1-40 デルギフト
「きゃぁっ!」
「みんな、僕の後ろに!」
盾を構えてサイラスが叫んだ。辺境伯とその護衛の女騎士も、サイラスの後ろに慌てて隠れる。
「ははは、簡単には殺されてくれないか。僕の触手を盾で受け流すなんて、さすがは勇者といったところだね」
緑色の樹木のような魔族は愉快そうに両手を広げながら、こちらに歩いてくる。
「……デルギフト……なぜ、第三魔将のおまえがこんなところに!?」
「やあ、ラツィ、久しぶりだね。そんなの決まってるじゃないか。ベタクロフに頼まれたんだよ。君を連れて帰るようにってね」
デルギフトと呼ばれた魔族は、嬉しそうにニタニタと笑っている。
「……ベ、ベタクロフ…………」
そうつぶやくと、ラツィの顔から血の気が引いていった。両手で自分の身体を抱きしめ、怯えたように震えて、その場にしゃがみ込む。
(ラツィ、どうしたんだろ……?)
「だから、さっさと魔界に戻ってくれよ。奴は本当に君にご執心なんだ。君が戻ってくれないとアルージュ中の魔族の女が、君の妹みたいに奴にバラバラにされてしまうよ」
ラツィの肩が、びくりと動いた。
「僕らは壊すのは得意でも、治すのは苦手だからね。ラツィ、君は丈夫なのがいい。魔将とは名ばかりの弱っちかった君の妹と違って、君は奴が遊んでもなかなか壊れないからね」
「な、なんなんですか、あれは……」
辺境伯ソフィアは震え上がって縮こまった。
「はじめまして、勇者殿。僕は千人殺しのデルギフト。魔王国アルージュの第三魔将さ。さっきの挨拶は申し訳なかった。でも、今日は君と戦うために、ここにきたわけじゃない。素直にその女――ラツィだけを差し出してくれれば、君たちのことは見逃そう。君たちだって、なにも魔族の女をかばう必要はないだろう?」
ラツィはデルギフトの言葉に、はっとなり青ざめた。そうなのだ。サイラスは人族の勇者。いざとなったら、魔族である自分たちのことまで守る必要なんてないのだ。
なぜ、そんなことにも気づかずに、四百年もの間、彼のことを待っていたのだろうか――。
◇
四百年前、ラツィは勇者を探して、初めて人族の世界――人界にやってきた。
しかし突然、乱暴な人族に襲われ、自分でも対処できないわけではなかったが、人族を殺せば後々面倒になる。そうためらっていたところを、たまたま通りかかったサイラスたちが助けてくれた。
この勇者なら、ふたりだけでは逃れることのできない運命から、自分と妹を解放してくれるかもしれない。ラツィは希望を抱いた。
だが、魔王を倒した後、サイラスはラツィの目の前で煙のように消えてしまい、彼女の希望も消えてなくなった……。
そして、悪夢は現実となった。最悪の男――第一魔将ベタクロフによって魔王国アルージュが支配されてしまったのだ。ふたりは魔王城から逃れたが、多数の追っ手が放たれた。
長い間、ラツィたちは必死に逃げつづけた。だが、そばに仕える者たちのなかから裏切る者が後を絶たず、ふたりは追い詰められ、とうとうその魔の手に捕らえられてしまった。
魔王の娘だったふたりに対するベタクロフの責め苦は苛烈を極めた。毎日、何時間も拷問は続き、気絶しても水をかけられて起こされた。
ラツィよりもずっと弱かったセフィの肉体は、すぐにめちゃくちゃにされ、元通りに修復することもできなかった。ぼろぼろになったセフィの身体に、ラツィは泣きながら駆け寄り、抱きついた。
(セフィ! セフィ! わたくしをひとりにしないで……わたくしをおいていかないでっ!!)
妹を想う姉の懸命な願いが、ふたりを不憫に思った何者かに届いたのだろうか――気づけばラツィは、セフィの魂を自分の肉体に取り込んでいた。ふたりはひとつの身体を共有するようになった。
ひとりになっても責め苦は終わらなかったが、ラツィは壊れなかった。
いつか、ここから逃げ出し、勇者を連れて戻ってくる。妹の仇を取るのだと、ラツィは自分に言い聞かせ、潰れてしまいそうな心を無理やり奮い立たせた。
(魔王すら倒した勇者ならば、必ず奴のことも倒せる……)
やがて、マルバンとパールによって、ラツィは無限に続くかと思われた地獄の日々から救い出された。
復讐を胸に秘め、四百年後にあらわれるという勇者サイラスを探すために、ラツィはふたたび人界にやってきたのだった。
◇
「そうそう、アルージュの魔王派の魔将たちのほとんどは、この僕がひとりで殺したんだよ。だから、僕は“千人殺し”のデルギフトと呼ばれているんだ。たとえ勇者といえど、そんなにたくさん足手まといを抱えて、この僕から全員を守りきれるのかな?」
「姫さま、お逃げくださいでありますっ!」
いきなり、マルバンがラツィを背中にかばい、デルギフトに挑みかかった。だが、マルバンが敵に近づくよりも速く、その肩をデルギフトの触手が貫いた。
マルバンはサイラスの前に転がるように倒れ、口から泡を吹き、がくがくと大きく身体を痙攣させた。
「いやぁああっ、マルバンッ!」
ラツィは忠実な執事に駆け寄り、泣きながら、どくどくと血があふれてくる右肩の傷口を両手で押さえた。マルバンの顔色が紫に変わっていく。
「大丈夫、大丈夫。毒はすこし弱めたから、即死はしないよ。ちゃんと苦しんでから死んでもらわないとね。なんせ雑魚のくせに、この僕に歯向かおうとしたんだから」




