2-14 出発
それはサイラスが朝起きてすぐの出来事だった。
昨晩の宴会が夜中まで続いたので、仲間たちは起きだすのがいつもよりも遅かったのだが、ひとり睡眠を必要としないルナだけは朝から元気だった。
そして、隣で寝ているマルバンの上で、すでに起きていたサイラスの手を取り――。
「サイラス、どうだ?」
突然、ルナは自分の胸を触らせたのだ。
「えっ!?」
(ちょっと待って。朝からいきなりなに!?)
「……こっ、このポンコツ人形! 懲りもせずにまた、そんなことを!」
マルバンとは反対側のルナの隣で寝ていたラツィが飛び起きて、怒りの形相でぷるぷると震えている。
「いや待って、ラツィ……昨日と違って、ルナの胸が……硬くなってる……」
驚いた顔でラツィも、がしっとルナの胸をつかんで確かめた。
「……どういうことですか? 一晩たったら硬くなるのですか? おまえの胸はパンかなにかですか?」
「いや、昨日あれからマルバンに頼んで、前よりも硬くしてもらったのだ。柔らかいままでは勇者の盾にはなれないからな! もちろん顔もな!」
白い魔導人形が胸を張って、高らかに笑った。
「柔らかい身体になるという夢は叶えてもらったから、もう満足した。やはり私にはこの硬い身体が必要だ」
(ルナ……)
寝起きの仲間たちはあっけにとられていたが、起き上がったマルバンだけがルナの隣で小さくうなずいていた。
◇
宿で朝食と兼用の昼食をとったサイラスたちは、風の森に向けてラグーツの街を後にした。
入ってきた南側ではなく、街の東側の城壁を抜けて外に出ると、大きな橋でダヌビス川をわたり、南に伸びる街道に出る。今日も空はよく晴れて、すでに気温が高くなってきていた。
「ここからラファエル川に沿って南に二日も歩けば、風の森の北側には着けると思うんですけど、エルフ族の集落ってどこからでも入れるんですか?」
サイラスの隣を歩くエミルが、美しい栗色の髪を揺らしながら後ろを振り返って、マレス族の女剣士に尋ねた。
「いや~、森の北側に沿って街道を東にさらに五日くらい進んだところが森の真ん中で、その辺りに入り口があるっていわれてるんだ。でも、看板とか目印みたいなものはなにもないらしいんだよね~」
カレラが自分の黒い猫耳をぽりぽりとかきながら答える。
「じゃあ、とりあえずは、そこを目指すしかないな」
「ああ、風の森の賢者フルリーヌは、きっとおまえを待っているはずだ、サイラス。目的地が森の迷路を抜けた先だとしても、必ずたどり着けるさ」
白い女神像のように太陽の光をきらきらと反射して、ルナがサイラスに微笑みかけた。
サイラスはちらりと、隣を歩くエミルの横顔をうかがった。思わず、珊瑚のような桃色の唇に目が吸い寄せられる。
(だめだ。昨晩のキスを思い出してしまう)
顔が熱くなったそのとき、ルナの腕にぶら下がっていたセフィが、サイラスとエミルの間に割り込むようにして、サイラスの右腕に抱きついてきた。
「ねぇねぇ、ご主人さま。昨日、セフィはお酒を飲んで寝ちゃったから、あんまり覚えてないんだけど、ご主人さまとどんなお話をしたかな? かな?」
セフィのメイド服の下の、柔らかいが張りのある大きな塊が、サイラスの腕にぐいぐいと押しつけられる。
「セ、セフィ!?」
思わず、サイラスの声が裏返った。
『ねぇ、セフィのおっぱい、さわってみたい? ご主人さまなら、さわってもいいよ!』
昨晩のセフィの言葉が、頭のなかで繰り返される。
(ダメだ。忘れろ、忘れるんだ)
サイラスが顔を赤くしてうろたえていると、その目の前でセフィの髪が凍えるような水色から燃えるような赤色に変わっていき――。
ラツィは、ぱっとサイラスの腕を離すと、ささっとサイラスの後ろを歩くルナの隣に戻って、ぷいっと顔をそらした。
心なしか、ラツィの白い頬に朱が差しているような気がする。
「ラツィ?」
サイラスがあっけにとられながら呼びかけても、ラツィはこちらに顔を向けない。サイラスの視線を避けるようにルナの後ろに隠れて、もじもじしている。
(ラツィ、どうしたんだろ? なにか怒らせるようなことしたかな?)
