2-9 宴会
周囲は、完全な暗闇に包まれていた。
サイラスよりも、ずっとずっと下のほうに小さな白い光が見える。目を凝らした。
白い光だと思ったものは、純白の豪奢なドレスをまとったエミルの後ろ姿だった。いつもの質素な衣服ではない。そんな貴族のような格好も、エミルにはよく似合う。
しかし、ふたりの周りに広がる暗闇は、どこまで続くのかわからない深い穴だった。ふたりは下へ下へと落ちているのだ。
「エミル!」
サイラスは叫んだ。
だが、エミルはこちらに気づかない。なんとか近づこうともがいたが、身体は前に進まない。手を伸ばしても、届くような距離ではなかった。
エミルはどんどんとサイラスから離れていき、やがて見えなくなった。
「何百年かかっても、何度、生まれ変わっても、必ず俺がキミのことを見つけ出すから! エミリア……!」
◆
後頭部に、柔らかな感触があった。温かい。花のような匂いがする。
なぜかその感触が懐かしかった。
また夢を見たような気がするが、なにも思い出せない。思い出そうとすると頭痛がした。
ゆっくりと目を開けてみる。
すぐ目の前に、心配そうにこちらを覗き込むエミルの顔があった。お風呂上がりだからか、頬がすこし赤い。お互いの吐息が届きそうなほど顔が近かった。
エミルは長い栗色の髪を頭の上でまとめている。珊瑚のような桃色の唇が、思わず目に入った。顔がとても熱くなり、心臓の鼓動が速くなっていく。
サイラスが起きたことに気づくと、エミルはぱあっと笑顔になった。
「よかった。目を覚まされましたね。お風呂で急に倒れられて、マルバンさんがお部屋まで運んでくださったんです。心配しました……」
エミルが急に泣きそうな顔になる。
(カレラとラツィが男湯に乱入してきて……穴の向こうにエミルが見えて……僕はのぼせて倒れたのか)
(そして、なぜかエミルに膝枕されている)
エミルの太ももは、ほっそりして見えるのに柔らかくて弾力があった。温かくて気持ちがいい。このままずっと寝てしまいたくなる。
(いやいや、起きないと)
「ごめん、エミル。心配をかけたね。もう大丈夫だから。膝枕してくれて、ありがとう」
名残惜しかったが、サイラスは身体を起こし、エミルに笑いかけた。エミルは白い頬を赤く染めたが、嬉しそうに微笑んだ。
「すこしでもお役に立てたなら、よかったです」
「ご主人さま~、セフィも心配したよ~」
セフィがサイラスの右腕に抱きついてくる。
「セフィもありがとう。もう大丈夫だよ」
部屋を見まわすと、テーブルの上にもう食事の用意がされていた。お椀から湯気が昇っているので、それほど長い間、倒れていたのでもないようだ。
「セフィ、もうお腹ぺこぺこだよ~」
「悪い、悪い。ご飯にしよう」
セフィの頭をなでると、ひまわりのような笑顔が返ってきた。
「そういえば、男湯と女湯の間の壁、あれどうなったの? あのままだと誰も温泉に入れないと思うんだけど。宿の人に怒られなかった?」
「ああ、あれなら心配ご無用であります。ご主人さまを部屋に運んだ後、我のスキルで直しておいたのであります。問題ないであります」
マルバンが優雅に前髪をかき上げながら胸を張った。
(マルバンのスキル、壁まで直せるのか。それは頼もしいな)
「へえ、便利なんだね。後で見せてもらおう」
「はい、夕げの後に、ゆっくりと披露させていただくであります」
◇
サイラスたちは、低いテーブルの周りに腰かけた。椅子はなく、直接床に座る形だ。
サイラスの右にセフィ、左にエミル。テーブルを挟んで正面にマルバン、その左にルナ、右にカレラ。パールはセフィの肩ではなく、マルバンの近くにいる。
全員、お風呂の後は宿に備えつけの浴衣のようなゆったりした衣服に着替えていた。サイラスが目覚めたときに裸ではなかったのは、マルバンが浴衣を着せてくれたかららしい。
(壁を直してくれて、浴衣まで着せてくれて……マルバン様々だな)
「にゃは、せっかくの温泉なんだからお酒も注文しようよ。お酒飲むひと~?」
カレラがぱたぱたと廊下に駆け出していき、宿の女性になにかを頼んだ。
ほどなくして、三人の女性がそれぞれ大きな箱を抱えて部屋に入ってきた。
「どんだけ注文したんだよ!」
