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第二十三夜・月の死体の丘

 ある晩、月が地球に墜落した。


 輝きの残滓を残したそれは、キラキラと発光し、墜落先の海を永久に朝が続く世界へと仕立て上げてしまったのである。


 さて、困ったことになった。


 周辺住民はもとより、海に住まう魚とて、突然の環境の変化に戸惑うどころか、生態系そのものが変化についていけず死する個体も多かったことだろう。


 海上は速やかに封鎖されたが、だが人とは業が深いもので、監視の隙をついて月へと上陸を果たす無頼漢も多くあったようだ。

 彼らはみな揃いも揃って然るべき施設で検査ののち逮捕されたようだが、連日連夜、月墜落のトピックスに紛れ込むように彼らの存在もまた報道されていた。

 今もなお、登頂者は後を絶たぬという。


 自身はテレビを見ながら墜落から二ヶ月が経過した月の様子をうへえ、と眺めていた。


 食卓の上の目玉焼きに辟易するほど、その話題にはうんざりしていたところである。

 球体のもの、円を描いたものに忌避感を覚えるほどに参っているのだ。

 今年の十五夜は中止になるのだろうか、などとどうでもいいことを考えながら目玉焼きを真っ二つに割る。


 と、テレビの中でアナウンサーが何やら叫んでいるではないか。


『ご覧ください! 月が崩れ出しました!』


 崩れる、の言葉が判らず思わず画面を見遣ると、画面に映された月はそう、確かに崩れるとしか表現のしようがないほどに、サラリサラリとその表面を風や波に溶かしていたのである。


 まるで氷山が崩れ落ちるように、砂山の砂が風に乗るように、兎にも角にも、そんな感じに、急速に月は崩れていったのである。


 やれやれ、このまま月は無くなるのだろう。

 ようやく変わり映えのしない丸い岩を見ずに済むようになるのだ。


 ——などと思っていたのだが、甘かった。


 月はなんと、骨だけを残したのである。


 なるほど、骨。

 球体のそれはところどころ穴が空いており、中身が見える。


 月の中身はすっかり抜け殻で、学者の調査によると残された硬質なそれは我々哺乳類が有する骨とそう変わらぬ成分で構成されており、つまり見た目同様に完全なる骨だというのである。


 穴は非常に大きく、クレーターであったのだろう、というのが窺えた。


 化石、そう、化石だ。


 学者が神妙な顔で、これは世紀の大発見などと宣っている。我々の住む地球もまた骨が有るかも知れない、とのことである。


 つまり地球は生物かもしれないということか。

 我々動物はダニか微生物なのだろうか。

 火山なんぞ、ニキビかなにかかもしれない。

 


 時はたち、月の死体も見慣れた頃、調査によって月の骨は魚たちの棲家になっているとの報告がなされた。

 月の肉は栄養満点の砂であったらしく、今では海藻が、魚が、貝が多く集まる海洋生物たちの一大レジャー施設と相成っているそうだ。


 ただし問題がないわけではなかった。


 ベランダに立ち、うんざりとしながら空を見上げる。

 一つ、二つ、三つに四つ……、そこまで数えて最早鬱陶しくなり、目を逸らす。


 満点の星空とはよく言ったものではあるが、今、地球の空には数多(あまた)の輝く月でいっぱいなのである。


 大きいもの小さいものと様々であるが、これはみな、月の死体を食べた魚に寄生し生まれ出た月、とのことである。


 あの海に沈む月の死体をどうにか引き上げないことには、このままでは地球の周辺は月まみれになることであろう。


 だが、誰も月を除去できそうにないのだ。


 月はあまりにも巨大、あまりにも広大なその姿のまま、今もなお発光を続け、我が物顔のまま魚たちの住処となっているのである。


 海に築かれた月の死体の丘。

 学者の計算では、完全除去には五千年かかるのだそうだ。


 果たしてそこまで現生人類が生存しているかどうか、怪しいものである。


 あーあ、ヤンなっちゃうね。

 そんなことを呟きながら、空一面のなんとも奇妙でグロテスクな夜空を見上げる。


 あの中のひとつが落ちてきやしないだろうなぁ——、などと思いながら、グラスの水面に映った月を飲み干したのだった。


おしまい。

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