1-62 サイラスの悩み
ラグーツまでは、剣聖の里から三日の道のりだ。
ウリエル川と森に挟まれた狭い道を一日ほど北に戻ると、エミルの村からサイラスたちがずっと東に進んできた石畳の街道に出る。西からまっすぐだった街道は、ここでウリエル川とぶつかって方向を北へと変え、街道をそのまま川沿いに二日ほど北上すれば、ラグーツにたどり着けるはずだ。
カレラによると、ラグーツは元々ガヤルド王国との国境の街で、この辺りでは一番大きな街だという。ウリエル川とラファエル川が合流してダヌビス川になる場所で、温泉が湧いていることでも知られている。
リリアの奈落がある旧ガヤルド王国領が近いため、魔獣があらわれることもあるそうだが、それでもラグーツに温泉客が絶えないのは、冒険者ギルドの大きな支部があって、腕に自信のある冒険者たちが街の安全に一役買っているかららしい。
すでに街道を一日ほど北に進み、あともう一日歩けばラグーツという場所で、サイラスたちは野営することにした。
川のそばなので水はすぐに手に入る。食料も剣聖の里で持ちきれないくらい持たされたので、しばらく心配はなさそうだ。
仲間たちは焚き火を囲んで座り、いつものようにエミルが作る夕食を待っていた。
料理を終えたエミルが、最初にサイラスの前にやってくる。スープを配るエミルの短い袖から、すらりと伸びた白い腕が眩しい。
「干した魚をたくさんいただきましたから、木の実も入れて具だくさんなスープにしてみました」
美味しそうなスープの匂いだけでなく、エミルの美しい栗色の髪から花のような甘い香りがした。
スープを全員に配り終えたエミルが、自分のスープを持ってサイラスのすぐ隣に腰かけた。
「いつも、ありがとう。エミル」
サイラスが声をかけると、エミルは深い緑色の瞳を輝かせて嬉しそうに微笑んだ。
「いえ、たいしたものが作れなくて、ごめんなさい」
「……すこし悔しいですが、飯炊き女の料理はいつも美味しいです。……魔界にはこんな凝った味付けの料理はありませんでした」
スープを口にしたラツィが、珍しくエミルの料理を褒めた。
(剣聖の里の料理を食べて、ラツィもやっとエミルのすごさがわかったんだな)
「うんうん、本当にこのスープは美味しいね。里でもらった素材で作ったとは思えないよ~」
カレラも黒い猫耳をぴくぴくさせながら、スープに舌鼓を打っている。
「そのうえ、美人だし、いいお嫁さんになれるなぁ。サイラスは幸せ者だね~」
「そんな……お嫁さんだなんて……」
エミルは白い頬を耳まで真っ赤にして、うつむいた。
「いやいや、エミルだって年ごろなんだから。サイラスが魔王を倒したら、さっさと結婚して、ぽぽんと子供を何人か生んでさ、とっととボクにもサイラスを貸してよね。ボクは少なくとも三人くらいは子供がほしいんだから」
「ぽ、ぽぽんと……」
エミルが目を白黒させている。
(人を種馬みたいに……)
「だって、サイラスのご先祖さまのガリウスだって、奥さんは三人もいたんだから、別にいいじゃないか。まあ、ボクは奥さんにしてほしいとは言ってないけどね」
「ふむ。それでしたら、一番目の奥方さまは姫さまで決まりでありますな」
マルバンが、さも当然のようにうなずいた。
「……我が主さまは、魔王を倒した後、わたくしとアルージュで末永く幸せに暮らすのです。おまえたちの出る幕はありません」
「おやおや? 魔族のお姫さまも立候補するんだね~。サイラスぅ、これで花嫁がふたりだよ~。ガリウスはたったの四人しか子供ができなかったみたいだけど、もっとたくさん作って、子孫繁栄、商売繁盛だね!」
(まったく、この国の倫理観はどうなってるんだ? 貴族なら重婚も禁止されていないのかもしれないけど……)
エミルのようすを見るかぎり、カレラだけが特殊なのだと思いたい。
サイラスはカレラの話を強引に切り上げて、ずっと聞いてみたかった疑問を口にした。正直なところ、魔王を倒した後のことを考えるような余裕は、いまのサイラスにはなかった。
「そんなことよりも、ずっと気になっていたんだけど。勇者って、いったいなんなのかな?」
仲間たちが、驚いた顔でサイラスを見た。
「……主さま?」
「それは、どういう意味なんだ? サイラス」
サイラスは大きく息を吐くと、言葉を続けた。
「勇者の盾を手に入れたときには、なにも考えていなかったけど、刺客に生命を狙われたし、剣も手に入れた。やっぱり僕は勇者なんだなって思ったんだ」
「うんうん、勇者の剣を岩から引き抜いたんだ。キミは本物の勇者だよ、サイラス」
「でも、勇者は魔王を倒さなきゃならないんだろ? 僕にはエミルの村で目が覚める前の記憶がない。自分のことすらよくわかってないような僕が勇者に選ばれて、本当に魔王に勝てるのかなって……。勇者って、もっともっと強くなきゃいけないんじゃないかな?」
サイラスは真剣な眼差しで、仲間たちを見まわした。
「いやぁ、それは謙遜だよ。キミは強いよ、サイラス」
「そうですよ。サイラスくんは弱くなんてないですよ」
「いや、僕はぜんぜん弱いよ……デルギフトに襲われたときには、エミルを危ない目に遭わせちゃったし……シエラゴさんには手も足も出なかった……」
「サイラスくん……」
エミルは心配になって、サイラスの手の上にそっと自分の手を重ねた。
「たぶん、記憶を失う前の僕はいくつもスキルを持ってたんだと思う。でも、いまの僕は、それを使いこなせてないんだ……。スキルが発動しなかったら、カレラにだって勝てなかったのに、そんな僕が魔王と戦うだなんて……」
カレラはしばらくサイラスの顔を見つめていたが、なにかを決めたように、ぽんと膝を叩いて立ち上がった。
「サイラス、もう一度、手合わせをしようよ。今度はお互いスキルなしでさ」




