1-46 声
「……つぎは勇者の剣ですね。我が主さま」
サイラスの腕にしがみついたラツィが、楽しげな声で話しはじめた。
「そうだね。盾だけ持ってて、武器がないっていうのはすこし恥ずかしいから、早く剣を手に入れたいな」
(トリマンさんにもらった剣を溶かしたのはラツィだけどね……)
「……最初に盾を武器の代わりに投げると言い出したときは、なにを言っているのかと思いましたが、とっさに盾を投げて小娘ふたりを助けるだなんて、そんなことができるのは世界広しといえども主さまだけです」
魔族の美少女が、潤んだ金色の瞳で見上げてくる。熱っぽい上目づかいを向けられて、サイラスは思わず顔をそむけた。
(どうしたんだろ、ラツィ。なんだかいつもと目つきが違うような……)
魔族である自分やマルバンのことを見捨てなかったサイラスに感激して、ラツィはサイラスに無性にくっつきたくなっているのだが、サイラスにそんな乙女心がわかるはずもなかった。
ラツィの視線を避けて、ふと森を見たサイラスは、奥のほうでなにかが動いたのに気づいた。
「ごめん、ラツィ。みんなもここで待ってて。ちょっと森のなかを見てくる」
右手に抱きついていたラツィを剥がし、心配そうな顔のエミルに微笑むと、ぽかんとする仲間たちを残して、サイラスは森に向かって駆け出した。
「ひとりで大丈夫か、サイラス!」
後ろから魔導人形のルナが叫んだが、サイラスは振り返らず、手を振っただけだった。
◇
仲間たちの姿が見えなくなるほど、森の奥まで入ったサイラスは歩みを止め、素早く木の陰に隠れた。
そっと顔を出して、目を凝らす。
木々のすこし先にそれは立っていた。
背丈はゆうに二メートル。鱗が浮かぶ太い腕には、刃がギラつく青龍刀。魚を思わせる醜悪な顔の口元からは、細長い舌の先がぬるりと覗いていた。
(やっぱり魔族だった……! 僕らを追ってきたのか?)
エミルの村を襲った連中と、同じ種族だ。
走ったからか、緊張しているからか、鼓動が高鳴った。
しかし、魔将デルギフトを倒したサイラスは、もうルルドの森で初めて魔族と戦ったときのサイラスとは違う。
右手で大きな丸盾の持ち手を強く握る。武器は、この盾だけだ。
覚悟を決めると、サイラスは魔族の前に姿をあらわした。
「グゲゲ……人族のガキだァ。なんで、こんなところにィ? ツイてるなァ、オレサマは。ちょうどハラ減ってたァ」
魔族がよだれを垂らし、黄色い舌で青龍刀を舐めながら、こちらに近づいてくる。
(よし、後はスキルさえ発動すれば……)
危機が迫ると、頭のなかで響く人工的な声。スキルが、ひとりでに発動する、あの感覚。それを、サイラスは待った。
しかし、頭のなかは、しんと静まり返ったままだった。なにも聞こえてこない。
(どうしたんだろ? いつもなら、もうスキルが発動しても、おかしくないのに……)
考えている暇もなく、魔族が地面を蹴った。青龍刀が一直線にサイラスの胸を狙う。
速い――。
「ぐっ……!」
盾を傾けて受け流そうとしたが、反応が遅れて突きをもろに喰らい、重い衝撃に思わず後ろへ大きくたたらを踏んだ。
(なんて馬鹿力だ)
魔族は、にたりと笑って追撃を仕掛けてくる。横薙ぎ、突き、振り下ろし。サイラスは盾でさばき、身をひねってかわしたが防戦一方だ。
不思議と、敵の動きは見えていた。次にどこを狙ってくるのか、身体が勝手に反応する。あの夜と同じ、奇妙な感覚だ。
だが、見えていても――倒せない。
盾でいくら相手の攻撃を防いでも、こちらから攻撃を仕掛けられないのでは、じりじりと体力が削られていくだけだ。だんだんと腕が痺れてきた。
(このままじゃ、まずい……)
簡単な獲物だと思った相手に手間取り、いらだったのか、魚顔の魔族が、大上段に青龍刀を振りかぶった。会心の一撃狙い。その分、隙も大きい。
サイラスは、前に踏み出した。
刀の軌道の、内側へ入り込む。盾を持った右手を――盾の縁を、魔族の喉笛めがけて、全身の力で突き上げた。
どごっ、と鈍い音。魔族の顎が跳ね上がり、黄色い舌がだらりと垂れる。
「グガァ……ァ」
(ひるんだ。いまだ!)