そんなサイラスとラツィのやりとりを、サイラスの隣を歩くエミルはぽかんとして見ていたが、ルナの後ろを歩くカレラはふたりをにやにやしながら眺めていた。
(カレラ、なににやにやしてるんだよ)
「そういえば、ルナ。その槍はどうしたの?」
ラツィが後ろに隠れたルナの手には、見慣れない白い槍が握られていた。
「ああ、これか。マルバンが今朝、スキルで作ってくれたのだ。仲間を守るためには、私も武器を持っていたほうがいいだろうからな。あらためてありがとう、マルバン。軽くて丈夫で、なかなかいいものだな」
ルナが槍を上に掲げながら、斜め後ろを歩く魔族の執事を振り返る。
「へぇ、ルナには至れり尽くせりだね。武器が作れるなら、僕の銅の剣を溶かしたときにも、なにか違うものを作ってくれればよかったのに」
サイラスがマルバンを見ながら口を尖らせた。
「いえいえ、勇者には勇者の剣以外の武器はふさわしくないと思ったのでありまして……」
マルバンは苦笑いしながら、右手で自分の後頭部をかいた。
(それはそうかもしれないけど、ちょっと羨ましい)
「サイラス! すこし遠くから誰かが戦ってる音がする」
聴覚に優れたマレス族のカレラが、まっすぐ前方を指差した。
「五百メートル先、魔族が四十体、大型の魔獣が一体、人族が八体。魔族のなかの一体……あれは魔将だな」
ラツィの肩にとまった黄金のフクロウ――パールがつぶやいた。
「魔族が四十体!」
エミルの顔が青くなった。
「……アルージュの魔族ですか?」
ラツィも厳しい表情でパールに尋ねる。
「いいえ、アルージュの魔族ではありません。リアルジンの魔族のようです」
「追っ手ではないようでありますね」
魔族の主従たちが、サイラスの後ろで話し合っている。どうやら前方の魔族たちは、ラツィを追ってきた者たちではないようだ。だが、いままさに誰かが魔族に襲われているのだ。
「人間と魔族が戦ってるんだろ? 助けにいかなきゃ!」
サイラスは仲間たちを振り返り、盾の持ち手を強く握った。仲間たちも、サイラスの目を見てうなずく。
「ルナとマルバンはエミルを守ってくれ。カレラとラツィは、僕といっしょに戦ってる人たちの助太刀にいこう」
「やっとボクの実力を見せるときがやってきたね!」
「……くくくっ、魔族相手なら思いっきり暴れても大丈夫ですね? 我が主さま」
猫人族の女剣士と魔族の姫君は、相手が魔族四十体と大型の魔獣一体と聞いてもやる気満々のようだ。
(頼もしいけど、ふたりとも楽しそうすぎない?)
「魔族が四十体、それに魔将もいるんですよね? 大丈夫でしょうか?」
エミルがいまにも泣きだしそうな顔で、サイラスを見つめる。
「ああ、カレラもラツィもいるし、大丈夫。心配しないで」
「頑張ってください、サイラスくん。でも、無理はしないで。カレラもラツィも気をつけて」
「うん。サイラスはボクが必ず守るよ! 勇者の剣として!」
カレラはエミルにウィンクして、安心させるように優しく微笑んだ。ラツィはにやにやと不敵な笑みを浮かべている。
「ああ、行ってくる。ふたりとも走るぞっ!」




