1-57 リーン
ぴかぴかに磨き上げられた白い大理石の廊下を、ふたりの少女が歩いている。
ここはトロワール大公国の首都リーン。トロワール大公の住むメルクリウス宮殿だ。
紺色のローブをまとった金髪の少女は大公との謁見を終え、帰途につくところだった。その後ろから、鎧の上に紺色のサーコートを羽織った銀髪の女騎士がつき従っている。
顔立ちにまだ幼さの残る少女は、大きなため息をついた。
「お疲れさまでした、ソフィアさま」
「ありがとう、キーラ。おじいさま、見たこともないくらい怒ってらっしゃいました……」
勇者の盾の紛失は、シスレート公国の首都ズリクにいる父から、すでにトロワール大公にも伝わっていた。案の定、宮殿は大騒ぎである。
大公はソフィアを叱りつけたりはしなかったものの、その場にいないソフィアの父に対して激しい怒りをぶつけていた。魔王がいつ復活してもおかしくないこの時期に、勇者の盾を紛失したことは、一族の大きな失態なのだ。
ソフィアの父――現シスレート公爵家当主エルンスト・テムル・シスレートは、トロワール大公の長男。つまりソフィアは大公の孫に当たる。
ソフィアの父エルンストと祖父は昔から仲が悪かった。父は長男だったが、祖父の後妻に歳の離れた次男が生まれたために、分家であるシスレート公爵家に婿に出されたのだ。
祖父は男尊女卑で、癇癪持ちの気難しい男だったが、ソフィアには昔から優しかった。それはソフィアが一族待望の“金髪紅眼”だったからかもしれない。大公のふたりの息子は、どちらも金髪碧眼だった。
ソフィアが男子だったらと、祖父が陰でこぼしていることをソフィアは知っていた。だが、ソフィア自身は自分が女子でよかったと思っている。祖父の政略に巻き込まれるのは、うんざりだったからだ。
「しかし、捜索隊が出るとなると……」
「はい。しかも大規模なものになるかと」
大公への報告ではサイラスたちのことは伏せたものの、すぐにトロワール大公国からもシスレート公国からも大規模な捜索隊が派遣されるという。サイラスたちが見つかってしまうのは、時間の問題のように思われた。
そして、捜索隊にサイラスが見つかってしまったときに魔族を連れているというのは、非常に危険なことだった。トロワール大公国の騎士たちは、ガリウス王国のなかでもとくに魔族に厳しい。サイラスがなにを言っても問答無用だろう。
「ああ、勇者サイラス……どうかご無事で……」
「勇者がどうかしましたか?」
ソフィアが小さな声で女神に祈ろうとしたとき、廊下のすこし前方から声をかけられた。ふたりの少女はそちらに目を向けると、驚いた顔になった。
「あひっ! シリウスさま! ど、どうして貴方のような方がこんなところに?」
シリウスと呼ばれたのは、金色のくせのある髪に真紅の瞳をした、美しい顔立ちの青年だった。
プレートメイルの上に真っ赤なサーコートを羽織り、その胸にはガリウス王家の紋章であるフェニックスが大きく縫い込まれている。その後ろにはふたりの人物が立っていた。
ひとりは黒髪のマレス族の青年。軽装だが、腰には長い太刀を下げている。もうひとりは豪華な金髪を腰まで伸ばした女騎士。背が高く、健康的なスタイルのよさが目を惹く。プレートメイルの上に緑のサーコートを羽織り、その胸にはワイバーンの紋章が縫い込まれている。
「こんにちは、ソフィア殿。私は王都にいたのですが、勇者の盾紛失の報を聞きつけ、トロワール大公が捜索隊を出すだろうと思いましたので、参加させていただこうと急ぎ馳せ参じたのですよ」
青年は、ソフィアに歩み寄ると爽やかに微笑んだ。
このいかにも女性にもてそうな青年の名は、シリウス・ティグエル・ユヌリス侯爵という。御三家筆頭のユヌリス大公家の後継者で、弱冠十九歳ながら近衛騎士団長を務め、ガリウス王国一の剣の使い手としても知られていた。
