2-50 燃える森
夕暮れのなか、街道沿いの土の道を、場違いな格好のふたりが歩いていた。
先頭を行くのは、黒ずくめの青年マルバン。その肩には、金色のフクロウのパールが羽を畳んで留まっている。すこし後ろを、メイド服を着た赤いツインテールの少女ラツィが、うつむき加減についていく。
ラグーツの宿を抜け出してから、もう六日とすこし。
夜更けに主さまの寝顔を目に焼きつけて、唇だけで別れを告げた。一度だけ振り返って、街道を南へ二日進み、分岐を東に折れてから、さらに四日が過ぎた。エルフの集落への入口までは、もうあと一日。
(姉さま。ご主人さま、いまごろなにしてるかな? かな?)
心のなかで、セフィが話しかけてくる。
(さあ……。怒っているかもしれないですね。それとも、あきれているか)
そのどちらも、ラツィの胸をちくりと刺す。
西の空に、橙色の陽が溶けかけていた。街道を行き交う馬車の影が、地面に長く伸びている。
「姫さま。そろそろ、野営の支度を」
マルバンがそっと足を止めた。
「……いえ。もうすこし、進みましょう」
「しかし、昨晩もほとんどお休みになっておられないであります。このままでは、姫さまのお身体がもたないであります」
マルバンの肩で、パールが羽をひとつ動かした。
「マルバンの言う通りです、姫さま。私たち魔将の身体は、空気中のマナを呼吸で回収できますが、人界のそれは薄く、昼間はほとんど溜まりませぬ。日中に消費した分は、夜の長い眠りで取り戻すほかありません。無理は禁物です」
わかっている、とラツィは思った。
これまでの旅で、主さまが不思議そうな顔をしていた。どうして魔族たちは、こんなにもよく寝るのか、と。
「……それでも、あと一日です。どうか」
「……承知したであります。されど、夜になりましたら、今度こそ」
マルバンは軽く一礼して、ふたたび歩きはじめる。
そのとき、パールがぴくりと首を巡らせた。
「姫さま。あの空を、ご覧くださいませ」
ラツィが顔を上げる。
東のこずえの向こう、夕焼けとは違う色が空ににじんでいた。黒く濁った幾筋もの煙が、風にあおられて斜めに伸びている。
「……?」
「森が燃えています。距離と方角からして――」
パールの金色の瞳が、鋭く光る。
「風の森の中心、エルフの集落がある辺りです」
「――っ!」
ラツィの足が、勝手に駆け出した。マルバンも表情を険しくして、すぐに主の後を追った。肩のパールが、振り落とされまいと爪を立てる。
◇
木々を抜けた先で、森が燃えていた。
数千年を生きてきたであろう大樹が、赤い炎に舐められてかしいでいる。苔むした岩は煤で黒ずみ、肉と木の焦げた匂いが辺りに満ちていた。
森の奥からは、地を揺らすような咆哮と、金属のぶつかり合う音が、途切れ途切れに届いてくる。
「……これは」
マルバンが息をのむ。
「森のなかに、気配がいくつも。魔宮を、森じゅうに開けたのでありましょう。そこから、魔獣を」
肩のパールがふわりと翼を広げた。
「――確認できただけで七つ。エルフの戦士たちが各所で応戦しておりますが……数が足りておりませぬ。放たれた魔獣の数が、多すぎる」
焼け焦げた木々がすこし途切れた場所に、一羽の怪鳥がたたずんでいた。
三メートルはあろうかという体躯を、燃えるように赤い羽毛が覆っている。長い首をもたげて、こちらを見下ろす。くちばしの先から、血の雫がぽたりと滴る。
怪鳥が、歌うように高い女の声を響かせた。
「ごきげんよう、姫さま」
「……アロネス。……まさか、あなたが?」
「こんな大仕掛けを、私ひとりで? ふふふ、森を焼いてるのは、別の方々ですよ」
怪鳥の眼が、楽しげに光った。
「ベタクロフさまのご意向ですよ。かつて魔王アノンさまが、エルフの火の森を焼き尽くされたでしょう? それになぞらえて、風の森を焼き尽くすとおっしゃられました。ご自身を魔王と名乗られるからには、それくらいのことをやらねばと」
「……っ」
ラツィの金色の瞳に、炎の色が映った。無言で怪鳥を見据えたまま、唇をきつく閉じる。
「で、私がなぜここに、という顔をしてらっしゃいますけれど」
アロネスが、長い首を低く伸ばす。
