2-57 ベタクロフ
サイラスは、夕闇に染まりつつある空を見上げた。炎を噴き出していたラツィのユニコーン像が消えても、森のあちらこちらで、まだ、木々が激しく燃えている。
(火を消さなくちゃ……)
頭のなかに、ふっと、別のスキルが浮かぶ。サイラスは、両手を空にかざした。
「――《降雨》」
夕焼けの空に、見る間に灰色の雲が湧き上がった。雲はどんどんと厚みを増し、やがて――。
ぽたり。
最初の一滴が、サイラスの頬に落ちた。それを合図に、ざあぁッ、と音を立てて、燃え盛る森に雨が降り注ぎはじめた。
炎が、しゅうしゅう、と白い湯気を上げて消えていく。
雨が煤を洗い流し、焦げた木々の臭いを、すこしずつ薄めていった。ぱちぱち、と弾けていた炎の音が、ひとつ、ひとつ、聞こえなくなる。
サイラスはひとり、ため息をついた。
スキルの使いすぎか、頭がくらくらする。空にかざしていた両手を下ろし、今度は膝に置くと、顔が下を向いた。濡れた髪の毛の先から水滴が地面に滴り落ちる。
(ラツィは、もう森の外に着いたかな……)
「――貴様が勇者か……」
低く、ぞっとするような声が、強い雨音を押しのけて響いた。サイラスの背後、濡れそぼる木々の奥から、なにかが、近づいてくる。
「ブフフフ、せっかく取り戻した余の玩具を……よくも、奪ってくれたな……」
獲物を見つけたサディストの歓喜に近い、狂気じみた笑み。十メートルを超える巨体の持ち主。あらわれたのは豚顔の第一魔将、ベタクロフだ。両眼の奥に、怪しい光が渦巻いている。
(パールが言ってた魔将だ……。あの目だけは、見ちゃいけない)
「だが、ちょうどよい。人族の勇者を倒し、余が次のアルージュの魔王であるということを証明してくれようっ!」
サイラスは顔を伏せたまま、勇者の剣を静かに引き抜いた。
「ラツィは、おまえの玩具なんかじゃない」
「――《飛翔》」
ぬかるみを蹴り、サイラスの身体が宙へ跳ぶ。
豚顔が上を向くより早く、サイラスは、その頭上にいた。
振り下ろした刃が、頭から首までを、一気に切り裂いた。
◆
見渡すかぎり、草原だった。
澄みきった青が頭上いっぱいに広がり、風の気配すら感じられない。静寂が世界を支配していた。
その音のない景色の中心に――ひとつの影が立っていた。
大きな麦わら帽子の下から、純白の髪が背中まで流れている。花柄のワンピースの裾が、裸足のくるぶしをかすめている。
少女は、空を見上げていた。いや――正確には、晴れた青空のなかに、ひとつだけ切り取られたように浮かぶ、四角い窓を見ていた。
淡く揺れるその窓は“テレビ”のように別の空間のいまを映し出す。
映っていたのは、焼け跡のようになった森だった。
ざあぁ、と雨が降り注ぐなか、豚顔の魔将が、頭から縦一文字に切り裂かれて、巨体ごと、ゆっくりと地に倒れた。渦を巻いていた両眼から、光が消えていく。
その傍らに、白い剣を構えたまま立つ、ひとりの少年。
金色の髪。真紅の瞳。勇者サイラスが第一魔将ベタクロフを斬り伏せた、その直後だった。
少女は、まばたきもせず、その光景を、じっと見つめている。
「――ほう」
ふいに、少女の背後で声がした。
「あなたもアレに興味がおありなんですね……精霊神ルミナさま」
銀色の髪を後ろで束ねた長身の男が、いつの間にか、そこに立っていた。腰には、赤と黒、二振りの長剣。
ガーディアン ナンバーⅣ――キュリアン・マクナナス。
ルミナは、振り返らなかった。
「ここは、肉体のあるものが、ほいほいと来ていい場所ではないの」
抑揚のない、真っ平らな声。
「これは失礼。すこしだけ、お邪魔します」
キュリアンは、軽く一礼すると、芝居がかった足どりで、少女の隣まで歩み寄った。空の窓を、片目をすがめて仰ぐ。
