2-26 もっと積極的に
朝起きると、ひどい頭痛がした。ゆうべ、なにか大切な夢を見たような気がするのだが、どうしても思い出せない。サイラスはラグーツの街を出てから続けている日課をこなすために、こめかみを押さえて起きだした。
まずは素振り。ひと振りひと振り、カレラが丁寧にチェックする。ただ振ればいいというものではない。獣神流の教えの通り、力まず、それでいて剣の先までちゃんと腕の力が乗るように、できる限りの最速で振り下ろす。
素振りが終わったら、木刀での手合わせ。習った形の通り、実戦できちんと剣が振れるように、とにかく繰り返す。これを朝昼晩、食事の前にこなすのだ。
サイラスは、スキルで身体能力を底上げできるし、相手の動きを事前に察知することもできる。だが、スキルなしの純粋な剣技なら、剣聖の里で長い間修行を積んできたカレラには遠くおよばない。
「にゃはは、やっぱりサイラスは筋がいいね。これなら、すぐにスキルなしでも魔族を倒せるようになるんじゃないかな」
サイラスの剣を受けながら、カレラが笑った。
「カレラの教え方が上手だからだよ」
「ふふふ、もっとほめていいよ。でも、まだ速く振ろうとして無駄な力がかかってるときがあるから、もっと自然に、無意識で振れるようになるまで鍛錬だね。今朝はここまでにしようか」
早朝とはいえ、トロワール大公国南部の初夏の気温は高い。ふたりはすでに汗だくだった。これから今日も一日歩くのだ。疲れすぎない程度に、稽古は切り上げないといけない。
手合わせが終わるすこし前から、ふたりの稽古を見ていたエミルが白い布を持ってやってくる。
「お疲れさまです、サイラスくん。はい、カレラも」
「ありがとう、エミル」
サイラスとカレラは、受け取った布で額の汗をぬぐう。
「にゃは、ボクはお邪魔みたいだから、あっちに行くね~」
カレラが茶化すように言って、仲間たちのほうへ戻っていく。
「朝食の用意ができました。冷めてしまう前に召し上がりませんか? セフィちゃんとマルバンさんは、もう食べはじめてますので、サイラスくんの分がなくなっちゃうかもしれませんよ?」
エミルが深い緑色の瞳で、悪戯っぽく笑いかけた。
「それじゃ、なくなる前に急いで戻らないと。僕もお腹ぺこぺこだよ」
サイラスもエミルに笑い返す。
(セフィは小柄なのに意外と食いしん坊なんだよな。食事のときにいつもセフィに変わってたら、ラツィも太ってしまうんじゃ……)
そんなことを想像して、サイラスは自然と足が早歩きになった。
仲間たちのところまで戻ると、セフィとマルバンはすこし離れたところに座って、ルナと話しながら食事をとっていた。
ひと足早く戻っていたカレラが、自分の分のスープをよそってから、マルバンたちのほうへ歩いていく。ちらりとこちらを振り返ったカレラの顔は、なぜだかニヤニヤしていた。
(なんだろう、あの顔)
カレラの後にエミルが自分の分とサイラスの分のスープを鍋からよそった。ちょっと深いスープ用の皿をふたつ両手に持って、微笑みながらサイラスのほうに歩いてくる。
サイラスは鍋の近くの木の根元に腰かけると、エミルから自分の分の皿を受け取った。エミルもその隣に腰かける。
「剣聖の里でたくさんいただきましたけど、毎日お魚だとさすがに飽きてしまいますから、今日はラグーツで手に入れたイノシシのお肉を使ってみました」
エミルが自分の皿からスープをスプーンですくい、サイラスの顔の前に持ってくる。
「はい、あ~ん」
「エ、エミル!?」
「もう熱くないと思います。サイラスくんの感想が聞きたいんです。はい、あ~ん」
(えっ、どういうこと!?)
