2-44 ディアロ
馬車が森に入れるぎりぎりのところまで運んでもらったサイラスたちは、そこからは徒歩で進むしかなかった。
「エミルとルナは後からゆっくり来てくれ。僕たちは先に行ってるから」
サイラスとカレラは馬車から飛び降りると、剣聖の里へと続く川沿いの細い道を駆け出した。
岩だらけの道を、息を切らして疾走する。サイラスの金髪が汗で額に張りつき、カレラの白い道着と腰まで伸びた艶やかな黒髪が風にはためいた。
キン、ギィィンッ、ギィィィン、ギャリッ、キィィン、キンッ、キンキンッ。
遠くから、金属音が絶え間なく聞こえてくる。カレラほど聴覚に優れていないサイラスの耳にも届くそれは、刀と刀が激しくぶつかり合う音だった。
(戦ってる。まだ、間に合う!)
「急ごう、カレラ!」
返事はなく、ただうなずいた小麦色の横顔は、血の気を失っていた。
ふたりは里の広場に駆け込んだ。
(誰もいない)
軒先には干したままの洗濯物が揺れ、井戸端には水をくみかけた桶が転がっている。
いつもなら子供たちの声でにぎやかなその場所に――ふたつの人影だけが、向かい合っていた。
剣聖シエラゴとその兄、元剣聖のディアロだ。
銀と金、ふたつの閃きが交錯する。一合ごとに火花が散り、風が鳴った。
一進一退の攻防がつづき、ふたりの技量は互角に見えた。広場の入り口に立つサイラスたちのところにまで、ビリビリと空気を震わせるように、ふたりの気迫が伝わってくる。
(速い……。目で追うのが、やっとだ)
シエラゴの足が、えぐれた地面をわずかに踏み外した。
その、一瞬。
「ユニークスキル《強欲の金爪》」
ディアロの黄金の太刀が、シエラゴの胸を貫いていた。背中から突き出た切っ先が、鮮血を滴らせる。
傷口から、金色が広がっていく――。
金色は胸から全身へ、開いたままの口の奥にまで染みわたっていった。光を飲み込んだかのように剣聖の身体はきらきらと輝き、驚愕の表情のまま固まった。
黄金の像と化した剣聖は、もう動かない。
「いやあぁぁぁぁぁぁっ!」
カレラの悲鳴が、広場を引き裂いた。
「弱い……弱すぎるぞ、シエラゴよ」
ディアロが金色の像から血に濡れた刀身を引き抜き、だらりと腕を下ろした。顔には薄ら笑いを浮かべているが、血走った眼は笑っていない。そこにあるのは、冷たい狂気だけだ。
「おまえの剣には殺気がない。獣神流は必殺の剣。それを忘れてなにが剣聖だ……不甲斐ない」
「父さん! 実の弟に、なんてことをっ!」
カレラが叫び、太刀を抜いて駆け出した。サイラスも遅れじと剣を握り、ディアロに向かう。
(カレラのお父さんが、こんなことをするはずがない。なにかに、操られてるのか?)
