2-34 アロネス
サイラスたちがエルフ族の集落を出てから、五日が過ぎようとしていた。時刻はもうすぐお昼。一行は風の森の北側に沿う街道を西に向かって歩いているところだった。
そのまま進むとラファエル川にぶつかるというところで、今度は川に沿って街道を北に行くことになる。行きと同じように川の近くで今夜も野営する予定になっていた。
いつものようにサイラスの隣を歩いていたエミルは、ちらりと後ろを歩くカレラの顔を確かめると、がばっとサイラスの腕に抱きついた。両手でサイラスの右腕を抱え込むようにして、しがみつく。
(えっ、ちょっ……!?)
突然、右腕に押しつけられた柔らかな感触に、サイラスは真っ赤になった。
「えっ、エミル!?」
エミルは頬を耳まで赤らめ、にっこりと野に咲く花のような笑顔でサイラスを見上げてくる。すぐさま、エミルの後ろを歩いていたラツィが、栗色の髪をした美少女の肩につかみかかった。
「……なっ、なにをしているのですか! 離れなさい!」
「はう、嫌です。わたしも、もっと積極的にすることにしたんです!」
「……うぅぅぅぅ!」「むぅぅぅぅ……!」
魔族の美姫と美しすぎる村娘の間に、見えない火花が飛び散った。
「……お、おまえはまだ知らないようですので教えてあげますが、そんなにくっついても主さまはメロメロになったりはしないのですよ!」
「それはやってみなければ、わからないじゃないですか!」
「……いいえ、人族の気持ちを変えるのは、難しいのです」
「それを魔族が言いますか……」
「……はっ! も、もしかして、おまえがバカ猫の言っていたライバルなのですか!? ただの飯炊き女だとばかり思っていましたのに」
「だから、わたしは飯炊き女じゃありませんっ!」
(早く終わってくれないかなぁ……)
女の子ふたりに腕を引っ張られながら、サイラスはただただ嵐が過ぎ去るのを待った。サイラスを無視して、ふたりの言い合いは続いている。すると、燃えるように赤いラツィの髪が、凍えるような水色に変わっていき――。
「セフィも! セフィもご主人さまにくっつく!」
ラツィと入れ替わったセフィがサイラスの腰に抱きついた。
(三人目!?)
そこに珍しくマレス族の女剣士カレラが仲裁に入ってきた。
「まぁまぁ、そんなに取り合わなくても、仲良くみんなでサイラスを分け合ったらいいんじゃないかな?」
「ご主人さまを分け合うの?」
「そうそう、時間とか日を決めて、その間はその人がサイラスを独占できるようにするというのは、どうかな?」
「人をものみたいに……」
サイラスの抗議の声は無視された。女子たちの視線が一気にカレラに集まる。
「だって、サイラスは三種の神器を手に入れて、強くなったかもしれないけど、これから魔王と戦おうっていうのに、ボクたちが仲間内で争っている場合じゃないと思うんだよ」
(それは、まあ……正論なんだけど、なんか違う気がする)
「フルリーヌさまが言ってたけど、サイラスはひとりでも魔王を倒せちゃうかもしれない。でも、ボクたちは足を引っ張らないように、せめて喧嘩しないようにしようよ」
カレラが、サイラスにウィンクした。
(なんのウィンクなんだ……)
さっそく、昼食の後、サイラスを独占する順番を決める話し合いが始まった。なぜか魔族の執事のマルバンやルナも加わって、一日を午前と午後に分け、隣を歩く人を順番に変えることになった。
(僕の意見は……聞いてくれないんだな)
元々サイラスの隣を独占していたエミルは、すこし不服そうだったものの――。
「わたしがサイラスくんの隣のときは、手をつないでくれますか?」
(え、手をつなぐの!? それはちょっと……いや、断れる雰囲気じゃないな)
ということで、了承された。
順番はエミル、ラツィ、セフィ、マルバン、ルナ、カレラと決まった。午後からは、ラツィがサイラスの隣だ。
せっかくサイラスと並んで歩くことになったというのに、ラツィは微妙にサイラスと距離を取っていた。時折、サイラスのことをちらりとは見るものの、目が合うと慌てて顔をそむける。
