2-23 ラツィの気持ち
「……我が主さま」
カレラとウルスが倒した魔族の魔晶石を拾い集めていたラツィが、サイラスのところに戻ってきた。
「さっきはすごかったね、ラツィ。本気を出したら、ラツィってめちゃくちゃ強いんだね」
「……いいえ、我が主さま。わたくしなんて、主さまの足元にも及びません」
(やっぱり、第四魔将っていうのは伊達じゃないんだな)
「……それで、あの……主さま」
なぜか、ラツィはサイラスの前でもじもじしている。
「どうしたの、ラツィ? 今朝からちょっと変じゃない?」
「……いえ、マルバンから聞いたのです。その……マルバンがベタクロフを倒してほしいと、主さまにお願いしたと……」
「ああ、あの話か」
(マルバンが自分の生命と引き換えに魔晶石を差し出すと言ったときは、さすがにびっくりした)
「うん、確かに約束したよ。ベタクロフっていう魔族は僕が必ず倒す。ラツィたちのことも守るって」
「……あ、主さまはそれでいいのですか? わたくしたちは、主さまにあいつを倒してほしくて、主さまに近づいたのですよ。わたくしたちは、主さまを騙していたのです」
魔族の美少女の金色の瞳が、涙であふれそうになっていた。
「だって、そいつはひどい奴なんだろう? ラツィたちが困っているのなら、力になりたいよ。もう仲間じゃないか」
サイラスはすこし苦笑いした。
「でもまあ、ラツィが倒せないような相手なら、相当強いんだろうから。僕ももっと頑張らないとね」
(マルバンに土下座されて安請け合いしたけど、自分にベタクロフが倒せるのか、正直ちょっと不安だったりする……)
そんなサイラスの顔を、ラツィは大きく目を見開いて見上げた。こらえていたものが、ぽろぽろとこぼれ落ちる。
「……主さま、ありがとう……ありがとう……う、うわぁあん」
ラツィはサイラスに抱きついて、声を出して泣いた。
(ラツィ、ずっとこらえてたんだな)
カレラはなにも言わずに、エミルたちを迎えにいった。
(気を利かせてくれたのかな。優しいなカレラ)
サイラスは自分の胸で泣きつづける魔族の少女を見て思う。
(人間となんにも変わらないじゃないか)
(なぜ、人間と魔族は争うんだろう?)
(いつか、人間と魔族がわかり合えるようになって、いっしょに仲良く暮らせればいいのにな)
そう思いながら、サイラスはラツィの頭を優しくなでつづけた。
ふと、ラツィの肩が、ぴたりと止まった。
自分がいま、なにをしているのか。誰の胸に顔を埋めているのか。ようやく気がついたらしい。
「……っ!?」
ラツィは、ばっと飛び退いた。白い頬が、髪と同じくらい真っ赤に染まっている。
「……い、いまのは、違うのです! め、目にゴミが入っただけなのです!」
「う、うん……?」
「……主さまは、なにも見ていません! いいですね!?」
言い捨てて、ラツィはくるりと背を向けた。赤いツインテールが、ぶんっと音を立てそうな勢いで揺れる。
(やっぱラツィ、ちょっと変かも……?)
鈍感な勇者には、少女の心は、まだすこしも見えていなかった。
◆
(いったい、わたくしは、どうしてしまったというのでしょう)
ラツィは自分の感情が理解できずに、混乱していた。
(あれから主さまに見られると、なぜだか恥ずかしい)
頭の奥が、もやもやする。それなのに、目はずっとサイラスのことを追いかけてしまう。
『ベタクロフっていう魔族は僕が必ず倒す。ラツィたちのことも守る』
サイラスの言葉を思い出すと、胸がドキドキして顔が熱くなるのがわかる。
サイラスは、ラツィたちのことを守ると言ってくれた。ベタクロフのことも倒してくれると約束してくれた。ずっと心に抱えていた、ラツィの一番の心配ごとはなくなった。
これでもう、色仕掛けでサイラスのことをメロメロにする必要はない。無理にサイラスにくっつく必要もないのだ。
(でも……)
なぜだか自分でもわからないのだが、ラツィはもっとサイラスにくっつきたいし、もっと仲良くなりたかった。
あれだけ平気で腕にしがみつき、胸を押しつけていたのに、いまはサイラスの顔を見ただけで、頬が熱くなる。
これまでは「ベタクロフを倒してもらうため」という言い訳があった。それが消えたとたん、自分のしてきたことが急に恥ずかしくなったのだ。
それなのに、サイラスにくっつきたいという気持ちは前よりも強くなっている。
(くっつきたいのに、恥ずかしい。この感情は、いったいなんなのですか?)
ラツィは、妹のセフィがサイラスの腕にしがみつくのが、すこしだけ嫌だと思うようになっていた。エミルやカレラがサイラスに話しかけるのは、もっと嫌だ。怒りさえ感じる。
頭のなかで、セフィではない誰かの声が聞こえてくる。
(わたくしは、主さまがほしい。自分だけのものにしたい)
それはラツィの心の声。嫉妬であり、独占欲だった。
ラツィには、家族ではない異性を好きになるということが、まだよくわからなかった。だが、サイラスをひとり占めにしたいという気持ちが、心の奥底から強く湧き上がってくる。
それでも、ここは魔界ではない。
邪魔だからといって、エミルやカレラを殺してしまったら、サイラスが悲しむかもしれない。身勝手な自分のことを、サイラスは許してくれないかもしれない。
それでは本末転倒だ。
サイラスに嫌われるようなことはしたくない。ラツィは、頭に浮かんだ強硬手段を選択肢のなかから削除した。
(それなら、いったいわたくしはどうしたらいいのですか?)
ラツィは、新たに生まれた悩みを誰にも相談することができず、ひとりもじもじしながら、前を歩く金髪の少年の横顔を見つめていた。
サイラスが振り返ると、慌てて目をそらし、すこし立ち止まっては遅れないように早歩きするのだ。
◇
「姫さま」
隣に並んだマルバンが、心配そうに顔を覗き込んできた。
「差し出がましいようでありますが……姫さまは近ごろ、ご主人さまを避けておられるように見えるのであります」
「……なっ!? さ、避けてなどいません!」
「ご主人さまが、なにか粗相をしたのでありましょうか。それとも、お嫌いになられたのでありますか? せっかく主従の契りを結べたというのに、我は心配で心配で……」
「……き、嫌いなわけがありません! ……こほん。わたくしは、警戒しているのです。主さまが敵に襲われないように、離れたところから見張っているのです」
「おお、なるほど! 姫さま自ら、ご主人さまの見張りを! このマルバン、感服したのであります。では、我は反対側からご主人さまを見張るのであります!」
「……だ、だめです!」
思わず、大きな声が出た。
「……み、見張りは、わたくしの役目です。マルバンは……後ろです! こ、後方の警戒をしてください!」
「はっ! 後方警戒、承知したのであります!」
律儀に一礼して、最後尾へと下がっていく執事を見送り、ラツィはほっと胸をなで下ろした。
(そう。これは見張りです。見張りですから、いくら見つめていてもいいのです)
そうやって、主さまの背中が一番よく見える場所を、魔族のお姫さまは、みごと独り占めすることに成功したのだった。