とサイラスは思ったが、ぱくりとエミルの差し出したスプーンを口に含んだ。いつも通りの優しい味だが、エミルの料理は食材を変えただけでいつも同じというわけではない。毎回、ハーブや香辛料をうまく使って、飽きさせないような工夫があった。
(やっぱりエミルは料理が上手だな。それに可愛い)
「うん、今日も美味しい」
心のなかではもっといろいろと感想が浮かんでいるのだが、サイラスの口から出たのはそれだけだった。
「よかった。そう言っていただけると、作りがいがあって嬉しいです」
きらきらと輝く緑色の瞳を細めて、エミルがほころぶ花のような笑顔になる。
そのまま、エミルはサイラスに食べさせたスプーンで自分のスープをすくい、珊瑚のような桃色の唇に持っていって、ひとくち食べた。
「うん。ちゃんとお肉もやわらかくなってますね。けっこう硬いお肉ですこし臭みもあったので、心配だったんです」
(これって、“間接キス”……!?)
何事もなかったかのように微笑むエミルの前で、サイラスだけが妙に意識してしまい、顔が赤くなった。昨晩の焚き火の前での出来事を思い出してしまったのだ。
エミルの唇を見つめて、慌てて首を振る。
サイラスは、エミルのほうを見ないように皿のなかをじっと見つめて、黙々とスープを口に運びはじめた。
「きゃあっ!」
エミルの悲鳴でサイラスが顔を上げると、ふたりの目の前に腰に手を当てて仁王立ちするラツィがいた。
「……こ、こ、この飯炊き女! は、早く出発の準備をしなさい! こんなところで、いつまでもイチャイチャしていたら、お、置いていきますよ!」
金色の瞳から赤い火が噴き出しそうなラツィを前にしても、エミルはまったくひるまずに、大きな宝石のような目で魔族の美少女をにらみ返した。
「イチャイチャなんてしていません! そんなに早く出発したいのなら、ひとりで先に行けばいいんじゃないですか? わたしは、サイラスくんが食べ終わってから片付けをして、いっしょに出発しますから。サイラスくん、ゆっくり食べてくださいね。慌てて食べるのはよくないですから」
「……お、おまえはなんて命知らずな小娘なのでしょう。魔王アノンの娘のこのわたくしに、そんな生意気な口をきくなんて……!」
ラツィはむうと唸って耳まで真っ赤になったが、それ以上はなにも言わず、ずんずんと大股でマルバンたちのほうに帰っていった。
マルバンの隣に戻って、今度はカレラにぷりぷりと文句をつけているラツィを、サイラスはあっけに取られて眺めた。
(なんだったんだろう? ラツィは最近、すこし変だな……。大丈夫かな)
◆
朝食の後片付けをしているエミルのところに、にんまりしながらカレラがやってきた。
「にゃはは。いや~よかったよ、ナイスファイト。ナイスファイトだったよ~」
「わ、わたしはべつに……争うつもりなんて……」
「でもさ、向こうはエミルの邪魔をする気まんまんなんだから、エミルだってちゃんとやり返さないとね~。それに間接キス? サイラス、真っ赤になってたね。ほんとに勇者さまはうぶなんだから。こっちまで恥ずかしくなっちゃったよ~」
「はう、間接キス……?」
にゃはは、と笑うカレラの前で、エミルは小首をかしげ、きょとんとした顔をする。そして、先ほどの出来事を思い返し――
サイラスにスープを食べさせたスプーンで、自分もそのまま食べたことに気がついて、エミルははっとなった。
エミルの顔がみるみる赤くなっていく。
(にゃんと、わざとじゃなかったのか……エミルって意外と天然の小悪魔なのかもね。自分の可愛さにも、ぜんぜん気づいてないみたいだし。こりゃあ、サイラスも苦労するなあ)
「それじゃあ、ボクはエミルを応援してるからね! その調子でこれからもがんばってね~」
カレラはうつむくエミルの背中をばんばんと叩いてから、その場を離れていった。
エミルは、自分のスプーンでサイラスにスープを食べさせたところをラツィに見られて、それがイチャイチャしていると思われたのだと、いまさらながらに理解した。
エミルは、川の水で洗った鍋と皿を布でふいて、魔道具のリュックにしまいながら、誰にも聞こえないような小さな声でつぶやいた。
「もっと積極的に……」




