1-29 8(ユイ)
翌朝、サイラスは日の出とともに目を覚ました。
「エミル?」
近くに寝ていたはずのエミルの姿がない。
(先に起きて、朝食の支度でもしてくれてるのかな?)
なにかあったなら物音で目が覚めたはずだし、遠くには行っていないだろう。サイラスはとくに心配はしなかった。
一方、魔族たちの寝起きは悪かった。
昨日はエミルに怒られた後、あっさりとラツィは寝てしまった。あれだけ早く寝たのにまだ起きない。
マルバンも木の根元にもたれ、行儀よく膝をそろえたまま目を閉じていた。頭上の枝では、パールが羽毛に首を埋めて丸くなっている。
(よっぽど疲れてたのかな。魔族って、よく寝るんだな)
サイラスが近づいても、ラツィに起きる気配はまったくない。あどけない寝顔ですやすやと眠っている。うっすらと開いた小さな赤い唇の隙間から寝息が漏れていた。
(おとなしくしていれば、本当にお人形さんみたいで綺麗なんだけどな)
「……むにゃ、大きければいいのですか? 我が主さま」
「!?」
(寝言か……心臓に悪い)
そういえば、昨日はセフィにも驚かされた。ラツィとまったく同じ顔なのに、性格は全然違って完全に別人に見えた。ひとつの身体をふたりで共有しているだけでも信じがたいのに、瞬時に入れ替わり、体型まで変わるなんて。
『我が主さまは、どちらのほうが好みですか? わたくしとセフィ』
昨日のラツィの言葉を思い出し、サイラスは思わず頭を振った。
(絶対にラツィは僕のことをからかって、楽しんでるな……)
まだ辺りは薄暗かったが、サイラスは川に向かうことにした。昨日、ラツィたちに襲撃されて、結局、水浴びができなかったのだ。出発前に汗を流しておきたかった。
サイラスが服を脱いで川に入ると、昨日魚を捕った岸の近くよりも川の真ん中はかなり深くて、水は腰より上まであった。すこし冷たかったが、流れは穏やかだった。
汗を流し、頭まで水に浸かると、なんだか泳ぎたくなってきた。川の流れに沿って、北に向かって泳いでみる。
ゆっくりとすこしだけ泳ぐつもりだったが、サイラスの身体能力では、ひとかきでもかなりの距離を進んでしまった。
(あんまり離れすぎるとまずいな)
ふっと足をついて水面から顔を上げる。するとサイラスの目の前には、まったく想像もしていなかったものがあった。
(っ!?)
朝の優しい日差しに照らされて眩しく輝く、少女の一糸まとわぬ後ろ姿――。
髪を洗っていたのか、美しい栗色の髪は肩から前のほうに流されていて、背中からくびれた腰のラインまではっきりと見える。
しなやかで瑞々しい姿。透き通るような白い肌に、ほんのりと赤みが差して、若々しく健康的だ。
(天使……?)
その美しい裸体の主が誰なのかに気づいて、サイラスの鼓動が跳ね上がった。罪の意識を感じながらも、目をそらすことができなかった。
ふと、少女の左肩に小さなあざがあるのに気がついた。サイラスの人間離れした視力でなければ見つけられないほどに小さなものだったが、文字のようにも見える。
(“8(ユイ)”……?)
最近、どこかで似たようなものを見た気がする。サイラスが左肩のあざを見つめていると、両腕で豊かな胸を隠すようにして、エミルが振り返った。
目が合った――。
エミルは驚いた顔で水のなかにしゃがみ込んだ。それでも、大きな声は出さなかった。
「はう。驚かさないでください、サイラスくん。突然、後ろにいらっしゃるから、びっくりしました」
深い緑の大きな瞳が下から見つめてくる。でも、そこにサイラスを咎めるような色はなかった。
「ごめん、エミルがいるとは思わなくて。水浴びしてたら、泳ぎたくなっちゃって」
(我ながら言い訳が苦しい。完全に覗きだと思われても仕方ない状況だよね……)
「後ろを向いててください」
エミルは、くすくすと優しく笑うと、子供みたいですと言って、川岸のほうに歩いていく。
(子供扱いされちゃった。でも、怒られなかったってことは……許してもらえたのかな?)
サイラスは赤い顔をしながら、エミルに言われた通りに後ろを向くと、泳いできたほうに戻っていった。
エミルは服を着ながら、川のなかを帰っていくサイラスの後ろ姿を振り返った。
(背中、見られちゃいました……)
恥ずかしそうに目を伏せると、白い頬が赤く染まっていく。
(ラツィたちに襲われたときも裸でしたけど、あのときはすぐにしゃがみましたし、遠かったから見えなかったですよね……?)
そんなことを思い返したが、エミルは不思議と嫌な気持ちはしなかった。気を取り直して、急いで朝食の支度に戻ることにする。
(食材も道具も限られていますから、ここではたいしたものは作れませんけど。サイラスくんには、もっと美味しいものを食べさせてあげたいです)
エミルはサイラスのために食事を作ろうと考えるだけで、なぜだか幸せな気持ちになるのだった。