(相変わらず、ラツィはよそよそしいな……。そんなに僕の隣が嫌なのかな)
◆
サイラスから挙動不審に思われているとも知らず、ラツィは幸せな気分だった。いままで謎だったこの気持ちが“恋”なのだと、カレラに教えてもらった。サイラスのことを考えるだけで、胸がドキドキするのは別におかしなことではないのだ。
それに、サイラスは無事に勇者の三種の神器をすべて手に入れた。記憶を失っていることがわかったときは心配もしたが、これで魔王とも戦える。第一魔将ベタクロフだって倒してくれるに違いない。
すべてが順風満帆。ラツィの計画通りだ。サイラスのことを好きになってしまったのは当初の計画にはなかったことだし、サイラスをメロメロにできるかどうかもまだわからなかったが、いまは深く考えるのはよそうと思った。
ただ、サイラスの隣を歩いているだけで、その顔をちらりと盗み見るだけで、胸のなかに温かいものがあふれてくる。ラツィはいまだけは、この幸せな気持ちに浸っていたかった。これまでのつらい出来事が頭のなかから消えていくような、そんな気がした。
◇
夕方になり、川のそばで野営の準備を始めた。
ここから北に二日ほど歩けば、ラグーツの街に着く。早くリーンに行き、王都に向かわなければならなかったが、ラグーツでは温泉宿でゆっくりしたいと誰もが思っていた。夜でも気温が高く、雨が降らないとはいっても、やはり野宿は快適とはいえないのだ。
夜はいつものように、眠る必要のない魔導人形のルナに、もうひとりが交代でついて火の見張りをする。セフィと替わるために、マルバンが起きてきた。
「セフィさま、交代させていただくであります」
「うんうん、マルバン、ありがと。ルナ、また明日ね。おやすみ~」
「ああ、また明日な」
セフィは元気よく立ち上がると、ルナたちに手を振って焚き火から離れる。歩きながら髪の色が燃えるような赤に変わっていく。
ラツィは仲間たちが寝ているところから、すこし離れた場所まで歩いてきた。振り返って、火が見えないことを確認する。すると、ラツィの目の前に、三メートルほどの真っ赤な怪鳥が音もなく舞い降りてきた。
「お久しぶりです、ラツィさま」
「……ご苦労さま、アロネス。その後、アルージュのようすはどうですか」
「相変わらずですが……第一魔将が、こちらにやってきます。あなたさまを探しに」
「……っ!?」
ラツィはアロネスの報告に衝撃を受けて、思わず右手で胸を押さえ、片膝をついてしまった。息苦しくて、呼吸が速くなる。額には汗をかいていた。
いろいろなことが頭に浮かび、しばらく声が出せなくなっていたラツィだったが、ようやく喉の奥から声を絞り出した。
「……そ、それは、いつですか」
「間もなくだと思われます。どこかにお隠れください。ここからであれば、エルフ族の森のなかがよろしいかと」
ラツィは目を閉じて深呼吸をした。すこし心を落ち着けると立ち上がって、配下の怪鳥に向き直った。
「……危険な任務ですが、引きつづきやつらの動きを探って知らせてください。アロネス、あなただけが頼りです」
ラツィの言葉に一礼すると、真っ赤な怪鳥は光のない空に飛び上がり、すぐに見えなくなった。
(わたくしは、どうすれば……)
ラツィは恐怖で頭が真っ白になっていた。サイラスに知らせるべきだろうか? でも、まずはマルバンに相談しよう。
昼間の幸せな気分は、跡形もなく消えていた。アロネスの前では抑えていたが、かちかちと歯が鳴りだした。
ラツィにとっては、リアルジンの魔王リリアよりも第一魔将ベタクロフのほうが、ずっと恐ろしい存在なのだ。
かつての凄まじい拷問と屈辱の日々がまざまざと蘇ってきて、いますぐにでもどこか遠くに逃げ出してしまいたかった。
(どうか、わたくしたちを守って……主さま)
震えながらその場にしゃがみ込んだラツィは、サイラスが眠るほうを向き、祈るように胸の前で両手を握りしめた。




