1-37 魔王国アルージュ
不気味なほど、空は真っ赤だった。
太陽も月も星もなく、ただただ赤く発光している。昼と夜の区別はなく、一日中、薄暗い。
血が固まったかのように赤黒い大地はところどころがひび割れ、灼熱の溶岩が噴き出している。気温は一年中高く、四季の変化もない。植物はほとんど育たず、魔獣は魔獣を食べることで生きながらえていた。
ここは人間の住む世界の地下深くにある魔界。そのなかでも第四魔王国アルージュと呼ばれる場所だった。
見わたす限り平らな荒れ地に、ひときわ高い丘がある。その上に黒々として禍々しい巨大な城が築かれていた。
魔王城である。
本来の主が不在の魔王城の広大な中庭に玉座を置き、その上にふんぞり返る一体の魔族がいた。
魔王国アルージュの第一魔将――八百年に及んだ戦乱を制した怪物、ベタクロフである。背丈は十メートルもあろうかという巨体が、玉座に窮屈そうに収まっている。
身体だけでなく態度もひときわ大きい豚顔の魔族の左右には、何体もの魔族たちが静かに直立していた。
そんななか、ベタクロフの前に、三メートルほどの真っ赤な翼をした怪鳥が畏まっている。ラツィの配下のアロネスだ。
いや、元配下と言ったほうが正確だろう。
「ベタクロフ陛下に謹んでご報告申し上げます。陛下がお探しの反逆者ラツィは、人界にて勇者と思われる者と接触いたしました。私のスキルで、いつでもラツィの居場所までご案内できます」
「ゆっ、勇者ですとっ!」
ベタクロフの右側に立っていた魔族がわめいた。
ベタクロフは無言でその魔族の顔をつかみ、持ち上げると、
「ががっ、ベ、ベタクロフさま――」
そのまま、迂闊な魔族の頭を柔らかな果物かのように握りつぶし、身体を後ろに放り投げた。控えていた女の魔族が慌てて、ベタクロフの右手の血を布でぬぐう。
「ブフ、第三魔将デルギフトをここに呼ぶのだ。奴を人界に送る。アロネスよ、おまえはデルギフトにラツィの居場所を案内せよ」
ははっ、と言い残して、真っ赤な怪鳥は音もなく飛び去った。
(ブフフフ。やっと、ラツィの居場所を突き止めたぞ。あの娘の配下の怪鳥に魔将の地位を約束して、寝返らせた甲斐があったというものだ)
ベタクロフは満足げだった。第三魔将のデルギフトなら、必ずラツィを連れ戻すことができるだろう。ラツィは第四魔将だが、数字がひとつ違うだけで、魔将たちの実力は倍違うとさえいわれている。
「ラツィよ。早く、余のもとへ戻ってこい。おまえのその美しい顔が苦悶に歪むのが目に浮かぶぞ。泣き叫ぶ声をまた余に聞かせるのだ。毎晩と言わず、壊れるまで何日でも何日でも、一日中ずっと可愛がってやろう。寝かせはせんぞ。ブハハハハハハ」
ベタクロフは、ラツィをどんな責め苦でいたぶり尽くしてやろうかと想像しただけで、その豚顔の口からよだれが垂れるのを抑えられないのだった。
◆
アルージュの第三魔将デルギフトの身長は五メートルほど。魔将のなかでは小柄なほうだ。肌は緑色で、頭から木の枝のような細長い触手が十三本生えている。
身体もたくましいとはいえず、遠くから見るとひょろ長くて、上だけが茂った奇妙な樹木のようだった。
体格に比例して戦闘力も魔将としては並以下。十二体いた兄たちからは、子供のころから見下されて育った。
デルギフトの父はアルージュの第八魔将だった。一桁台の魔将は魔界ではエリート中のエリートだ。広大な屋敷を持つことを許され、従う部下も多い。
だが、身体の小さな末の息子に父はまったく期待していなかった。常にがっかりしたような目を向けられ、言葉をかけられることもない。デルギフトは兄たちだけでなく、父のことも大嫌いだった。
体格に優れた兄たちは戦闘系のスキルを持ち、父のように一桁台の魔将になるのだと競い合っていた。しかし、デルギフトに与えられたスキルは《毒》。それも兄たちに馬鹿にされる理由のひとつだった。
成人と呼ばれる年齢になっても、デルギフトの身体は小さいままで、力も兄たちのように強くはならなかった。
屋敷にデルギフトの居場所はなかった。
だが、デルギフトもあきらめてはいなかった。いつか父や兄を見返すために、自分のスキルを強化する努力を惜しまなかった。
最初は小さな魔獣から始め、すこしずつ大きな獲物を殺せるように、毒が強くなるように念じながら、毎日毎日、何匹も何匹も殺しつづけた。
デルギフトの毒は、頭から生えた十三本の触手の先端から分泌される。
常に触手を速く、遠くまで伸ばせるように特訓を続け、やがて自由自在に操り、数十メートル先まで届くようになっていた。
ある日の晩。いつもと同じくデルギフトは、父と十二体の兄たちとともに食卓を囲んでいた。これもいつものことだったが兄たちは自分のスキルを自慢し、デルギフトのスキルをあざけりはじめるのだ。
「まったく、毒なんてスキルは卑怯で恥ずかしいよな。魔将ならば、やはり父上のように力で相手をねじ伏せなければ」
「ああ、俺たちの兄弟にそんな情けないスキルを持つ者が生まれてくるとは――」
それは一瞬の出来事だった。
沈黙が食卓を支配した。満面の笑みを浮かべるデルギフト以外に、声を出せる者はもうその場にいなかった。
デルギフトの頭から伸びた触手が、父と十二体の兄たちの胸を同時に貫き、核を砕いていた。
全員、即死だった。
デルギフトの毒は、それほどまでに強くなり、触手は鋼鉄をも貫けるほどに硬くなっていた。だが、特筆すべきはその速さだった。油断していたとはいえ、第八魔将の父が反応すらできずに一撃で仕留められるほどの速度に達していたのだ。
その後、魔王が勇者に倒され、アルージュに戦乱が吹き荒れた。デルギフトは早々にベタクロフの軍門に降り、配下として敵を殺しまくった。
そして、“千人殺し”の異名と第三魔将の地位を得た。
デルギフトは相手の強さを冷静に判断できる男だった。いかに自分の毒が強力だとしても、ベタクロフにはかなわないと悟っていた。
だから、人界に行ってラツィを連れ戻せなどという面倒な命令をされても、嫌だとは言わなかった。決して尊敬しているわけでも慕ってもいなかったが、ベタクロフは絶対に“逆らうことのできない”相手なのだった。
それに、他の者には難しくても、ラツィを捕まえるくらい、自分には朝飯前だ。それほどまでに、デルギフトは自らのスキルに自信を持っていた。
デルギフトの前に真っ赤な翼の怪鳥アロネスが静かにとまっている。ラツィのもとへ案内するためだ。
「まあ、奴の“お気に入り”のあの小娘を捕まえてくれば、ベタクロフもすこしは大人しくなるだろう」
デルギフトは不気味な笑みを浮かべた。




