2-27 フルリーヌ
サイラスたち一行は、風の森の北側に沿って街道を東へと進んだ。五日後には、予定通りエルフの集落の入り口があるといわれている辺りまでやってきていた。
道中、魔獣に襲われている商人たちを助けたり、泊まった宿でエミルとラツィが言い争ったり、といった小さな出来事はあったが、おおむね順調な旅路であった。
そろそろ日も落ちかけてきたところで、サイラスたちは森の外側で野営の準備を始めることにした。魔獣が出る夜の森に入るわけにはいかない。
「ねぇ、ラツィ」
近くの川までふたりで水をくみに出たところで、サイラスはラツィに話しかけた。
「……なんでしょう、我が主さま?」
「ラツィは魔王国リアルジンの魔王について、なにか知ってる?」
小さな身体で水の入った大きな鍋を運ぶ魔族の美少女が、隣を歩くサイラスを見上げた。
「……実際に見たことはありません。ですが、魔王リリアはセフィのものと似た凍結のスキルを持っていると聞いています。ただし、相手は魔王ですから、その威力は比べることもできないくらいに強力なものだと思います。人族の脳や心臓のような一部だけを瞬時に凍らせたり、ひとつの街全体を凍らせたりすることもできるそうです。魔界では銀氷の魔女などと呼ばれて恐れられています」
「街全体を……それはすごいな」
(そんな敵に、どうやって近づけばいいんだろう)
サイラスは顔をしかめた。
「……強力なスキルではありますが、主さまにとっては相性のいいスキルではありますね。主さまは凍結や燃焼のスキルを無効化できるようですから」
話の途中で、ふいにラツィは立ち止まった。凛とした金色の瞳がサイラスに向けられる。
「……主さま。たとえ相性がいいとは言っても、リリアは魔王ですから、強力な魔術を操りますし、凍結のスキル以外にも複数のスキルを持っていると思います。魔王は魔将よりもずっと恐ろしい存在です。くれぐれも、油断しないでください」
サイラスは、自分のことを真剣に心配する雪のように白くて、人形のように美しい顔をまっすぐに見つめ返した。
すると、ラツィはぽっと頬を赤くして、サイラスをひとり残し、早歩きで仲間たちのところへ戻っていってしまった。
「ラツィ……?」
(また逃げられた。最近、目が合うとすぐこうなるんだよな……なんでだろう)
すこしの間あっけに取られていたサイラスだったが、すぐに燃えるように赤い髪をした魔族の少女の背中を追いかけた。
◇
「サイラス、森の奥のほうからなにかが戦ってる音がする。すごく数が多そうだよ」
みんなで夕食の後片付けをしているときに、聴覚に優れた猫人族の女剣士カレラが、突然、遠くの戦いの気配に気がついた。
「エルフ族と魔獣が戦っている。正確な数はわからないが、百体以上はいるようだ」
ラツィの肩にとまった黄金のフクロウ――パールがスキルを使って状況を報告する。
「はう。百体も魔獣がいるんですか! こっちには来ませんよね?」
エミルが青い顔をして、震える声でパールに尋ねた。
「ああ、森のかなり奥だ。魔族はいないみたいだが、どうやら森のなかに魔宮を開いて魔獣を送り込んでいるようだ。リアルジンかアルージュの攻撃かもしれない」
「僕と夜でも目が見えるカレラのふたりで森に入ってみよう。カレラ、音のするほうに案内してくれるかな?」
「はいにゃん」
猫人族の女剣士が、サイラスにウィンクして愛刀を背負った。
「ちょっと待ってください、サイラスくん! 森のなかには百体以上も魔獣がいるんですよ! なんでそんな危ないところに行くんですか!?」
「僕たちは風の森の賢者フルリーヌに会いにきた。その風の森が魔獣に襲われているんだ。助けにいかなくちゃ」
サイラスは、おびえた顔をするエミルに優しく微笑んだ。
エミルはサイラスのことが心配だったが、それ以上は引き留められなかった。困っている人がいたら、サイラスには放っておくことなどできない。エミルにもそれはよくわかっていた。
「わかりました……でも、どうかお願いですから、無理はしないでください」
「ああ、大丈夫。無理はしないよ」
「……主さま、わたくしたちもいっしょに行きます」
ラツィも心配そうに声をかける。
「いや、ラツィのスキルだと森を燃やしちゃうかもしれないし、暗い夜の森ではぐれるのは危険だから、少人数のほうがいい。今回はここで待っていてほしい」
(それに、エルフ族は排他的な種族だって話だ。ラツィたちが魔獣をけしかけた魔族だなんて勘違いされたら面倒なことになっちゃうからな)
「お気をつけてくださいであります、ご主人さま」
「ありがとう、マルバン。ここも安全とは限らないから、エミルのことを頼んだよ。それじゃあ、行ってくる!」
◇
サイラスとカレラのふたりは、慎重に夜の森に足を踏み入れた。しかし、気がつくとそこは暗い森のなかではなかった――。
一瞬、眩しさに驚いてサイラスは目を閉じた。
目を開くと、そこは柔らかく暖かな光に包まれた部屋のなかだった。壁は木でできていて、十人くらいは入れそうな広さがある。
サイラスの隣でカレラが太刀の柄をつかんで警戒している。その視線の先にひとりの女性が立っていた。
どことなく神秘的な雰囲気を感じる。緑のローブを羽織り、腰まで伸びた金色の髪が、部屋の光を受けて若葉の色にゆらめいていた。彼女はサイラスに気がつくと、音もなく近づいてきて――。
ばちんっ!
いきなり華奢な右手で、少年の頬を思いっきり張った。カレラは愛刀の柄を握り直したが、女性に敵意がないと感じ取ったのか、動きを止めた。
(!?)
サイラスはなにが起こったのか理解できずにいた。金髪の女性はもう一度、今度は軽く触るような強さで頬を叩くと、そのまま抱きついてきた。
「ああ、サイラス、サイラス。やっと四百年前の友との約束が果たせました。女神の予言通り、ちゃんと目覚めたのですね」
涙で潤んだ女性の緑色の瞳が、サイラスを見上げてくる。
(この人がエルフ族の賢者。僕の昔の仲間……)
「あの、すみません。もしかして、あなたが風の森の賢者フルリーヌさんですか?」
抱きしめた少年の言葉に、金髪の女性がきょとんとした顔になった。