映像のなかで、サイラスが、息を整えていた。雨に濡れた金髪が頬に張りつき、肩が大きく上下している。
「アレには、ずいぶんと、優しいじゃないですか」
ルミナの白い瞳は、空の映像から、一度もそれない。
「わたしは、あの子のなかにいる“化け物”と、ほんのすこし、つながりやすくしてあげただけ」
白い指先が、麦わら帽子のつばを、ちょん、と弾いた。
「あの子、壊れてるみたいなの」
キュリアンも空の窓のなかのサイラスを見つめながら、少女の話に耳を傾ける。
「……ううん」
少女は、小さく首をかしげた。
「壊れてるんじゃなくて――壊れた本物がどこかに隠れていて、偽物が表にでてる、そんな感じがするの」
「わたしも、偽物みたいなものだけど……」
キュリアンは、にっこりと笑って、少女へ視線を移した。
「アレは、こちらの戦力に、なりますかね?」
少女の答えは、すぐには返ってこない。
「三千二百年前に、別の世界から、この世界にあらわれて……十五年くらいで、何度も何度も転生を繰り返し、ずっと力を隠していたのに、突然、四百年前に、その力を爆発させた……」
「……」
「本当なら、別の世界で生まれた魂は……他の世界では転生できずに、死後、ただ、さまよいつづけるだけなの」
白い瞳が、一瞬だけ、窓のなかの少年をにらむように細められた。
キュリアンは、片方の眉を、すこしだけ持ち上げた。
「――アレは、いったい、なんなのでしょうか?」
「わからないわ」
長身のクルセイダーが、肩をすくめた。
「女神にもわからない、謎の存在……。敵か? それとも味方か? まあ、敵だったら殺すだけですが、いまのままでは、歯ごたえがなくて、つまらなすぎる――」
赤い剣の柄に、指先がかかった。
「もっと修行して、強くなってもらわなければ」
ルミナが、すこしだけうつむく。
「……あなたのスキルって」
白い指先が、足元の草を数本つまんで、放るように前に散らした。
「本当に、趣味が悪いの」
キュリアンは、声を立てて笑った。
「これは、あの方にいただいた、お気に入りのスキルですよ」
ニコニコと笑顔を浮かべたまま、銀髪のクルセイダーは、空の窓に向かって、ゆったりと、両手を広げる。
映像のなかでは、動かなくなったベタクロフの巨体を見下ろして、サイラスがほっと息をつき、剣を鞘に納めたところだった。
「さあ――」
うっとりとした声で、キュリアンがささやいた。
「イッツ、ショータイム……強敵相手に、本物の実力を見せてくれよ、勇者サイラス」
ルミナは、なにも言わずに、空の窓から目をそらした。
◆
突然、雨の降りつづく森の空気が、ぴんと張り詰めた。濡れた地面が赤黒く光り、脈打つように揺れはじめる。
倒れ伏したはずのベタクロフの巨体が、ぐにゃり、と不気味に蠢いた。肉塊は、のたうちながら膨れ上がり、丸く、なめらかに、形を変えていく。
ぴたりと動きを止めたそれは――まるで巨大な卵だった。
息をのむサイラスの前で、その表面に亀裂が走り、ぴしぴしと音を立てて割れはじめた。
「記憶喪失勇者」2-57を読んでいただき、本当にありがとうございます!!
さいらすと申します。
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※『勇者レギウス ~最弱勇者と最強従者~』という小説も書いています。
※本編の800年前のお話です。
※リンクはあとがきの下にあります!
挿絵をChatGPTに描いてもらいました!
※この小説は執筆に一部、AIを使用しています。
・自身で執筆した文章をAIに改変させているが、再度全て自分で編集・改稿
・自身で執筆した文章の誤字・脱字チェック