「いや~、みんな飲むと思ったんだよ。何度も頼むのも面倒だしね~」
(ワインボトルくらいの瓶が十二本×三箱って……三十六本もあるんだけど)
「大丈夫、大丈夫。さあ、食べて飲んで、明日からの旅に備えて英気を養おう!」
(こんなに飲んで、明日の朝ちゃんと起きられるのかな……。まあ、たまにはいいか)
サイラスはあきれながらも、覚悟を決めて今晩は付き合うことにした。
宴会が始まった。
大きな川沿いの街だけに食事は魚料理が中心だったが、ちゃんとした料理人がいるのか、ただ焼いただけではない凝った料理が並んでいる。木でできた船のような形の皿に氷が敷かれ、その上には生魚の刺し身まであった。
(刺し身だ。記憶を失う前に、食べたことがあるような気がする……)
いつもならエミルがあれこれ世話を焼いてくれるのだが、今日は珍しくセフィが積極的だった。
「ご主人さま、これ美味しいよ。はい、あ~ん」
「こら、あんまりくっつくなよ、セフィ」
右腕にセフィの胸が当たって、サイラスはどぎまぎする。
「ど、どうしたんですか? セフィちゃん」
エミルも目を丸くしている。
「ふふふ、ご主人さま、おくちについてる」
セフィがサイラスの口の横を指で触り、そのままその指を自分の口に持っていった。人さし指をくわえたまま、にっこりと微笑む。
心なしか隣に座るエミルのお酒のペースが速くなっている。正面のカレラに注ぐとお返しに注がれ、同じくらいのペースでグラスが空いていく。テーブルの上に空の瓶が並んでいった。
(エミル、あんなに飲んで大丈夫かな?)
エミルがお酒を飲んでいるところを見るのは初めてだ。トリマンの家でも剣聖の里でも飲んではいなかった。どれくらいお酒が飲めるのか、サイラスにはまったくわからない。
サイラスもセフィに注がれて、それなりに飲んではいるのだが、なぜかいっこうに酔う気配がなかった。
『スキル《劇毒無効》、ユニークスキル《超高速自己治癒》を発動します。身体に有害な物質は摂取後、即座に分解されます……』
(……分解って。お酒を楽しむ余地がないじゃないか)
まったく酔わないので、周りの仲間たちの変化がよくわかる。
カレラとセフィはすでに赤い顔をしているが、まだ飲みつづけている。カレラはいつもよりもさらによく笑っている。笑い上戸のようだ。セフィはますますサイラスにべたべたとくっついてくるようになった。
(セフィは甘え上戸か)
エミルは酔って寝てしまったのか、テーブルに突っ伏している。マルバンとそもそも飲んでいないルナは、サイラスと同じく白面だ。
「マルバンはお酒強いんだね」
「普段はまったく飲まないのでありますが、人族の酒に興味があったので今日は試しに飲んでみたのであります。ですが、体質なのか酔えなかったのであります。ご主人さまは相当、お強いのでありますね」
マルバンは周りを見まわして苦笑いした。
(強いっていうか、スキルで分解されてるだけなんだけどね……)
「ねぇ……ご主人さまぁ……」
マルバンと話していると、セフィが絡んできた。
「もしかして、ご主人さまって、おっぱいが好きなの?」
「えっ!? セフィ、なにを言って……」
赤い顔をしたセフィが右腕にしがみついたまま、とろんとした金色の目で見つめてくる。
「だって、さっきお風呂で姉さまやカレラのおっぱい見てたでしょ?」
(見てたんじゃなくて、見えたんだよ! 壁が壊れて!)
男湯での出来事が頭に浮かび、酔ってもいないのにサイラスは首まで真っ赤になった。
「ねぇ、セフィのおっぱい、さわってみたい? ご主人さまなら、さわってもいいよ!」
セフィが浴衣の合わせ目を両手で広げた。豊かな白い胸の谷間が目に飛び込んでくる。
「なにしてるんだよ! セフィ」
サイラスが目をそむけると、セフィは抱きついてきた。弾力に富んだふたつの大きな塊が、サイラスの胸にぎゅうぎゅうと押しつけられる。
そして――セフィは、そのまま動かなくなった。
「……ぐぅ~」
どうやら酔って寝てしまったらしい。
(あれだけ飲めば、そりゃそうだよな……)
ルナがセフィを抱えて、部屋の隅の布団に寝かせた。にゃははと笑いながら、今度はカレラがサイラスの右隣にやってきた。




