1-26 パール
私は勇者が嫌いだ。憎んでさえいる。殺せるものならこの手で殺してやりたい――。
四百年前、初めてあいつを見たあの日のことを、私はいまでもはっきりと覚えている。
その日、私たちは魔界から黄金の魔王ギリヨンとともに進軍し、人族の国――ベガリア王国の王都を占領するために、ある作戦をおこなった。
その作戦とは、隠密に優れた部隊が勇者の仲間のひとりをさらって、城から離れた奈落まで連れていき、勇者を誘い出すというものだった。あいつは簡単にその罠に引っかかった。
私たちは、勇者が留守にしたベガリス城を襲った。
城を守っていた人族たちは弱かった。本当に弱かった。命乞いするものどもを蹴散らし、あっという間に城を占領してしまった。
人族たちは城にいた王族を逃がそうとしていたようだが、大人も子供も全員捕まえて中庭に集めた――。
皆殺しだった。
第一魔王国ギドレの魔王軍一万は、ベガリス城を拠点にして、勇者を迎え撃つことになっていた。
そこにあいつ――勇者が戻ってきた。たったひとりで、お供も連れずに。
それは、勇者と呼ぶにはいささか貧弱な少年に見えた。
父を魔王に殺され、代わりに勇者にさせられた少年。
勇者の代替品――。
仮初めの勇者――。
その青白い顔をした少年が、魔王と戦えるとはとても思えなかった。弱そうだと思った。私たちは警戒しすぎたのではないか? わざわざ罠を仕掛ける必要なんてなかった。
他の魔将たちも笑っていた。
勇者といっても所詮は人族の少年。父の復讐に燃えていたとしても、私たち魔族にかなうわけがない――と、その場の誰もが思っていた。
あざける魔族たちの前で、あいつが名乗りを上げた――。
「俺は勇者ライアスの息子、サイラス・アルタイリ・セットリア。おまえたちをここで殲滅する者だ!」
その声には怒気があふれていた――辺りがびりびりと震えた。
そのときだ。あいつの身体から白い閃光が走った。
目の前が真っ白になった。
なにが起こったのか、まったくわからなかった。
次の瞬間、魔将よりも格下のものたちは、その閃光に包まれて消し飛んでいた……。城のなかにいたものも、城を取り囲んでいたものもすべてだ。
私の頭は恐怖でいっぱいになった。
逃げようと身体を動かしかけた刹那、今度は空から、ものすごい雷が数え切れないほど落ちてきた。城中に轟きと魔族の悲鳴が響きわたった。
魔将たちは消し炭になっていった。辺りには白い煙と焦げ臭い匂いが充満していて、目を開けているのもやっとだった。
私は雷の直撃はまぬがれたものの、倒れて、ただその悪夢のような光景を見ていた……。
勇者からあふれる白い光が、全身を包む白い鎧に変わっていった。顔を覆った兜の隙間から、怒りに燃える真紅の瞳が光っているのが見えた。
炎に包まれる城のなかで、勇者は一度だけ、その手の剣を振るった。
一瞬、真っ暗な空を背景にして、月まで伸びる巨大な白い光の鎌が見えたような気がした。
吹き抜けになった城の中庭で待ち構えていた魔王は――勇者の背丈の十倍以上もあろうかというその巨体は、剣のひと振りで真っぷたつになっていた。
悲鳴すら上げる暇はなかった。
瞬殺だった……。
あんなの卑怯だ。むちゃくちゃだ。あんなに強い人族が存在していいわけがない。
魔王を含む魔王軍一万は、たったひとりの人族に一瞬で滅ぼされてしまったのだ……それは、一方的な虐殺だった。
あのときのあいつの憎しみのこもった目が忘れられない。
あいつは勇者なんかじゃない……。あいつは死神だ。
人族が魔族を蔑視して、悪魔と呼ぶことがあると私は知っている。だが……あいつこそが悪魔だ。私はあいつをこう呼んでやる“白い悪魔”と。
その後、私は姫さまの居城で目を覚ました。
何日も寝ていたようだ。ひどい火傷で意識もなく、動けなかった私を姫さまが運んでくれたのだ。
あの日、姫さまは魔王ギリヨンと勇者の戦いを見にきていたそうだ。私たちの軍団に気づかれないように、すこし離れた場所にいたのがよかったらしい。巻き込まれずにすんだのだ。
勇者たちが去った後、廃墟となった城のようすを調べにきて、私のことを見つけて助けてくれた。
生き残ったのは、私ひとりだけだった……。
別の魔王国の配下だった私なんかにまで、姫さまは優しかった。高価な薬を使い、怪我が治るまで手厚く世話をしてくれて、あろうことか姫さまの国に残ってもいいとまで言ってくれた。
私は弱い――私は魔王国ギドレの魔将とはいえ、序列は下から二番目の第二十六魔将なのだ。
ギドレは魔王が倒されたことで、生き残った上位の魔将たちが国の支配をめぐって争い合い、血で血を洗うような抗争が巻き起こっていることだろう。
それは魔王が復活するまで何年も何十年も、いや何百年も続くことだろう。
私ごときの強さでは、生き残るのが難しいことを私自身が誰よりもよくわかっていた……。
あの日、私は死んでいてもおかしくなかった。だが、姫さまに救われた。ならば、この生命はもう姫さまのものだ。
私は弱い。だが、知恵と知識なら姫さまの役に立てるかもしれない。私は腕力ではなく、自分の知力だけでこれまでも生き抜いてきたのだ。
もし、またあの勇者と戦うことになっても、私は逃げない。
私の生命を捧げてでも、姫さまだけは守ってみせる。
そう、誓ったのだ――。
私の名はパール。元魔王国ギドレの第二十六魔将だ。私は国を捨てた。いまの私は姫さまの忠実なるしもべなのだ。




