2-48 魔族に襲われた村
街道を外れ、森のなかの小道を急ぐ。
木々が途切れたその先に、小さな村が見えてきた。
村の入り口の手前で、サイラスは足を止めた。
「ルナ、ここでエミルと待っていてくれ」
「……わかった。だが、くれぐれも無茶はするな」
ルナの陶器のように滑らかな顔に、わずかな不安の色がよぎる。
「サイラスくん……気をつけてくださいね」
エミルが心配そうに手を伸ばす。サイラスはその手を軽く握って、すぐに離した。
「大丈夫。カレラもいるしね」
「にゃはは、まかせてよ! ボクとサイラスなら、魔族の十や二十、朝飯前だよ!」
カレラが背中の太刀をぽんと叩いて、にかっと笑う。
「わ、悪いけど、俺もここで待っててもいいか? 魔族相手じゃ、俺はなんの役にも立てない……」
「うん。ヨレウスはエミルたちといっしょにいてくれ」
(よし、行こう)
サイラスはフードを深くかぶり直し、カレラとともに村へ駆け出した。
村に近づくにつれ、異臭が鼻をついた。
焦げた木材と、血の匂い。
家々の壁には深い爪痕が刻まれ、広場に面した家屋のいくつかは半壊していた。
それなのに、村は不気味なほど静かだった。悲鳴も、泣き声も、助けを求める声も、なにひとつ聞こえてこない。
(誰もいない……)
「グゲゲ! ニンゲンだァ!」
村の入り口を越えた瞬間、耳障りな声とともに、路地の奥から黒い影が躍り出た。
(また、エミルの村に来たやつらと同じ……)
魚じみた顔のなかで濁った丸い目が血走り、めくれた唇の奥で黄色い舌がうねる。エミルを人質に取った魔族たちも、こんな下卑た笑みを浮かべていた。
魔族が三叉の槍を突き出してきた。サイラスは半身になってそれをかわし、すれ違いざまに勇者の剣で首筋を薙いだ。
迷いのない、一閃。
カレラとの修行で叩き込まれた動きだ。初手で相手の急所を断つ。
魚顔の魔族は声を上げる間もなく、黒い灰と化した。
「このォ、ニンゲンめがァ! 殺せェ! 殺せェ!」
家々の影から、崩れた壁の陰から、次々と魔族が湧き出してくる。
五体、十体――数えている余裕はない。
「カレラ!」
「まかせて! 《獣神分身》!」
カレラの身体が三つに分かれ、散開する。
「一網打尽、いっくよ~!」
三人のカレラが、魔族の群れのなかを駆け抜けていく。ひと呼吸遅れて、その通り道にいた魔族たちが、いっせいに黒い灰となって崩れた。
(負けてられない)
サイラスも地を蹴った。
(スキルを使わなくても、見える。相手の動きが、ちゃんと見える)
踏み込み、斬り上げ、返す刀でもう一体。足さばきで間合いを詰め、相手の得物が届く前に仕留める。
二体の魔族が同時に襲いかかってきた。低く身を沈め、一体目の槍をくぐり抜けながら脚を斬り、よろめいたところを上から叩き斬る。
横から振り下ろされた斧を半歩で見切り、懐へ滑り込んで、相手の手首を跳ね上げた。斧が、魔族の手を離れて飛ぶ。がら空きの胴を、袈裟に斬り下ろす。
(あの夜は、がむしゃらだった。身体が勝手に動いただけで、なにが起こったのかもわからなかった)
広場に黒い灰が舞った。
(でも、いまは違う。なぜその角度で振るのか、なぜその足で踏み込むのか。ぜんぶわかったうえで、身体が動いてくれる)
「サイラス、右!」
カレラの声に反応して、視線も向けず、気配だけで剣を走らせる。右から突っ込んできた魔族の首が、宙に飛んだ。
「ありがとう、カレラ」
「いまのところ、ボクのほうが多く倒してるからね! 負けないでよ!」
(なにも勝負ごとにしなくても)
心のなかで苦笑しつつ、サイラスは次の敵に向き合う。そして、ふと気づいた。
(こいつら……引かない)
仲間がどれだけ数を減らしても、魔族たちは誰ひとり逃げようとしない。悲鳴じみた声を上げることはあっても、そこに恐れの色はない。どの目も、同じだ。焦点の合わない、光のない目。それがただ、まっすぐに突っ込んでくるだけだ。
背筋に冷たいものが走る。それでも、サイラスは剣を振りつづけた。
最後の一体が黒い灰に変わると、村は、ふたたび不気味なほど静まり返った。
「……終わった、か」
サイラスは剣を下ろし、肩で息をついた。額の汗を袖でぬぐう。スキルなしで戦いつづけたぶん、身体の疲労はいつもより大きい。だが、それが心地よかった。
(ひと月ほど前は、盾ひとつとはいえ、たった一体を相手に死にかけたのに)
(修行に付き合ってくれた人たちに感謝しないと)
「いやー、いい汗かいたよ!」
カレラが太刀を肩に担ぎ、にゃははと笑う。分身を解いた彼女の額にも汗が光っていたが、疲れよりも高揚が勝っているようだった。
「サイラス、見えてから動くんじゃなくて、見える前に動けてたよ。出会ったときとは全然違う」
「カレラに鍛えてもらったおかげだよ」
「そーそー、やっぱり師匠がいいからねぇ~」
カレラはそう言って、辺りを見まわした。猫のような耳がぴくぴくと動いている。
「……でも、ここの魔族たち、ちょっと変だったね」
「変?」
「うん、弱い。あまりにも弱すぎる。数だけ多くて、ひとつひとつの動きは雑。まるで、ただの操り人形っていうか……」
(操り人形)
その言葉が、妙に耳に残った。だが、考えをまとめるより先に、村の入り口のほうから、誰かが駆けてくる足音が響いた。
「サイラスくん!」
エミルが走ってくる。その後ろにルナ、そしてヨレウスが続いていた。
「エミル、まだなかは危ないかも」
「で、でも、もう戦いの音が聞こえなくなったので……」
エミルは息を切らしながら、サイラスの無事を確認すると、ほっと胸に手を当てた。
「怪我はありませんか?」
「うん、大丈夫だよ」
「……無茶はするなと言ったはずだぞ」
広場に降り積もった灰に目を落として、ルナが小さく息をついた。
「無茶はしてないよ。ちゃんと、見えてたから」
「あ、あの、村のやつらは……?」
ヨレウスがきょろきょろと不安そうに広場を見渡す。
「村長の屋敷に集められてるって言ってたよね。案内してくれる?」
「ああ。村の奥の、いちばん大きな家だ」
ヨレウスが指差した、そのとき――。
カレラの耳が、ぴんと立った。
「……なに?」
ずん、と。地面が揺れた。
指の先――すこし大きな家が建ち並ぶ方角から、重い足音が近づいてくる。
ずん。ずん。ずん。
一歩ごとに地面が震え、家屋の壁から砂埃が落ちる。
そして、建物の影から、それは姿をあらわした。
背丈は、五メートル近くもあるだろうか。さっきまで戦っていた魔族と同じ魚顔、同じ鱗の肌、同じ黄色くて長い舌。
だが、すべてが二回りは大きい。丸太のような腕に握られた巨大な棍棒が、ずりずりと引きずられ、地面に深い溝を刻んでいた。