その剣術士ランクは10。王国で唯一のランク10の剣士であり、勇者シリウスの生まれ変わりともいわれ、勇者候補筆頭と目されている人物だった。
ちなみに王都では“剣光の貴公子”と呼ばれ、似顔絵のブロマイドが売られているほど。若い平民女性からの人気も抜群だ。
「あんたが勇者の盾をなくしたから、あたしたちが探してやろうっていうのよ。感謝しなさいよね」
シリウスのすぐ後ろに立つ金髪碧眼の女騎士が、ソフィアを小馬鹿にしたように笑った。
「ヴァレリア……」
このいかにも気の強そうな女騎士の名は、ヴァレリア・エル・キャスタル伯爵という。七支族のひとつ、ユヌリス大公家の分家であるキャスタル公爵家の後継者で、ランク6の剣士だ。現在十七歳。いつもシリウスの後ろにくっついて行動しているため、本人は気がついていないが、周囲にはシリウスに惚れているのがバレバレだった。
ソフィアはナイスバディなこの少女が苦手だった。ソフィアが紅眼だからか、昔からなにかと絡んでくるのだ。
「勇者の盾は選ばれた者にしか持ち上げられないっていう話だったのに、どんなまぬけな見張り方をしてたら盗まれるのよ」
「それは……」
(勇者が持っていったのです、とは言えない)
ソフィアは言葉に詰まった。
「まあまあ、ヴァレリア。ソフィア殿を責めても仕方がないだろう。それよりも、見つけることが先決だよ」
シリウスが穏やかに割って入った。
「シリウスがそう言うなら……」
ヴァレリアはシリウスにたしなめられると、あっさり引き下がった。わかりやすい女だ。
「それで、捜索隊はいつ出発するのですか?」
「ええ、明日出発すると聞いています。私もそれに同行しようと思っています」
にこやかな笑みを浮かべる青年の整った顔を見つめながら、ソフィアは思った。
サイラスは強い。だが、シリウスは王国一の剣士で勇者候補だ。戦ったらサイラスでも無傷とはいかないだろう。
それに捜索隊は人数も多い。多勢に無勢だ。見つかれば、力ずくでサイラスから勇者の盾を奪おうとするだろう。そのためならば、サイラスの生命を奪うことさえいとわないはずだ。
心配そうにシリウスの顔を見つめるソフィアを、ヴァレリアがにらんでくる。ソフィアが無視すると、ヴァレリアの眼に殺気がこもった。
「捜索隊はどこを目指すのでしょうか?」
「ウォルダー・ベリック・トロワール大公は、今回の件を魔族の仕業と疑っておられました。捜索隊は旧ガヤルド王国領を目指すことになるでしょう」
祖父は、ルルドの村近くの森で魔宮が見つかったことから、魔族が盾を盗んだと考えているのだろう。魔族に勇者の盾が持ち上げられるわけもないのだが……。
「旧ガヤルド王国領ですか……あちらは魔獣の出没も多いと聞きます。シリウスさま、くれぐれもお気をつけください。ヴァレリアも」
「ありがとう、ソフィア殿。でも、私の心配は不要だよ」
シリウスは爽やかに笑った。自信に満ちた、けれど嫌味のない笑顔だった。
「あなたも道中お気をつけて。ズリクまでの道のりも短くはないだろうから」
「ふん!」
シリウスは掲げた右手を振りながら去っていった。その後ろを足音も立てず、マレス族の青年がついていく。ソフィアをにらんでいたヴァレリアが、すこし遅れてふたりを追いかけた。
「ソフィアさま……」
シリウスたちが視界から消えたのを見計らって、女騎士キーラが心配そうに話しかけてきた。
「あんな大物が捜索隊に参加するとは予想外でした。勇者をリーンまで連れてきたほうが、よかったのかもしれません」
「それでも、あのおじいさまがサイラスを勇者と認めたかどうかは……」
ソフィアは彼女の忠実な従者の前で目をつむり、両手をぎゅっと握りしめた。
「キーラ。勇者サイラスを探しましょう。捜索隊よりも先に、わたしたちが見つけますよ!」
「はい!」
ふたりの少女は、白い廊下を駆け出した。




