1-8 エミル
トリマンとコロネがいなくなり、食堂はサイラスとエミルのふたりだけになった。テーブルの上には、料理がまだまだたくさん残っている。
「エミルはいつも料理を手伝ってるの?」
サイラスはなんとか場を取り繕おうと、エミルに話しかけた。しかし、エミルはうつむいたまま、サイラスのほうを見ようともしない。
「コロネさん、なにが言いたかったのかな?」
「…………」
「エミルって働き者だね。お腹は空いてないの? あんまり食べてなかったみたいだけど」
「…………」
(なにを話しかけてもダメか)
しばしの沈黙の後、ふっとエミルは立ち上がり、なにも言わずに階段に向かって走っていってしまった。
広い空間にぽつんとひとり、サイラスは取り残された。楽しかった宴が一転して、不穏なものになってしまった。
「コロネさんもエミルも、急にいったい、どうしたんだろ?」
ひとりになって、サイラスは状況を整理してみる。
自分には、この家で目が覚める以前の記憶がない。どうやら、精霊の木とかいうものの前で倒れていたところを村人に助けられたらしい。
四百年前に魔王を倒し、戻ってこなかった“帰らずの勇者”と偶然、同じ名前で……そして、勇者の一族は王族であり、その血を引く者は自分と同じ金髪赤目をしている、ということもわかった。
サイラスは頭を抱えた。
(コロネさんは、僕を勇者の生まれ変わりかなんかだと思って、頼みたいことがあったのかもしれない。でも、勇者への頼みごとって、いったいなんなんだ?)
(そもそも名前が同じだからといって、さすがに四百年前の勇者と同一人物なわけがない。だって、四百年も前の話じゃないか)
考えれば考えるほど、出口のない迷路に迷い込んでいく。実はいまもまだ、夢のなかにいるのではないだろうか?
(なんだか疲れちゃったな。今日はもう寝よう)
のろのろと二階へ上がり、サイラスは、自分が目覚めた部屋に戻ってきた。目覚めた直後、母親と間違えて、見知らぬ少女に抱きついてしまった部屋だ。
頭のなかに、ふと珊瑚のような桃色の唇を尖らせる少女の顔が浮かんだ。
ふう、とため息をついて、サイラスはベッドに腰かけた。
四百年ごとに、魔界からあらわれるという魔王。四百年前に魔王を倒して、消えたという勇者。勇者が消えて四百年。魔王があらわれるのは四百年ごと……。
(だとしたら、魔王はまた、すぐにでもあらわれるんじゃないのか?)
そんな結論に達したとき。すぐ後ろで、毛布がもぞりと動いた。
「うわっ!?」
サイラスは思わず飛び上がった。
「……エミル?」
サイラスが問いかけると、観念したのか、エミルがベッドからごそごそと這い出てきた。
エミルは可愛らしい水色の寝巻きに身を包んでいる。薄い生地を押し上げて主張している胸の辺りに、つい目がいき、サイラスは慌てて顔をそむけた。
(見てない、見てないぞ)
エミルを横目でうかがいながら、サイラスはふと考える。なぜ、自分が寝ていたベッドにエミルが寝ていたのか?
答えは簡単だった。机の上には手鏡が置かれている。ここは、エミルの部屋なのだ。他に部屋がないから、自分はここに寝かされていたのだろう。
(ということは、昨日から僕はずっとエミルの部屋を占領してたってことか。申し訳ない……)
「ごめん、エミル。僕は下で寝るよ」
サイラスがそう言って、部屋を出ようとしたとき、エミルが予想外の行動に出た――エミルはサイラスを後ろから抱きしめたのだった。
「えっ、エミル、どうしたの!?」
サイラスは驚きを隠しきれなかった。捕まった“宇宙人”のように両腕を上げた姿勢のまま、固まった。
(えっ、ちょっ、えっ!? どういうこと!?)
ぎゅっと、その腕に力がこもる。背中に押しつけられたふたつの柔らかい感触を覚え、サイラスの心臓が跳ね、顔が熱くなった。
だが、耳を澄ませば、しんと静まり返った部屋のなかに、かちかちと歯が鳴る音が聞こえてくる。
サイラスの身体を抱きしめながら、エミルは怯えて、その華奢な肩を小さく揺らしているのだ。
「エミル?」
サイラスはエミルをベッドに腰かけさせて、自分も隣に座った。エミルは静かに泣いていた。美しい翠玉色の瞳から大粒の涙がぽろぽろと流れ、形のいい顎を伝って、膝の上で握られた手の上に雫が光った。
しばらくして、すこし落ち着いたのか、エミルは、ぽつりぽつりと話しはじめた。
「……母さまから、勇者さまと……その……いっしょに……寝るように……と」




