1-44 色仕掛け作戦
ベガリア辺境伯ソフィアと別れたサイラスたちは、剣聖の里を目指して、ふたたび街道を東へと進みはじめた。
サイラスの斜め後ろが定位置になったラツィは、金色の髪をした少年の横顔を見つめながら、デルギフトとの戦いのことを思い返していた。
魔界から自分を連れ戻しにきた千人殺しの第三魔将を、サイラスは倒してくれた。それだけではない。デルギフトの猛毒に侵されたマルバンの生命まで救ってくれたのだ。
マルバンはラツィたちの父――第四魔王国アルージュの魔王アノンの執事で、ラツィとセフィが生まれるずっと前から父に仕えていた。ラツィたち双子の姉妹にとっては、育ての親のような存在だった。
八百年前に父が勇者レギウスに倒されてから、アルージュでは長い戦乱の時代が続いた。そして、第一魔将ベタクロフがすべてを制したとき、ラツィたちの本当の苦難が始まった。
捕らえられたラツィは、ベタクロフに双子の妹を殺すように命じられた。拒否すると、あの怪物は見せしめにセフィの身体を鋼の鞭で打ち、ぼろぼろになるまで痛めつけた。
セフィは耐えきれず、ラツィと一体になった。ひとりになってからも、ベタクロフの異常な執着は変わらず、地獄のような毎日が続いた。
その悪夢に終わりを告げたのは、マルバンとパールだった。たったふたりで危険な救出作戦を敢行し、姉妹を城の外へ連れ出したのだ。
(マルバンを助けてくれて、本当にありがとう。我が主さま。それにわたくしのことも……)
エミルとソフィアがデルギフトに囚われ、ラツィが自分を差し出そうとしたとき、サイラスはこう言ってくれた。
『ラツィ。大丈夫だ、心配するな。おまえがそれを望むなら、僕はおまえの勇者になってみせる。おまえをあんな奴にはわたさないし、ふたりは必ず、僕が助ける!』
ラツィは心の奥に、ぽつりと小さな花が咲くように温かいものが生まれるのを感じた。
それにサイラスの横顔を見ていると、なぜだか胸が高鳴る。
人族よりも遥かに長く生きてきたが、ラツィには自分のなかに生まれたこの気持ちがなんなのかわからなかった。
力がすべての魔界には、“恋愛”などというものは存在しない。欲しいものは力づくで奪う。それが魔界の掟だ。魔族に人族と同じような愛情があるとすれば、それは家族の間だけ。ラツィが信じられるものも、マルバンを含めた家族だけだった。
家族以外の者を大切に想うなんて、ラツィは考えたこともなかった。
(なぜ、わたくしの胸はこんなにドキドキしているのでしょう?)
ラツィはサイラスのことが気になって仕方がなかった。
ベタクロフは真性のサディストだったが、幸いなことに性的不能者だった。おかげで、ひどい拷問こそ受けたものの、お姫さま育ちのラツィは男と女のそういったことには疎いままだった。
『姫さま、男と女というものは、くっつけば仲良くなれるのであります』
マルバンは自信たっぷりに、そう言った。
マルバンに言われるがまま、ラツィはサイラスにくっつく“色仕掛け”を繰り出してきたのだが、最初はなんの意味があるのか正直よくわからなかった。
でも、サイラスの反応を見ているうちに意外と効いているのではないか? と思いはじめた。自分やセフィがくっつくだけで、サイラスは顔を赤くして目をそらすのだ。
(くくくっ)
その反応が可愛らしく思えて、もっとくっつきたくなってくる。
なんと言っても自分とセフィは、魔界一美しいといわれた“魔王国アルージュの至宝《魔王アノンのふたつの宝石》”なのだ。人族の男のひとりやふたりを虜にするぐらい、わけもないことだ。
(我が主さまがわたくしの魅力でメロメロになるのも、あとすこしのようですね)
そう考えると、なんだか幸せな気分になってくる。さっきは、サイラスが助けてくれないかもしれないなどと余計な心配をして損をしてしまった。
この金髪の少年は、きっとこれからも自分たちのことを助けてくれるだろう。なにも心配することなどなかったのだ。
(わたくしたちは魔族だというのに……主さまは……)
魔界には上下の関係しかなかったから、ラツィには仲間という感覚がわからない。でも、四百年かかったが、自分たちはやっとサイラスの“しもべ”にしてもらえたのだ。
(主は強くなければなりません。主はしもべを守るものなのですから)
父が勇者に倒されてから、ラツィはずっとひとりで妹を守ってきた。だが、第四魔将であるラツィ自身を守ってくれるような存在は、何百年も失われたままだった。
もう長い間忘れていたが、自分のことを守ってくれる人がいる。それは、なんて心地がよくて、素敵な気分なのだろう。
ラツィの張り詰めていた心が安らいで、ぽかぽかしてくる。幼いころに父に守られていた、あの懐かしい感覚を思い出していた。
(やはり我が主さまは、わたくしが仕えるべき、ただひとりのお方です)
「ニコニコして、どうしたんだい?」
サイラスに話しかけられて、ラツィははっとした。知らないうちに笑顔になっていたのだ。
ちょこちょこと近づいて、サイラスの右腕にぎゅっとしがみつく。
「ら、ラツィ!?」
すこし控えめな双丘を腕に押しつけられて、サイラスが裏返った声を上げた。サイラスの顔がみるみる赤くなっていく。
ラツィはサイラスを潤んだ金色の瞳で見上げた。
「……左手には盾を持っているではありませんか。だから、右手はラツィのものです」
人形のように整った顔をした魔族の美少女は、薔薇の花のような笑顔をサイラスに向けたのだった。




