2-52 魔族の姫
焦げたこずえが、ぱちぱちと音を立てて落ちてくる。ラツィは片膝を地に突き、肩で大きく息をしていた。呼吸の一回ごとに、肺の底がきゅうと縮む。
(人界のマナは薄すぎる。これ以上スキルを使ったら、さすがにもう……)
煤にまみれた白いユニコーンの像が一体だけ、かろうじて形を保ったまま、ラツィを守るようにたたずんでいる。
数歩離れた茂みの陰に、ぼろぼろになった緑のマントを羽織ったエルフの戦士たちが、幾人も座り込んでいた。肩口から血を流す若い女戦士が、それでも剣を手放さずにいる。疲れきった顔をした戦士が、切れた弓の弦を張り直そうとしては、何度も失敗していた。
ばさり。そのすぐ横で、重たい風が起きた。
漆黒のライオンが、魔獣の群れを突っ切るようにして駆け戻ってくる。身体じゅうに切り傷と噛み傷。コウモリの翼は、皮膜のあちこちが裂けて、ぼろ布のように垂れている。
「姫さま。お怪我は」
「……わたくしは、大丈夫です。マルバンこそ、大丈夫ですか?」
メイド服の袖はちぎれて、白い肩が剥き出しになっている。スカートの裾もところどころ破れていた。
赤いツインテールを留めていた二本のリボンは、火の粉に舐められて、ちりりと音を立て、いま、片方が焼き切れた。続いて、もう片方も。
はらり、と。拘束を失った真紅の長い髪が、ラツィの背中に流れ落ちた。
「雑魚とはいえ、これだけの数になると、さすがにこの老体にはこたえるでありますな」
「……あら」
ラツィの唇の端が、すこしだけ吊り上がる。
「……マルバンには、わたくしと主さまに御子ができたら、世話をしてもらわねばなりません。こんなところで疲れている場合ではありませんよ」
「――姫さまっ!」
黒い毛並みが、戦場のど真ん中で、ぶわっと逆立った。
肩に戻ってきたパールが、そっと羽で頬をなでるようにして、ラツィに寄り添う。
「姫さま……、この際ですから、マルバンには子供部屋の掃除もぜんぶ任せましょう」
「……それは名案です、パール」
「ぐぬ、ぐ……こ、このマルバン、その日のために完璧な掃除スキルを身につけるであります」
(ばか、ね)
笑っているつもりが、目の奥が、じん、と熱くなった。
(でも……、もうだめかもしれない)
ラツィがそう思いかけた、そのときだった。
森の奥、煙の向こうから、いくつもの気配が、一斉に近づいてきた。ラツィはとっさにユニコーンの像を動かしかけて、途中で手を止めた。
駆けてくるのは、若葉色を帯びた金の髪と、長い耳の一団だった。
その先頭を、杖を手にしたほっそりとした女性が、緑の長衣の裾をひるがえして走ってくる。宴の夜、並んでサイラスたちの踊りを眺めた、あの横顔だ。
「……フルリーヌ」
「消火班は前へ! 救護班も急いで!」
凛と張った声が、焼けた森に響きわたる。
緑衣の戦士たちがきびきびと散り、杖を持った者たちが詠唱を始める。水の精霊が呼び出され、霧のような雫が炎に吹きつけられた。負傷したエルフたちのもとへ、救護班のエルフが駆け寄る。
駆け寄った、その足が、止まった。
倒れた仲間の傍らに、血まみれの漆黒のライオン。翼を生やした、あきらかに魔族の姿。
「――下がれ!」
救護班の若いエルフが、弓を構えた。矢の先が、マルバンにまっすぐ向けられる。周りのエルフたちも、反射的に剣の柄へ手をかける。
「……やめてっ!」
ラツィが、慌てて両手を広げる。けれど、マナが切れかけた身体では、その手を高く上げることすら、ひと苦労だった。
「おやめなさいっ!」
澄んだ声が、弓を構えた若い戦士をとどまらせた。
「この魔族たちは、敵ではありません。誰か、魔晶石を! ここにたくさん、持ってきてください!」
命令が飛ぶと、数人のエルフがすぐさま駆け出していく。やがて、布袋を抱えたエルフが戻ってきた。袋の口からは、赤黒い結晶が、ざらりと覗いている。
「魔晶石で回復してください。服までは元に戻せませんけれど」
フルリーヌが微笑んで、袋ごと、そっとラツィの前に差し出した。
「……ありがとう」
ラツィは震える指で結晶をつかみ、マルバンの背中に押し当てた。魔晶石は赤い光を放ち、ただの黒い石へと変わっていく。ひとつから得られるマナはわずかでも、確実にマルバンの身体の奥へ染み込んでいった。裂けた翼の皮膜が、ふさがっていく。
ラツィは自分の胸元にも魔晶石を当てた。呼吸が、すこしずつ深くなっていく。
フルリーヌが片膝を突き、ラツィと目の高さを合わせた。白く透き通った肌。深緑色の瞳の奥が、静かに揺れている。
「森と、エル・フたちを守ってくれて、本当にありがとう。心から感謝します。魔族の姫よ」
「……そんな」
ラツィは、目を伏せた。
「……お礼を言われる筋合いはありません。この森を焼こうとしている連中は、わたくしを捕らえるために、魔界から来ました。わたくしさえ、この森に来なければ……」
ラツィは、深く、深く、頭を下げた。
「……ごめんなさい」
フルリーヌは、ゆるやかに首を横に振った。
「どうか、顔を上げてください。魔獣たちは、あなた方が来ても、来なくても、この森を襲いに来ます。この先もずっと……。森を守るために戦いつづけることが、私たちエル・フの宿命なのです」
「……」
「あなた方がいなければ、この子たちは、もっと多くが失われていました」
フルリーヌの指先が、座り込んだエルフたちを、そっと示す。
「森を発つ朝、あなたは『この生命をかけて』と言いましたね。その言葉に、嘘はありませんでした」
そして、細く長い指が、ラツィの頬についた煤をぬぐった。
「もう、私たちは仲間です」
「――……っ!」
ラツィの金色の瞳に、みるみるうちに水の膜が張った。長い睫毛のふちから、ほろりとひと粒、涙が落ちる。
「記憶喪失勇者」2-52を読んでいただき、本当にありがとうございます!!
さいらすと申します。
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※『勇者レギウス ~最弱勇者と最強従者~』という小説も書いています。
※本編の800年前のお話です。
※リンクはあとがきの下にあります!
挿絵をChatGPTに描いてもらいました!
※この小説は執筆に一部、AIを使用しています。
・自身で執筆した文章をAIに改変させているが、再度全て自分で編集・改稿
・自身で執筆した文章の誤字・脱字チェック