盾を地面と平行にして胸の前へ。サイラスは身体を思いっきりひねり、よろめいた魔族の腹部めがけて、渾身の一撃を叩き込んだ。
鱗が砕け、黒い血が飛び散る。魔族はどうっと崩れ落ちた。
すぐさま、その身体は黒い灰へと変わり、さらさらと風のなかに消えていく。後には、小指の爪ほどの、血のように赤い石がひとつ残された。
「……はぁっ……はぁっ……」
サイラスは、その場にへたり込んだ。盾を持つ手が、まだ震えている。腕も肩も、感覚がなくなるほど痺れていた。
(勝った。けど……)
(声が、聞こえなかった)
危ないときには、いつだって助けてくれた、あの声。それが今日にかぎって、うんともすんとも言わなかった。
もし、あの魔族がもう何体かいたら。あるいは、魔将だったら。
(僕はたぶん、死んでた)
ぞっと、背筋が凍りついた。
盾ひとつで戦って、嫌というほど思い知った。自分には、力が足りない。
今日のように、いつスキルが使えなくなるかわからない。頼りきりのままでは、いつかきっと、みんなを守りきれなくなる。
(強くならなきゃ。スキルがなくても、ちゃんと戦えるように)
盾を握りしめ、サイラスは立ち上がった。
剣聖の里。そこには、剣の達人がいるという。手に入るのは、勇者の剣だけじゃないはずだ。
サイラスは息を整え、魔晶石を拾うとなんでもない顔をつくって、仲間たちのところへと引き返した。
(心配かけたくないしな。魔族のことは、みんなには黙っておこう)
◇
サイラスが戻ってくると、一行は東に向かってふたたび歩きはじめた。
それと同時に森のほうから飛んできたパールが、音もなくマルバンの肩に舞い降りる。
「それにしても盾だけで、デルギフトを倒してしまわれるとは。さすがは我らのご主人さまであります。三種の神器をすべて手に入れたら、いったいどれだけの強さになってしまわれるのか。いまから我は楽しみであります」
「はい、さすがはサイラスくんです」
サイラスの隣で、宝石のような瞳を輝かせて、エミルがマルバンの言葉に乗っかってくる。
「……あのレギウスの子孫の辺境伯とかいう小娘が、三種の神器を集めて人族の王に勇者と認めてもらえなどと言っていましたが、王なぞに認めさせずとも、我が主さまこそがこの世にただひとり、真の勇者なのです」
エミルの後ろを歩くラツィも、サイラスを眩しそうに見つめながら続ける。
盾だけで戦い、魔族に苦戦したサイラスは、居心地が悪くて会話の流れを変えたくなった。
「ところで勇者の剣って、どんな剣なんだろうね」
サイラスは無理してニコニコしながら、頭のなかで“TVゲーム”に出てくるような派手な装飾の剣を思い浮かべた。勇者の剣なのだから、きっとすごくかっこいい剣にちがいない。
「……くくくっ、わたくしは四百年前に主さまが持っているのを見たことがありますが、どんな剣なのかは見つけてからのお楽しみということにしておきましょう」
ラツィが楽しげに小さな赤い唇を歪めて微笑む。
「それじゃあ、勇者の剣を探しに剣聖の里まで行こう!」
晴れわたる初夏の空の下、心のなかの曇り空を知られないように、サイラスは仲間たちを笑顔で振り返った。




