るくなった森は、ふたたび暗闇と静寂に包まれた。
サイラスの後ろから、ぱちぱちと手を叩く音が聞こえてきた。