「ふふ……」
不気味な笑みのまま、ディアロが刀を軽く振った。
その身体が、歪む。
一体が、二体に。二体が、四体に。四体が――八体に。
八人の元剣聖が、一斉に地を蹴った。
『ユニークスキル《電脳の悪魔》を発動します……』
危険を察知したサイラスのなかにあるなにかが、敵の動きを予測するスキルを即座に発動させた。脳裏に、ディアロの次の動きが映像として流れ込んでくる。
だが、見えているのに身体が追いつかない。八体の刃はあまりに鋭く、予測が浮かんでも、避けるのが精一杯だった。
刃が空気を切り、衝撃波がサイラスの頬を裂く。血が飛び散った。一瞬の隙を見て突き込んだサイラスの剣は、届く前に弾き落とされた。
いつもなら、勇者のスキルが身体を何倍もの速さで動かし、傷もすぐにふさがった。だが、いまの自分にはそのどちらもない。ただ「見える」だけの目が、かえって己の無力さを突きつけてくる。
「はあぁっ!」
カレラの身体が三つに分かれ、父親に斬りかかった。
一の太刀は、かわされた。二の太刀は、弾かれた。そして三の太刀は、ディアロの首筋のほんの手前で、止まった。
止めたのではない。止まってしまったのだ。
「おまえの剣にも、殺気がない。……俺を斬る覚悟もなく、剣を向けたのか」
ディアロの低い声が、娘の耳元に落ちた。
「カレラ!」
(カレラの剣が鈍ってる……)
サイラスにも、それは痛いほどわかった。九年間、ずっと探しつづけてきた父親。目の前で叔父を殺した仇。そのふたつが、同じひとりなのだ。
迷いのぶんだけ、カレラの刃は浅くなり、逆に激しく切り返されて、みるみる追い込まれていく。
ディアロの太刀が、カレラの分身をふたつまとめて薙ぎ払う。煙のように弾け飛ぶ分身。本体は大きく吹き飛ばされて、地面を転がった。
「父さん! 目を覚ましてよ! その太刀に操られてるんでしょっ!?」
立ち上がったカレラの叫びに応えるように、ディアロの手のなかの黄金の太刀が、不気味に脈動した。
(あの太刀……ただの武器じゃない)
「操られている、だと? 笑わせるな。この力は、俺が望んで手に入れたものだ!」
ディアロの怒声とともに、八体の分身がふたたび一斉に襲いかかってくる。
サイラスとカレラは背中合わせで応戦した。防ぐ。かわす。受け流す。それだけで、腕が痺れてくる。力の差は、歴然だった。
(このままじゃ、ふたりとも……!)
しかし――嵐のようだった攻撃が、ふいにやんだ。
八体の分身が霧のようにかき消える。ディアロはひとり、広場の中央から里の出口まで音もなく飛びすさっていた。
もはやふたりを、敵とすら見なしていなかった。
「ふたりがかりでも我が愚弟より弱いとは……話にならん。おまえたちには、この俺が手を下すほどの価値はない」
「逃げるなっ! 戦え! 卑怯者!」
カレラが太刀をまっすぐ父親に向けて叫んだ。その切っ先は、小刻みに震えている。ディアロは娘の挑発を歯牙にもかけず、抜き身の太刀を、ふたたび無造作に腰の帯へ差した。
「今日から俺は『剣神』とでも名乗ることにしよう。この俺こそが、真の剣の頂点だ」
ディアロは嗤った。
「だが、もうひとり、俺には倒さねばならん相手がいる。おまえたちと遊んでいる暇はない」
そう言い残すと、ふたたび人とは思えぬ速度で走り出し、姿を消した。
広場に、静寂が戻った。
家々から、恐る恐る里の人々が出てくる。怯えた目が広場の中央を見つめていた。
「……叔父さん――」
カレラは、太刀を引きずるようにして、黄金の像に歩み寄った。
「うそだよね。ねえ、起きてよ。……ボクが剣聖になるまで、修行に付き合うって言ってたじゃないか」
金色に固まった驚愕の顔は、なにも答えない。
カレラの大きな黒い瞳に、水の膜が張っていく。ひと粒が頬を伝い、それから、とめどなくこぼれ落ちた。
「起きてよぉ……叔父さん……叔父さんっ……!」
像の胸に、カレラはすがりついた。九年前に父が里を去ってから、剣を教え、叱り、育ててくれたのは、この人だったのだ。
サイラスは、かける言葉がなかった。
そのとき、カレラの膝が、がくりと崩れた。
「カレラ!?」
慌てて駆け寄って支えると、カレラの額は燃えるように熱かった。一昨日の傷が癒えきっていない身体で走り、戦った無理が一気に噴き出したのだ。
「叔父さん……見てて……ボクが絶対に……父さんを止めるから……」
うわごとのようにつぶやくカレラを抱き留めて、サイラスは血がにじむほど強く、拳を握りしめた。




