1-19 サイラスくん
ふたりが身支度をして部屋から外に出ると、時刻はもうお昼近くになっていた。
サイラスたちが泊まった木賃宿の一階には、薪代を払えば自由に使える厨房があった。エミルが食事を作ってくれると言うので、サイラスはひとりで厨房の前の粗末な木のテーブルに座って待っていた。
顔が熱い。額にはまだ、エミルの胸の柔らかい感触が残っている。
サイラスは昨晩、森のなかでエミルを抱きしめたときから、エミルのことをとても特別で大切な人のように想っていた。
まだ出会ったばかりなのに、ずっと前から好きだったような、不思議な気持ちだった。
それなのに――。
「ああっ、もう!」
なんで、自分はあんなにぼろぼろとエミルの前で泣いてしまったのだろうか。顔から火が出そうで、できることなら穴を掘って、そこに顔をつっこみたかった。
(女の子の前で男が大泣きするなんて……小さな子供でもあるまいし)
きっとエミルは、自分のことをメソメソして情けない、弱い男だと思ったに違いない。涙の理由は自分でもわからない。なにかすごく嫌な夢を見たような気がする。
エミルがどこか遠いところに行ってしまうような、もう二度と会えないような、そんな夢だったかもしれない。
目が覚めて、エミルがそばにいることを確認した後でも、喪失感は消えなかった。胸の奥が痛くて、涙が止まらなかったのだ。
薪を抱えた宿の主人らしき老人が、テーブルの横を通りかかった。厨房のエミルとサイラスを見比べて、にやりと笑う。
「新婚さんかい、兄さん。いいねえ」
「し、新婚!?」
サイラスが言い返すより早く、老人は鼻歌まじりに裏口へ消えていった。
(……否定しそびれた)
サイラスがちらりと厨房のほうに視線をやると、てきぱきと料理を作っているエミルと目が合ってしまった。エミルの瞳がすっと細まり、ほんのり頬を赤く染めて微笑んでくる。
サイラスは慌てて目をそらす。心臓がうるさい。今日もエミルはすっごく可愛い。鍋をかき混ぜるしぐさにすら、ただの村娘とは思えない上品さがある。
(見てるだけで、ドキドキしてくる……)
ふと気になって、サイラスは自分の手のひらを確かめた。鋭い石の欠片が刺さったところは傷がふさがり、痕も残っていない。魔族が消えた後、そうするべきだという気がして、エミルの頬に手をかざしたときにも、彼女の傷を治すことができた。
(僕には、なにか不思議な力でもあるのか……?)
サイラスが手を見つめていると、エミルが遅い朝食の用意を終えて、美しい栗色の髪を揺らしながら、こちらにやってきた。
「お待たせしました。干し肉と乾燥したお豆と簡単な野菜しかありませんでしたので、お口に合うかわからないんですけど……具沢山のスープを作ってみました」
エミルはふわりと笑いかけながら、サイラスの前にスープの皿と保存食の固いパンを置いた。食材はコロネが持たせてくれたもので、調理道具やスパイスも一式、エミルの荷物に入っていた。
にこにこと微笑みながら隣に座ったエミルの横顔に、思わず見惚れてしまう。深い緑色の大きな瞳を彩る長い睫毛。ただそこにいるだけで、エミルは絵画のように美しかった。
「ありがとう。お腹ぺこぺこだよ」
サイラスは照れ隠しのように、目の前のスープに口をつけた。
「!? このスープ、すごく美味しいよ、エミル!」
優しい味わいなのに、香りも深みも豊かで、乾燥させた素材だけで作ったとは思えない。お世辞抜きの美味しさにサイラスは驚いた。コロネが厳しく仕込んだと言ったのは本当なのだろう。
「お口に合ったみたいでよかったです」
エミルが弾けるような笑顔で、サイラスを見つめてくる。
「それで、これからどうされますか? 勇者さま」
サイラスはエミルの胸で泣いたことを思い出し、頬が赤くなるのを感じて顔をそらした。
「そ、その勇者さまって言うのやめてくれないかな? 他の人に聞かれたら恥ずかしいし。僕が本当に勇者なのかもわからないし……」
「……昨日はエミルだけの勇者になるとおっしゃってくださいましたのに……」
エミルは、すこし甘えたような声で、珊瑚のような桃色の唇を尖らせた。
「あ、あのときは無我夢中だったと言うか、なんと言うか……」
「ふふっ。それでは、なんとお呼びすれば?」
「サイラスで、いいよ」
「……サイラスさま?」
「さま、なんてつけなくていいよ。ただのサイラスで」
「呼び捨てなんて……そんな。それでは……さ、サイラスくん……」
エミルはすこし恥ずかしそうに、頬を朱に染めてうつむいた。練習するように、小さな声で「サイラスくん」ともう一度、つぶやく。
『勇者くん……』
どこからか、そんな声が聞こえた気がした。ぽろりとサイラスの目から、一筋の涙がこぼれた。
(あれ?)
サイラスは慌てて、ごしごしと自分の目をこすってごまかすと、エミルに笑いかけた。
「うん、じゃあ、もうそれでいいよ」
「……サイラスくん、大丈夫ですか? また、涙が……」
「大丈夫、大丈夫。ちょっとスープが美味しすぎて感動しただけだよ」
「そ、そうですか……? そんなに美味しかったですか……?」
エミルはすこし心配そうな顔をしていたが、サイラスの言葉を信じたのか、照れたように笑った。
「記憶喪失勇者」1-19を読んでいただき、本当にありがとうございます!!
さいらすと申します。
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※『勇者レギウス ~最弱勇者と最強従者~』という小説も書いています。
※本編の800年前のお話です。
※リンクはあとがきの下にあります!
挿絵をChatGPTに描いてもらいました!
※この小説は執筆に一部、AIを使用しています。
・自身で執筆した文章をAIに改変させているが、再度全て自分で編集・改稿
・自身で執筆した文章の誤字・脱字チェック