「本来なら、私のスキルで捕捉した姫さまの居場所にデルギフトを案内して、奴に姫さまを捕らえさせる。それが、私の仰せつかった役目だったのですが……あの馬鹿、先にそちらの勇者とやらに斬られてしまいまして」
ラツィの眉が、ぴくりと動いた。
「第三魔将とは名ばかり。まったく、あきれたものですよね? でもね、姫さま――」
声が、がらりと野太い男のものに変わった。
「おかげで、絶好の機会が回ってきたのさ。俺自身が、あんたを捕らえてベタクロフさまへ献上すれば、デルギフトの分まで、手柄を独り占めだよ!」
怪鳥が、首をかしげてみせる。
「それにしても、まさか本当に勇者のそばを離れてくださるとはね。エルフの森へお逃げくださいと申し上げた甲斐がありましたよ」
「……っ! あなた、最初から……」
「ええ。最初から、ですよ」
くちばしの奥で、くくっと喉が鳴った。
「おいたわしや。アルージュの姫君ともあろうお方が、お供は、そこのおいぼれ執事と小鳥一羽だけ。すぐにあの方のもとへお連れしますよ」
怪鳥は、黒燕尾の男を一瞥もしなかった。アロネスにとってマルバンは、魔王の身の回りの世話をさせられていた弱小魔将でしかない。戦場に立つ姿など、見たこともなかった。
ラツィの横で、ぎりりと歯を食いしばる音がした。
「……姫さま。しばし、お下がりくださいであります」
マルバンだった。普段の慇懃な声音の底に、ずしりとした怒気が沈んでいる。返事を待たずに、もう一歩踏み出していた。
「おや、じいさん。この俺に歯向かうってか?」
アロネスが、くくくと笑う。
その笑いが凍りついたのは、次の瞬間だった。
パールが、ラツィの肩へ飛び移る。
マルバンの身体が、ぐにゃりと歪んだ。
黒い燕尾服が毛並みに溶け合う。背がせり上がり、四肢が地を捉え、長い尾が鞭のようにしなる。背中からは、皮膜を張ったコウモリの翼がばさりと広がった。
漆黒のライオンが、金色の瞳に冷たい殺意を宿して、アロネスを射抜いている。
「……は?」
アロネスの眼が、初めて戸惑いに揺れた。
ラツィは数歩後ずさり、肩のパールをかばうように身構えた。
「姫さまのご慈悲を仇で返した報い、貴様の血で贖ってもらうであります」
低い唸りが森を震わせた。
アロネスが慌てて翼を広げる。それより早く、マルバンが土を蹴った。
黒と赤がひとつの塊になって絡み合い、火の粉が舞い、羽毛が散る。怪鳥のくちばしが空を切った。逃げ遅れた首筋に、黒獅子の牙が深々と食い込む。
――どさり。
赤い巨体が、地に倒れ伏した。マルバンが、その首を前脚で踏みつけている。
「……アロネス」
ラツィがゆっくりと近づいた。
怪鳥の眼は、もう半ば閉じかけていた。だが、くちばしだけは、嘲りを忘れずに動いている。
「……ぐぐっ、姫さま。どうせ、あんたたちでは、ベタクロフには勝てな……」
声は途中で途切れた。赤い巨体が灰となり、風に散っていく。
ラツィは立ち尽くしていた。
「姫さま、ここを離れましょう」
肩の上のパールが翼を広げた。ライオン姿のマルバンが主を振り返る。
「……いいえ、パール、マルバン。森の奥へ急ぎましょう」
「危険です、姫さま! ベタクロフはこの森にやってくるのですよ!」
「……それでも。……わたくしのせいで森が燃えているのです。エルフたちに加勢しなければ」
握りしめた小さな手が震えている。けれど、従者たちを見返す金色の瞳は、揺らがなかった。
「記憶喪失勇者」2-50を読んでいただき、本当にありがとうございます!!
さいらすと申します。
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※『勇者レギウス ~最弱勇者と最強従者~』という小説も書いています。
※本編の800年前のお話です。
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挿絵をChatGPTに描いてもらいました!
※この小説は執筆に一部、AIを使用しています。
・自身で執筆した文章をAIに改変させているが、再度全て自分で編集・改稿
・自身で執筆した文章の誤字・脱字チェック




