2-51 女神ルミナ
ひんやりとした空気が、頬に触れた。
(ここは……?)
気がつくと、サイラスはまったく別の場所に立っていた。見渡すかぎりの草原が、地平線まで続いている。頭上の青い空には、雲ひとつ浮かんでいない。
(ヨレウスの村は? エミルは? カレラは? ルナは?)
(二体目の、あのでかい魔族があらわれて、それから……)
そこから先が、真っ白だった。
「――これは……夢、なのかな」
独り言が、妙にはっきりと耳に届く。風の音すらしない草原のすこし先に、誰かが立っていた。
少女だった。
歳はサイラスと同じ、十五歳くらいだろうか? つばの大きな麦わら帽子を目深にかぶり、裾の長い、鮮やかな花柄のワンピースを着ている。細い素足が、草を踏みしめる。
風もないのに、長い髪がふわりと揺れた。その髪が、純白だった。
「――え……」
少女がゆっくりと顔を上げる。雪のような睫毛の奥のふたつの瞳もまた、まったく色のない白だった。瞳孔まで白い。少女は、まばたきひとつしなかった。
「……あなた、偽物なのね」
抑揚のない声がした。
「本物なら、よかったのに」
(偽物? 僕が?)
「あの、君は……いったい、だれ? ここは、どこ?」
少女は聞こえていないかのように、視線をすっと草原の彼方にそらした。
「ふたつの大国が、滅んだの……」
相変わらず、感情のない独り言が続く。
「七体の魔王は……、その罪を、贖わなければならないわ」
「えっ?」
少女は、小さな白い指先で、麦わら帽子のつばをちょんとつまんで、また下ろす。
「わたしね、植物が好きなの……」
「土の匂い。水の匂い。陽が当たって、種が割れて、芽が出て、葉が広がって……。ずっと、見ていられるの」
「あの――」
「……争いは、きらい」
白い瞳の奥が、ほんのわずかに揺れた気がした。
「あの子は、この世界を脅かすものと戦うために、才能のある人間を集めて、鍛えているの……。ガーディアン、って呼んでるみたい」
「ガーディアン……」
少女は、“教科書”でも読み上げるように続けた。
「邪神のしもべ……使徒。別の世界から、この世界を終わらせにくる者たち。でもね……」
白い睫毛が、ふっと伏せられた。
「いまの人間は、とても弱いの」
「弱い……?」
「ランク10――レベル100を超える者すら、ほとんどいない……。天才剣士と呼ばれているあのシリウスでさえ、レベル100をすこし超えたくらい」
(シリウスさんがレベル100ちょっと……?)
「……それでは、魔王にも、かなわない」
少女は、足元から草を一本つまみ上げ、指先でくるくると回した。
「本来なら、魔王と戦うのは、シリウスだったの。なのに――」
白い瞳が、まっすぐ、サイラスを射抜く。
「あなたが、四百年後のこの時代に、来てしまった……」
(来てしまった……?)
「あの子の修行のやり方では、いまの弱い人間たちには、とても耐えられない」
(あの子って、キュリアン・マクナナスのことか?)
「聞いてほしいんだ。僕は、仲間と――」
サイラスが言いかけたとき、少女の背後の、なにもなかったはずの空間に、ふたつの四角い窓が浮かび上がった。
台座も額縁もない。ただ、空の一部が別の景色にすげ替わったかのように、そこに映像があらわれた。
「見えるかしら」
息が、止まった。
左の窓――。
二体目の巨体の魔族を前に、カレラが太刀を構えている。分身は、もう出ていない。顔は青ざめ、呼吸が荒い。ルナは白い槍を突き出して、魔族の拳をかろうじて弾いていた。
そして、ふたりの背後。倒れている自分を、エミルが必死に抱きしめて泣いている。
(カレラ。ルナ。エミル……)
右の窓――。
燃え盛る森のなかに、赤いツインテールの少女が立っていた。その肩で、小さな金色のフクロウが羽を逆立てている。
少女は呼び出したユニコーンの像を並べ、傷ついたエルフたちをかばう。その周りを、コウモリの翼を持つ漆黒のライオンが、魔獣を次々と引き裂きながら駆けまわっていた。
(ラツィ! あれはマルバンなのか?)
ラツィの金色の瞳が、怒りと恐怖で震えていた。マルバンの黒い毛並みには、血がにじんでいる。
「戻してくれっ!」
サイラスは、叫んでいた。
「みんなが、あぶない! 頼む、元の場所に戻してほしいんだ!」
少女は、ふたつの映像を一瞥してから、ふたたびサイラスに視線を戻した。色のない瞳が、すうっと細くなる。
「せっかく――」
少女は、つまんでいた草をそっと離した。風もないのに、小さな草はゆっくりと宙を舞って、地面に落ちた。
「十五年以上、生きられる身体を、手に入れたのに……」
「十五年……? それって、どういう――」
「あなたには、まだ、死んでほしくない」
少女の口元が、かすかにほどけた。
「あなたの魂のなかにあるもの……」
少女が、自分の左胸の辺りを、とん、と指で示した。
「それは、この世界のものじゃない。……だから、わたしには、手出しができないの」
(魂のなか……? もしかして、ときどき頭のなかで聞こえる、あの不思議な声のことか……?)
「……でも」
少女は白い指先で、ふたつの空の窓を順に指した。
左の窓。魔族の拳が、ふたたび大きく振りかぶられる。エミルが、倒れたサイラスを抱えたまま、身をすくめる。ルナとカレラが身を挺して、ふたりをかばおうとしている。
右の窓。新手の魔獣の群れが、マルバンの死角から飛び出す。ラツィのユニコーン像が壁を作って、なんとかしのいでいる。けれど、ラツィの肩は、もう限界まで上下していた。
どちらの窓の先も、もう、もたない。
「ほんのすこしだけ、力を貸してあげる」
「力を貸してくれるなら、頼む! みんなを助けてくれ!」
「選びなさい」
少女の声が、低くなった。
「両方は、助けられない……」
「――っ!」
(エミルたちか……、ラツィたちか……)
(どちらかを、選ばなきゃならないのか――!?)
「そんな……!」
叫ぼうとした声は、ちゃんと喉から出なかった。草原の景色が、白くぼやけていく。少女の姿も、ふたつの窓も、揺れて、どんどん遠ざかっていく。
「…………選びなさい……」
どこか、とても遠い場所から、少女の声が聞こえた気がした。
サイラスの意識は、そこでもう一度途切れた。
「記憶喪失勇者」2-51を読んでいただき、本当にありがとうございます!!
さいらすと申します。
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※『勇者レギウス ~最弱勇者と最強従者~』という小説も書いています。
※本編の800年前のお話です。
※リンクはあとがきの下にあります!
挿絵をChatGPTに描いてもらいました!
※この小説は執筆に一部、AIを使用しています。
・自身で執筆した文章をAIに改変させているが、再度全て自分で編集・改稿
・自身で執筆した文章の誤字・脱字チェック




