1-5 9(ノイン)
サイラスはベッドから降りて、立ち上がってみた。すこし足元がふらふらする。そして、視線の先にある小さな机の上のランタンが気になった。
(なんだろう、これ?)
手に取ったランタンはガラスでできた箱状のもので、なかに小指の爪ほどの小さな球が浮かび、白く強い光を放っている。
その球が、どうやって浮いているのか、なぜ光っているのか、まったくわからなかった。触ってみても、とくに熱くはない。
(“LED”……じゃないよね)
不思議な代物だった。
ランタンを元の場所に戻すと、机の上に手鏡が置かれているのが目に入った。手に取って覗き込んでみる。
「……これが、僕?」
思わずサイラスは、声を出していた。
鏡に映ったのは、金色の髪と紅玉のような真紅の瞳を持った少年の顔だった。
(なんか、顔色悪いな……。それに、赤い目……)
試しに、鏡に向かってにっこりと笑ってみる。
(……うん。いきなりこの顔に抱きつかれたら、僕でも叫ぶかも)
目が覚めたばかりだから仕方がないのかもしれないが、まったく日に焼けたことがないような青白い肌は、不健康そうに見えた。
年は十五、六歳といったところだろうか? 先ほどの少女と同じ年ごろに思える。
ただ、村長やその娘が着ていたものよりも、上等な衣服を身につけていた。
この服装を見て、トリマンは『あなたさま』なんて呼びかけたのかもしれない。なんだか舞台衣装のような、丈の長い白い上着と長ズボンだ。
数少ない手がかりである衣服にも刺繍などはされておらず、紋章のようなものもついてはいなかった。
もちろん“ブランド名”の書かれたパンツもはいていない。
鏡を机の上に戻し、手足や身体も確かめてみる。
残念ながら、指輪やペンダントなどの装飾品はなにも身につけていなかった。衣服をまくってみたが、怪我などもしていないようだ。
(ん?)
サイラスは自分の左手の甲の下、手首の辺りに小さなあざがあるのに気がついた。ちょうど服の袖で気づきにくかったのだが、文字のようにも見える。
「“9(ノイン)”……?」
不思議とサイラスには、そのあざが数字の“9”を意味しているように思えた。
「手がかりはこれだけか……」
(まさか、無一文ってことはないよね……)
あらためてなにか思い出せないかと、サイラスは部屋の真ん中に立ち、考えを巡らせた。
村長の言葉を理解することはできたし、話すこともできた。思い出せないのは、自分の過去に関することだけのようだ。
だが、それだけはまるで魔法にでもかけられたかのように、すっぽりとサイラスの頭のなかから抜け落ちている――。
自分はどこの出身で、いままでなにをしていたのか? なぜ、この村の近くで倒れていたのか?
考えつづけても答えは出ない。だんだんイライラしてきて、また頭が痛くなってきた。
「時間がたてば、きっとなにか思い出すさ。村長だって、言ってたじゃないか」
自分に言い聞かせるように声に出してつぶやくと、サイラスは無理に思い出すことをあきらめた。
すこし気持ちが落ち着いてくると、とたんにお腹が鳴って、自分がひどく空腹だったことに気づかされた。人間はこんな状況でもお腹が空くのだ。
(下で用意してくれてるって言ってたっけ。待たせちゃったかな)
サイラスは急いで部屋を出た。薄暗い廊下の先にぼんやりと光が見える。どうやら、階下に降りる階段があるようだ。
床板の下から、くぐもった話し声が聞こえてくる。トリマンの太い声と、それに答えるエミルのものらしい声だ。なにを話しているのかまでは聞き取れない。
(トリマンさんとは、普通にしゃべるんだな……)
サイラスが階段まで歩いてくると、階下から食欲をくすぐる匂いが漂ってきていた。
(すごくいい匂い。よだれが出そう)
サイラスは、階段の途中から下を眺めた。
一階は広い空間で、六人がけの横長のテーブルが三つずつ二列に並んでいる。右側にはカウンターがあって、さらにその奥は厨房になっていた。
客は誰もいなかったが、そこは古びた酒場のようだった。
天井には、部屋にあったのと同じようなランタンがいくつも吊られ、室内を明るく照らしている。
厨房のなかで、初老の女性と娘のエミルが忙しそうに食事の用意をしているのが見えた。
自然と、サイラスの視線はエミルを追ってしまう。ただ、料理を作っているだけなのに、エミルは輝いて見えた。
(やっぱり、エミルは可愛いな)
人のよさそうな笑顔を浮かべたトリマンが、カウンターの前のテーブルにどっかりと座り、こちらに気づいて手招きをしている。
サイラスは覚悟を決めて、階段を降りていった。
(まずは、さっきのことをエミルに謝らないと)
一段ごとに、頭のなかで謝罪の言葉を組み立てる。
(「先ほどは、大変失礼いたしました」……いや、固いかな。「ごめん、寝ぼけてた」……これじゃあ軽すぎる?)
一階に着くと、厨房から出てきたエミルとばったり出くわし、目が合った。
エミルの深い緑色の瞳が大きく見開かれ、みるみるうちに白い頬が真っ赤に染まっていく。
「あっ、エミル、さっきはごめん。その、目が見えてなくて、母さんだと勘違いして……」
サイラスが言い終える前に、エミルはサイラスの横をすり抜け、逃げるように厨房に戻っていった。
(完全に嫌われた……)
サイラスは小さくため息をつくと、とぼとぼとトリマンのテーブルに向かった。




