第二十四夜・あの世、この世
「なああんた。面白い話、聞かせてやるよ」
信号待ちをしていると、見知らぬ高齢男性に声をかけられた。
その人はあの世を知っていると言うのだ。
「とにかくよ、お上品すぎていけないね」
今し方自身が買ってきたジャンクフードはその男の腹へと順調に収まっていく。
貪り食うとはこう言うことを言うに違いない。
「あ? なにがって、あの世がよ。あの世はとにかくお上品なわけよ」
男はそう語り始めたのである。
なんでも、この男が言うには、あの世というのはそれはもう極楽一色で、飢えもなければ悲しみもなく、ただただ幸せで満ち溢れているのだという。
「でも俺は水が合わなかったんだ」
どういうことかと聞けば、「退屈なんだよ。幸せすぎてな」などと贅沢なことを宣うではないか。
「ここは面白い。いい世界だ。生まれたてのガキが一丁前に必死で走ってる」
「じゃああなたは退屈の果てに、ここへと生まれ変わったってわけか」
そう尋ねると男は「いや、違うよ」というのである。
「俺ぁ生まれ変わっちゃいないさ。死んだままだよ」
ははあ、これは担がれているのだな、と苦笑する。
まあいい、ジャンクフードひとつで具にもつかない老人の戯言を聞くのもまた一興。そんな日もたまにはあるだろう。
それに、正直なところ、あの世の記憶とやらもほんの少しだけ気になったのだ。
「お前さん、あの世の記憶があるやつに会ったことがあるか」
ない、と首を横に振った。それはおとぎ話などや怪談で耳にする話であって、つまりただの作り話だ。
死後の世界が怖くないように、或いは今世の生活の戒めのために紡がれた物語だろう。
「そりゃそうさな。ここにいるやつは前世の記憶がないんじゃなくてそんなもの、最初からないのさ」
「生まれ変わる時に忘れてしまう……、いや、記憶をなくしてしまう?」
「だぁからそうじゃねぇって。俺ぁ生まれ変わっちゃいねぇのよ。何度も言わせんな」
「じゃあ、臨死体験だ」
馬鹿いってんじゃないよ、と男が笑った。
「話のわからんやつだな。俺は死んだ。それだけ」
「じゃああなたは幽霊?」
「おうともよ」
おお、厨二病患者って久しぶり見た——、そんなことを思う。些か高齢であるが、まあ、拗らせればそんなこともあるもしれない。
男は尚ももしゃもしゃとポテトを頬張り今度はバーガーに手をつけた。
油っぽい指先を舐める仕草に少しだけ不快感が浮かぶ。
「本当は嫁も連れて来たかったんだけどよ、カカァのやつ嫌がってよう。あいつも普通の女だったってこった。あの世はあんまりにも快適だからみんなここには来たがらないってわけ」
まったく、本当にくだらない与太話だ。
この男は現に生きているし、こうしてポテトもバーガーも食べている。これで幽霊だのと言われてもあまりにも設定がお粗末だ。
コーヒーも飲むかと差し出すと、男は遠慮なく手を伸ばしてそれを受け取った。
「だからよ、ここは作り損ねた天国みたいなもんなのよ」
ますます判らず首を傾げると、「お前ってやつぁ馬鹿だねぇ」などと罵倒される始末である。
「別の世界があるってことよ。世界は三つある」
「三つ?」
「俺がいたあの世、この世、俺が死ぬ前にいた世界。あの世が満席になったから神様は仕方がなく違ったタイプの極楽浄土、ここを作ったってわけ」
まあ、販促に失敗しているわけだけど、と男はおかしそうに笑った。
この世が極楽浄土の一種とは俄かに信じがたい。
痛くて、つらくて、腹も減れば病気もする。どこが極楽だというのか。
それに、この世は生者のもので死んだ人々のものではない。
事実、彼らは我々の目には見えていないしこの世の生活は我々生者仕様に整えられている。矛盾しているじゃないか。
「ここは新しいタイプのあの世ってわけよ。全部が幸せってのは、なかなか苦痛なもんだぜ」
男は悟ったような顔をしていう。
「じゃあ神様は死者を楽しませるためにこの苦痛まみれの世界——、もう一つのあの世を作ったってこと?」
「そうさ」
よく聞く話だ。
今世は試練の場。それを過ぎると行い次第で極楽浄土に行ける。
では、この世界の住民は死んだらどこに行くのだろう。極楽浄土が満杯ならばどこへ行くのだろう。
「ここがもう一つの極楽浄土なら生きている我々は何者?」
「馬鹿だねぇ、お前。お前はまだ生まれてもいないよ」
は? と首を傾げると、男はコーヒーを飲み干すとゲフーと息をつく。
「お前らは俺らを楽しませるまっさらな魂ってわけ。労働して、戦争して、怪我して些細なことで大笑いする。それが俺たちのために作られたお前らまっさらな魂、おニューってわけよ」
「……つまり我々の生はあなたたちのエンタメのために生み出された存在ってこと?」
「そうさ。せいぜい楽しませてくれよ」
男は意地悪そうに笑うのだ。
「おっといけねえ、おしゃべりが過ぎた。あの世に連れ戻されちまう」
「待って、待ってくれ、では……、我々は死んだらどうなるんだ……?」
「そんなもん、あるわけないだろ。だってお前らはただの賑やかし。ああ、村人1とかそういうやつだよ。判る?」
男はじゃあな、という。
「どれ、ひとつプレゼントをやろう。抜け出したかったら早く起きたほうがいいぜ。これは飯代だよ。起きたらここから抜け出せる。本物の肉体付きだ。いいな、なるべく早く起きろ」
目を覚ますと心臓がバクバクとしていた。
うつ伏せ状態のまま、腕が首の下へと入り込んで呼吸を塞いでいたのである。
ドッドッドッと心臓が鳴る。こんなこと、今まで一度もなかった。咳が出る、汗が噴き出る。喉にひどい圧迫感を覚えた。
ふ、ふ、ふ、と呼吸を繰り返すと、やがてそれらも落ち着いていった。
汗を拭いながら、キッチンで水を飲む。
ポテト、バーガー、コーヒー、
自身はジャンクフードを口にしたことは、人生で数えるほどしかないのである。コーヒーも嫌いだ。
ほとんど食べたこともないポテトやバーガーを買ったあの世界は、果たして——。
一体この世とは、どこなのだろう。
換気扇が小さく音を出ていた。
おしまい。




