2-32 夢
エミルは夢を見ていた。
広くて豪華な装飾がされた部屋のなか、天蓋つきの高級そうなベッドの上に、突っ伏して泣いている少女がいた。
見たこともない、素晴らしいベッドだ。一度でいいから、こんなベッドで寝てみたい、とエミルは思った。
泣いているのは、夢のなかの自分だった。
(なぜ、わたしは泣いているんだろう?)
部屋の外から、侍女の声と扉を叩く音が聞こえてくる。どうやら、自分は扉に鍵をかけたらしい。
(そうだ。わたしは、父から中庭であの少年と会っていることを咎められたのだ)
『あの少年ともう会ってはならん。わかっておるのか? 彼は勇者なのだぞ。勇者は魔王を倒したら、故郷の国に戻り、ガリウス王家の王女と結婚して、次のガリウス国王になると大昔から決まっておるのだ。おまえと結ばれることは絶対にない。おまえの婿には、私がふさわしい者を見つけてきてやる』
“魔王を倒した勇者は、ガリウス王家の王女と結婚して、次のガリウス国王になる”――それは、四百年に一度のこととはいえ、ガリウス王国の王都から遠く離れた田舎町の子供ですら知っている有名な話だった。
エミルは夢のなかの自分が、いまの自分と同じようなことで悩んでいるのが不思議だった。だが、自分の悩みが夢に反映されているのだろうと解釈した。だって、これはわたしが見ている、わたしの夢なのだから。
夢のなかの自分は、どこかの国の王女であり、ひとり娘であるようだった。つまり、どこかに嫁にいくことは難しく、婿をとるしかない。そんな状況のようだ。
きっと彼女の父親は、王位を継がせるのにふさわしい婿を見つけてくるのだろう。それは、どこかの国の王族か、裕福な貴族の次男坊か、三男坊に違いない。そして、もうひとつだけ確かなことがある――。
それが愛のない結婚になる、ということだ……。
状況は理解したが、いつまでも部屋で泣いていても仕方がない。エミルは中庭の少年に会いに行くことにした。
エミルはこっそりと自室を抜け出し、足音が響かないように気をつけながら石の階段を駆け下りる。アーチを抜けて中庭に出ると、いつものように、少年は木の根元に座っていた。エミルは少年の隣に腰かけ、少年の髪をなでて膝枕をする。それが日課になっていた。
「今日は、遅かったんだな」
無愛想な少年が、珍しく自分から口を開く。エミルは少年の言葉には答えず、頭のなかに浮かんだ言葉をつぶやいた。
「わたしは籠のなかの鳥。このお城からは一歩も出られないの。ねえ、勇者くん。わたしをここから連れていって、勇者くんといっしょに」
少年はエミルに膝枕されたまま、顔だけを動かしてエミルのほうに目を向けた。そして、エミルが予想もしていなかった言葉を返した。
「ああ、いいよ。魔王を倒したら、俺がキミを城の外に連れていってあげるよ」
「えっ!? だって、勇者くんは勇者なんだから、魔王を倒したら、国に帰って王さまになるんでしょ?」
「俺は王さまになんてなる気はないよ。魔王は倒す。でも、その後は別に国に帰らなくたっていい」
「じゃ、じゃあ。その後はふたりで世界中を旅できる? わたしといっしょに? ずっとふたりで?」
「ああ、世界中を旅しよう」
エミルは宝石のような緑色の瞳を輝かせて、春の太陽のような笑顔になった。
「勇者くん、大好きよ。わたしのことを守ってね。勇者くんとふたりなら、わたし怖くないから」
◆
エミルは、真っ赤な顔で目を覚ました。
まだ胸がドキドキする。はっきりとは思い出せないが、なにかとても幸せな夢を見たような気がする。
(今日は、朝からすっごく気分がいいな。早く起きて、朝食の準備を手伝わなくちゃ)
エミルはベッドから起きだすと、綺麗にシーツを整え、身支度をして、元気よく部屋から外に出ていった。
◆
真っ暗な部屋の隅にうずくまり、サイラスは頭を抱えていた。耳をふさいでいても、若い男の声が容赦なく頭のなかに響いてくる。
『オマエには誰も守れない。オマエは絶対にオレには勝てない』
『そんなに弱っちいくせに、救世主にでもなったつもりか?』
『このできそこないの裏切り者め……!』
『守ったって無駄だってことを思い知らせてやるよ』
(うるさい、うるさい、うるさい。黙れ、黙れ、黙れ)
『オマエにできるのは“転生”してどこかに逃げることだけだ』
『何度でも殺す、生まれ変わっても見つけ出して殺す』
『オマエの愛した者はすべて、オマエの目の前ではらわたを引きずり出してやる』
『オマエが死んだ後、あの女がどーなったか、オマエ知らないだろ?』
『けはははははははっ!』
(やめろぉぉぉぉぉっ!)
◆
扉を叩く音で、サイラスは目を覚ました。
頭痛がして、朝から気分が悪かった。せっかくフルリーヌが用意してくれた清潔なベッドだったが、よく眠れなかったような気がする。
(なんだったんだ。……なにも覚えてないけど、すごく嫌な気分だ)
「サイラスくん、起きてますか? 朝ごはんができましたよ」
扉の向こうから、エミルの弾んだ声がする。
痛むこめかみを押さえながら扉を開けると、エプロン姿のエミルが立っていた。なぜか頬がほんのりと赤い。
「おはようございます、サイラスくん」
「……おはよう。エミル、顔が赤いけど、熱でもある?」
「えっ!? ち、違います。なんだか、すごくいい夢を見た気がして……でも、ちっとも思い出せないんです」
(思い出せないのに、そんなにご機嫌なんだ……)
「サイラスくんこそ、顔色がよくないですよ?」
「僕は、すごく嫌な夢だった気がする。中身は、ぜんぜん覚えてないけど」
「ふたりそろって覚えてないなんて、変ですね」
エミルがくすりと笑うと、こめかみの痛みが、すこしだけ和らいだ。




